十二話 その後、空腹はちゃんと満たせました
「……わたくしはこれでも、幼い頃から騎士団で剣の腕を磨いてきました。大抵の魔物ならば、遅れをとることはありえません。それなのに、あの男には手も足も出せなかった。カスティーラが人質になっていたことなんて関係なく、生物としての格が違うと思い知らされたのです。他の騎士もそうです。でも、あなたは違った。あの男は、あなたを恐れているように見えました」
「俺を?」
今のところ、堕天使に傷をつけたのは俺だけなのだから、警戒されてもおかしくはないが。恐れられている、は流石に言い過ぎではないだろうか。言動を思い出してみても、憎たらしいくらいに余裕綽々と言った感じだった。
……そういえば、何か気になることを言っていたような。思い出そうとするも、先にキャンディスが頭を下げる。
「お願いします、ヴァリシュ殿。わたくしはこの国の姫として、一人の騎士として守りたいのです。自分が生まれ育った、このアルッサムを。そのためならば、目や腕を失くしても惜しくはありません」
「キャンディス姫……」
意外だった。彼女の愛国心は知っていたが、国を守るために他国の人間を頼るとは。それとも、そこまでせざるを得ないくらいに追い詰められているのか。
……同じなんだな、彼女も俺も。そして俺は、守れなかった喪失感も知っている。
「……わかりました。ただ、俺が知っている情報も多くはありません。不確定な情報がほとんどです。なので、何でもいいです。キャンディス姫に何か心当たりがあれば教えてください。俺も、あの男には色々と恨みがあるのです」
「情報交換ですね、わかりました」
そうして、俺は彼女に堕天使のことを話すことに決めた。大悪魔を上回る力の持ち主であること、ラスターでさえ太刀打ち出来ない存在であること。
簡単には信じられないだろうに、彼女は疑うことなく熱心に聞いてくれた。
「堕天使……悪魔ではなく、魔物とも異なる存在……信じ難い話ではありますが、ヴァリシュ殿の話ならば信じましょう」
「え、本当ですか?」
「ええ。特に、ラスター殿では太刀打ち出来ないという部分にはとても信憑性を感じました。だからあの方は、ここに来られてからソワソワと落ち着きがない上に、財産をギャンブルで溶かしたかのように落ち込んでいらっしゃるんですね」
……女性の観察眼って、凄いな。
「キャンディス姫。俺が駆けつける前に、堕天使から何か要求をつきつけられていたりしませんか? カスティーラ様を人質にとったこと、頭部や胴体ではなく太腿に傷を負わせたことを考えると、あの男の目的はあなた方の殺害ではないと思うのですが」
堕天使にとって、カスティーラやキャンディスの命を奪うことは容易いことだろう。ならば、本当の目的は一体何であるのか。
「ええっと、あの者はこう言っていました。『地獄の門』を開けろと」
「は? 地獄の門?」
なんだ、それは。今までにそんな仰々しい名称など聞いたこともない。もちろん、前世の記憶を含めてもだ。
「地獄の門とは、一体何なのですか?」
「わたくしにもわからないのです。ただ、昔からアルッサムは『地獄に一番近い国』と言われてきました。てっきり、このような過酷な気候と火山が身近にあるからだと思っていましたが」
確かに、キャンディスが言うように地獄と聞くと、なんとなく暗くてマグマがボコボコしているような景色を想像してしまう。かと言って、アルッサムが地獄と何か関連があるようには思えない。
そもそも地獄って何だ?
「とりあえず、わたくしはあとで書庫に行って地獄の門について調べてみようと思います。夜が明けたら学者たちを手配することも出来ると思いますので、明日の午後には何かしらの情報が提供できるかと」
「俺もラスターたちに話を聞いておきます。世界を旅したあいつなら、何か知っているかもしれません」
望みは薄いけど。キャンディスもそれほど期待していないのか、それとも自国の問題は自分でと思っているのか。この話題はここでひと段落となった。
「あの、ヴァリシュ殿。協力を申し出ておいて何なのですが……五大国会議は明日、正式に中止を発表する予定です」
やりきれなさそうに、キャンディスが俯く。理由がどうあれ、各国の王を集めておいて会議が中止となるだなんて前代未聞の事態である。
魔物の襲撃を防げず、要人の安全を確保できない国としての汚名を着せられることになるのだ。彼女としては屈辱でしかないだろう。
そして会議が中止となれば、俺は陛下たちと共に帰国しなければならない。彼女はそれを危惧しているのだろうが、大した問題ではない。
「そうですか。しかし、俺があなたに協力することに変わりはありません。ご心配なく、俺はいつでもあなたのところに駆けつけますので」
「は、はあああ⁉ ななな、なにを……それって、どういう」
「実は、俺もオリンドの地図を偶然手に入れることが出来たんです。これがあれば、オルディーネからでも一瞬でこの国に来ることが出来ます」
「あ、なるほど……そういう意味ですか」
オリンドの地図を取り出して、彼女に見せる。地獄の門という、意味不明ながらも堕天使に繋がる新たな手掛かりを得られたのだ。改めて他国を回って、情報を調べてくるのもいいかもしれない。
そう提案してみるも、キャンディスはどこか上の空のように見える。顔も真っ赤だし、疲れが出てきたのかもしれない。
「キャンディス殿、大丈夫ですか?」
「え……え、ええ。大丈夫です。なにも、なんともないです」
「そうですか。しかし、今日はそろそろ休みましょう。あなたが倒れれば、アルッサムの国民たちは不安に思うでしょうから」
腹が減ったしな、という言葉を飲み込みつつ、話を終わるよう促す。
キャンディスも疲れた表情で頷く。立ち上がる前に、何か思い出したかのように布の包みを取り出した。
「ヴァリシュ殿、これを受け取ってください」
「これは?」
「マントだけでなく、バンダナまで駄目にしてしまいましたので、代わりの髪紐です。アルッサムでは、こういう装飾品も名産なんですよ。あなたの瞳と同じ紫色を選びました」
一目でわかる上質な糸で編まれた髪紐は、月明かりを受けてキラキラと品良く輝いている。控えめながらもところどころについている金や銀、宝石の飾りは素人目では本物か偽物か判断出来ない。
どう見てもバンダナの代わりに、しかも男で騎士の俺が貰っていい品ではないような。
「そのまま、じっとしていてください。髪の毛、少し触らせていただきます」
「あ、あの……そのような高価な品、俺としては恐れ多いのですが」
「何を言ってますの? アルッサムの姫であるわたくしからの贈り物ですもの、半端なものは許されませんわ。それに、あなたは次期オルディーネ国王なのでしょう? 安物ばかり身に着けていては、国の威信に関わりますわよ……まあ! 本当にサラサラですね、一体どのようなお手入れをすればこんな風になるのかしら」
悪戯を隠す子供のような笑顔で、キャンディスが俺の背後に回る。細くて温かな指に髪を触られるのは少し緊張するが、彼女にもこういう可愛らしいところがあるのかと微笑ましく思った。
「はい、出来ました。あら、もう少し可愛らしくなるかと思ったのに、嫌味なくらいにお似合いですわ」
「はあ、ありがとうございます」
鏡がないので、自分では見えないが。紫色ならば、水色の髪に合わないこともないだろう。
飾りがシャラシャラと揺れるのが気になるが、ポニーテールにされたので首元がすっきりした。
「では、わたくしは行きますね。ヴァリシュ殿はお疲れでしょうから、どうぞゆっくりお休みください」
「お気遣いありがとうございます。キャンディス姫もどうか、無理はなさらず」
「ええ、おやすみなさい」
そうして、キャンディスは先程よりもしっかりとした歩みで城の中へと戻っていった。あの様子なら、彼女はもう大丈夫だろう。
「やれやれ、長い一日だったな」
俺も立ち上がり、軽く伸びをする。とりあえず、空っぽな胃をどうにかしたい。これから自分で作るのは流石に面倒なので、まだ何かしら残っていることを祈りつつ食堂へ向かおうとした。
……向かおうとした、のだが。
「ヴァリシュさん! なかなか戻って来ないと思ってたら、こんな雰囲気のいい場所で二人っきりで何してたんですか!?」
「げ、フィア」
最悪だ、一番面倒なやつに見つかった。そう思ったのも束の間。
最悪というものは、あっさり更新されていくもので。
「ななな、なんなのあの姫騎士!? 自分の国の装飾品で他国の騎士を飾り付けるなんて、どういう神経してるの! 似合ってるのがまた腹立つ!」
「これは正にマウント、わたくしたちへの宣戦布告……うう、また強力なライバルが出現してしまいましたね」
「レジェス殿ではありませんが、やはりここは決闘を……剣での勝負なら、自分にもチャンスがあるのでは」
「この三人にいたっては何を言ってるんだ。やっぱり全員もう寝ろ、さっさと寝ろ」
言うまでもないが、リネットとユスティーナとマリアンである。何か誤解されていそうだが、もはや説明する気力は残っていない。
ぎゃーぎゃー喚く女性四人の背中を押して、今度こそ城の中へと戻る。これで今度こそ、長い一日が幕を下ろしたのだった。
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