勇敢な騎士の話②
「何、レジェス殿と見合いだと?」
「はい……その、自分も昨日聞いたばかりだったんですけど」
執務室は自分とアレンス様、そしてヴァリシュ様だけなので、見合いのことを話すことにしました。
いえ……窓際に置かれたクッションの上で、ぽかぽかと日差しを浴びながらひっくり返っている
「ふむ、なるほど。しかし妙ですね。トールヴァルドといえば、デルフィリードでもかなりの権力を持つ貴族です。さらにレジェス殿は長男。見合い相手を選ぶだけでも慎重になる筈ですが……なぜマリアンなのでしょう。他国という要素を加味したとしても、身分差は大きすぎると思いますが」
「そ、そうなんです。自分もそこが気になっていました」
アレンス様の疑問には、自分も同意です。貴族における結婚というものは、権力を左右する重要な武器。
中級貴族の自分とは、何もかもが釣り合いません。
「単純にマリアンが好みのタイプだったから、とか?」
「ええ!? 自分はレジェス殿と会ったことすらないんですけど」
「あ、そうか。ふむ……顔も知らない相手と見合いだなんて、未だに貴族の駆け引きには慣れないな」
むむむ、と机に肘をついて考え込むヴァリシュ様。相変わらず貴族の風習には苦手意識があるようです。
そんなヴァリシュ様を見やり、アレンス様があっと声を上げました。
「もしかしたら、相手の目的はヴァリシュ様かもしれませんね」
「は? 何で俺?」
「ヴァリシュ様にもお見合いのお話が来ているんですよね? そして、それを全て陛下が断っていると。だから、少しでも取っ掛かりを得るために周りから攻めることにした」
「そ、それはありえますね」
アレンス様の考察で、自分の中で引っかかっていた違和感がストンと腑に落ちます。ご自分では気づいていないようですが、ヴァリシュ様はすでに貴族だけではなく、王族でさえも無視できない立場に立たされているのです。
自分がレジェス殿と婚約を結べば、そこからヴァリシュ様との繋がりを持つことが出来るでしょう。
さあ、と頭から血の気が引いていきます。
「も、申し訳ありません! まさかヴァリシュ様にご迷惑をおかけすることになるとは!!」
「落ち着け。そうと決まったわけではないし、そうだとしてもマリアンに落ち度はない。大臣からの呼び出しを数時間寝かせてから伝えてきた時よりも状況的にはマシだ」
「はう、全然違う角度から古傷を抉られました!」
「俺のことは置いておくとして。マリアンはどうしたいんだ? 相手は大国の副騎士団長、噂で聞く限りでは家柄も人柄も悪くないようだが」
ヴァリシュ様の問いかけには、言葉が出ませんでした。自分は貴族の娘、十六歳の妹と十三歳の弟が居る長女です。
今のところドレッセル家は弟が継ぐことになっており、妹は社交界デビューしたばかり。ドレッセル家のことを考えれば、この縁談は受けておくべきでしょう。
……でも、
「自分は、まだ騎士団長になるという夢を諦めていません」
「ああ、ちゃんと覚えているぞ」
身の丈に合わない夢が、思わず口を突いて出てしまいました。でも、ヴァリシュ様は笑いません。この人だけは、自分の夢を一度も笑わないのです。
それが嬉しくて、嬉しくて!
「それに、その……他に、好きな方が」
「うん?」
「自分には、他に好きな方が居るんです!」
自分でも驚くほどの大声と共に、目の前の机を両手で叩いてしまいました。びくり、とヴァリシュ様の肩が跳ね、赤紫色の瞳が自分を見ます。
それだけで、顔が熱くなってしまいます。黒鳩さんがむくりと顔だけ起こしてこちらをジトッと見ていますが、気にしている余裕はありません。
そうです、自分はヴァリシュ様のことが好きなんです。失敗ばかりの自分を見捨てずに、立ち直るきっかけを何度もくれたこの方のことが!
……それなのに、
「好きな方……あ、そうか。そうだったな、それは忘れていた」
「え、忘れていたって」
「勇者に比べたら、貴族だろうが王族だろうが霞んでしまうのも無理はないな。まったく、あの人たらしめ」
え、なんでそこでラスター様が出てくるのでしょう? ヴァリシュ様は勝手に納得しているし、黒鳩さんはパタッとまた寝てしまうし。
はあ。ため息を吐いたのは、静かに見守っていたアレンス様でした。
「あー……そういえばヴァリシュ様、この件は陛下や大臣たちにもお伝えしておいた方がよろしいのではないでしょうか」
「む、そうだな。それなら、後で俺が――」
「いえ、この件は早急に、迅速に、一秒でも早くお伝えすべきだと思いますので、これから自分とマリアンで行って参ります、それでは!」
「え、え?」
あ然とするヴァリシュ様をそのままに。アレンス様に半ば強引に、引き摺られるようにして自分も執務室を出ます。
そして周りに誰も居ないことを確かめてから、アレンス様がやれやれと口を開きます。
「人たらしなのはどっちなんだか……マリアン、あの様子だと直球勝負するしかないぞ」
「ちょ、直球勝負って」
「ヴァリシュ様はどうやら、お前の思い人はラスター様だと思い込んでいるようだ。ついでに言うと、他人からの好意に対しては筋金入りの鈍感さだ。だから回りくどいことはせず、直接言葉で伝えるしかない」
「待ってください! ななな、なんでアレンス様は自分がヴァリシュ様に懸想していることをご存知なんですか!?」
「見ていればわかる……多分、騎士団で知らないのはヴァリシュ様くらいだと思うぞ」
たまに生温い視線で見守られてるかと思っていましたが……まさかの事実に、床を転がってしまいたくなるくらいに恥ずかしいです。
「しかし、告白の前にレジェス殿をどうにかしないといけないな。何か考えはあるのか?」
「いえ。それに関しては自分から、レジェス殿にお断りのお話をしようと思っています」
これ以上は、自分の問題です。そう言えば、アレンス様も納得したと頷いてくれました。
そして、明日はあっという間に来てしまうのです。
※
翌日。自分はヴァリシュ様と共に、なぜか城門に隠れていました。
「あ、あのー……ヴァリシュ様。自分たちはなぜ、こんな場所に……本来であれば、真っ先にデルフィリードの皆様をお出迎えすべきでは」
「それはわかっているんだが、めんど……じゃなくて、お前の見合いの件もあるからな。まずは遠目から様子をうかがおうと思って。ああ、あれがレジェス殿だな」
ヴァリシュ様の視線を辿ると、一際背が高い騎士が居ました。紺色の鎧にマント。灰色がかった黒髪に、彫りが深い顔立ち。薄い顎髭がお似合いです。
年齢は三十歳とお手紙に書いてありましたが、とても大人っぽい方です。
「む、なんだか雰囲気がある男だな。それになんだあの顎髭は、男らしいじゃないか。俺はこの歳になっても髭なんか生えてきたことないのに……三十路になれば生えるかな」
「ヴァリシュ様、心の声がダダ漏れです」
「ふん、まあいい。行くぞ、マリアン。今日は猫かぶりモードだ。いつもより多めに、三匹くらいかぶってやろう」
そう言って、ヴァリシュ様が堂々とレジェス殿に向かって歩き出します。自分も慌てて追いかけます。
「初めまして、レジェス殿。オルディーネ王国騎士団を預かるヴァリシュ・グレンフェルです」
「おお、あなたがヴァリシュ殿でしたか。お会い出来て光栄です」
自分たちに気がついたレジェス殿が、穏やかな笑みでヴァリシュ様と握手をします。ここは、自分も名乗らないといけませんね。
「自分はマリアン・ドレッセルと申します。よろしくおねがいします」
「マリアン……なるほど、あなたがマリアン嬢でいらっしゃいましたか。レジェス・トールヴァルドと申します」
自分が名乗ると、レジェス殿がにこりと微笑みを深めます。
うーん、あの闘技場王国の方なので少々身構えていたのですが……レジェス殿はとても落ち着いた方のようです。流石は副騎士団長と言ったところでしょうか。
「早速ですがレジェス殿、今後の予定についてなのですが」
しばらくの間、ヴァリシュ様がこれからのことを確認します。昨日の無茶振り以外は、事前に伝えられていた通りに進みそうで一安心です。
ただ、レジェス殿はチラチラと自分を見てきます。流石に気になってしまいます。
「あの……レジェス殿、自分に何か」
「え? ああ! いえ、何も。不躾でしたね、申し訳ない」
「ふむ……レジェス殿、マリアンとの見合いの話は聞いております。その件で何か、彼女に言いたいことでもあるのでしょうか」
「ちょ、ヴァリシュ様!?」
猫をかぶると自分で宣言したくせに! ヴァリシュ様の率直すぎる問いかけに、自分は思わずぎょっとしてしまいます。
しかし、レジェス殿は困ったように笑うだけで、特に咎めたりはしません。
「ああ、そうだったんですね。違うんです、これはこちらの問題なんです」
「問題とは?」
「ええっと、我ながら子供っぽい話だとは思うのですが……自分は幼い頃から、エイセル騎士物語が大好きで、憧れているんです」
「エイセル騎士物語! わあ、懐かしいですね!」
エイセル騎士物語。自分も子供の頃、お母様に読み聞かせてもらった覚えがあります。確か、エイセルという騎士が一人の王のために生涯を捧げ、数々の難題を乗り越えていくお話です。
しかし、その物語がレジェス殿とどのような関係があるのでしょう。
「自分はこれまで、エイセルのように敬愛する一人の主君のために、命を捧げられるような騎士になりたいと思っていました。あの鮮烈な生き方に憧れ、いつか自分にもそのような主君が現れるのではと信じていたのですが」
「ふむ、その言い分ではデルフィリード国王は理想の主君ではないと?」
「もちろん陛下は尊敬すべき方であり、お仕え出来ることは誇らしいことだとはわかっております。しかし、どうしても考えてしまうのです。自分が仕えるべき相手は、この方ではないのでは、と」
なので。困ったような笑みで、レジェス殿が続けます。
「少し、考え方を変えてみたのです。主君ではなく、愛する伴侶こそが自分の求める方なのではないかと。なので、色々な方に見合いを申し入れたのですが」
「その言い方だと、マリアンを含めた見合い相手の全員が理想の相手ではなかったと受け取れますが?」
「マリアン嬢も含め、美しく聡明で素敵な方ばかりでした。しかし……そうですね、ヴァリシュ殿の言うとおりです。やはり、自分が少々夢見がちなのでしょう」
「はわ……う、美しく聡明と言われました」
お世辞とわかっていても、やはり殿方からそういう言葉を貰うと照れてしまいます。熱くなる頬を手で押さえると、レジェス殿が軽く息をつきました。
「おっと、少し長話でしたね。見合いについては、後ほど時間を設けて――」
「気に入らないな」
「え?」
「ヴァリシュ様!?」
話を終わらせようとしたレジェス殿を遮り、ヴァリシュ様が冷ややかな声色で言いました。
和やかだった空気が、一瞬にして凍りつきます。周りに居る人たちも、目を丸くして自分たちの方を見ています。
それでも、ヴァリシュ様は動じません。
「俺は孤児院の出身だから、貴族の慣習など知らない。差し出がましいと重々承知だが、言わせて貰う。貴殿の勝手な理想とやらのために、マリアンを巻き込むな」
「ヴァリシュ様!?」
「……ヴァリシュ殿。ご自分が何を言っているのかおわかりですか?」
「その言葉、貴殿にそのまま返そう」
三匹の猫さんはどこへ行ったのでしょう! 完全にいつもの調子、むしろ苛立ちを隠そうともしません。
これにはレジェス殿も黙っていません。
「ヴァリシュ殿、あなたが身寄りのない孤児院の出身であることは存じております。貴族のやり方に疎いことも、仕方がないことかと思います。ですが、今この場は外交の場。騎士団を預かる方として、あまりに不相応な物言いである自覚はないのですか?」
「俺の役目は貴殿に媚びを売ることではない。オルディーネを守ること、そしてオルディーネを守る騎士たちを育てることだ。マリアンには騎士団長になるという夢があり、貴族の令嬢とは思えない程に泥臭く努力している。貴殿が本気でマリアンに惚れているのであれば話は別だが、そうでないのなら見合いなどこちらからお断りだ。ああ、デルフィリードの方ならば、こちらの方がわかりやすいか」
そう言うと、おもむろにヴァリシュ様が剣を抜き、レジェス殿の胸に突きつけます。
「レジェス殿、貴殿に決闘を申し込む。俺が勝ったら、二度とマリアンに関わらないでもらおうか」
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