二話 赤ちゃんを丸呑みにしている絵面が容易に想像出来た


「はあ……はあ……あう、脇腹が痛い」

「あれだけ食った後ですぐに走るからだろ」


 フィアに引っ張られるまま、国立自然公園までやってきた。公園と言っても遊具などはほとんど無く、広大な土地に樹木や花が植えられている静かで穏やかな場所である。

 説教するとか息巻いていたくせに、脇腹を擦りながらベンチにへたり込むフィア。気が抜けたのか、背中から悪魔の翼が生えてぱたぱたと揺れている。


「ヴァリシュさんが悪いんですよ、あんなこと言うから! あー、あつーい」

「……とりあえず、これを早くしまえ。気を抜きすぎだ、誰かに見られたらどうする」


 目の前で揺れる翼を摘まむ。近くに誰も居ないから良かったものの、気を抜きすぎだろう。

 ……あ、思わず翼を摘まんでしまったが。こういうのって、前世のアニメとかではよく弱点だったりするんだよな。弱点っていうか、敏感というか。


「大丈夫ですよー、誰も居ないじゃないですかー」


 ぺいっと俺の手をじゃれるように叩いて、翼が手から離れた。こいつ、マジでこいつ。本気で色欲の名を返上した方が良いんじゃないか?

 なんなら暴食と怠惰を貰えばいい。今なら貰い放題じゃないか。


「あ、ヴァリシュさん後ろ」

「ん? あ、いたっ」


 ぽこん。振り向く間もなく、後頭部に何かが当たった。地面に落ちたV字型の物体を拾う。ブーメランのようだ。厚紙で作られた軽いものだから、風に流されてしまったのだろうか。


「ぷぷぷっ、騎士団長のくせに避けられないなんてー。ヴァリシュさんこそ、気を抜きすぎじゃないですかぁ?」

「お前、今夜は飯抜きで良いんだな」

「ご、ごめんなさーい! お怪我はしませんでしたかー?」


 誰かがこちらに向かって走ってきた。フィアに翼を隠すように言って、俺は声の方に身体を向けた。

 走ってきたのは三歳くらいの男の子と手を繋ぎ、抱っこ紐を付けた赤子をもう片方の手で抱えた女性だ。


「ああ、問題ない。気にしなくて良い」

「良かった……って、ヴァリシュ様じゃないですか! お久しぶりですね!」

「え」

「ご活躍は窺っていますよ。お怪我をされたと聞きましたが、お元気そうで何よりです」


 にこにこと嬉しそうに笑う女性。どうしよう、我ながら有名になってきた自覚があるので、面識が無くとも一方的に名前を知られていることには慣れてきたが。

 久しぶりと言ってくるということは、彼女は俺の知り合いということだ。だが、全然記憶にない。

 一つに纏めたクリーム色の髪に、青い瞳。どちらかと言うと活発でスポーティな印象を受けるが、全く思い出せない。

 なんか、前もこういうことあったような。あの時は、アレンスに不快な思いをさせてしまったんだった。この女性にも、立場によっては殴られても文句は言えないぞ。


「きゃあ! そこに居るのは、もしかして赤ちゃんですか? 可愛いですね!」

「え、ええ。あなたは?」

「ヴァリシュさんの彼女です!」

「おい、しれっと何を言ってるんだ」

「そうですか。あのヴァリシュ様に恋人が……申し遅れました、わたしはヘレン・ディズリー。四年前まで騎士団に在籍しておりました」


 軽く会釈をするヘレン。フィアの思わぬファインプレーのおかげで、彼女の名前だけではなく素性まで聞き出せてしまった。どうやら引退した元女性騎士らしい。全く思い出せないが。

 ふむ……前世を思い出す前の俺にも問題はあったが、人の名前と顔を覚えるのが本当に大変だ。出来れば騎士団の人間だけでも完璧に把握したいが、これが中々難しい。顔写真付きの履歴書でもあれば良いのだが。写真が存在しないんだよな、この世界。

 ……リネットなら、錬金術で似たようなものが作れないだろうか。後で頼んでみよう。


「はわぁ、赤ちゃん可愛いですねぇ……あの、抱っこさせてくださいっ」

「ちょ、お前何を――」

「まあ! うふふ、良いですよ。この子も男の子なので、こんなに可愛らしい人に抱っこして貰えたらきっと嬉しいと思います」


 そう言って、ヘレンが赤ちゃんをフィアに渡した。あああ、どうしよう。悪魔なのに。最近はゴロゴロ食っちゃ寝の日々を送っているが、七大悪魔の一人なのに。


「わっ、わっ。きゃあぁ、可愛い……小さい、軽い、温かい。あ、笑いましたよヴァリシュさん!」


 しかし俺の心配を他所に、慣れない手つきながらもフィアは大事そうに赤ちゃんを抱っこしながらほわほわと喜んでいた。なんだ、良かった。落としたり放り投げたりしたらどうしようかと思った。

 ……まあ、流石に杞憂だったか。フィアも女性だし、赤ちゃんに対する思いに種族は関係ないのだろう。


「はわぁ、ほっぺたふにふにしてる……肉まんみたいで美味しそう、じゅるり」

「……今すぐ返せ!」


 嫌がるフィアから赤ちゃんを奪い取り、そのままヘレンへと返す。こいつのじゅるりは冗談じゃ済まない。

 あれ、そういえば俺も何かを返し忘れているような。


「あ、あの……それ、ぼくの」

「ああ、すまない。返すよ」


 そうだ、ブーメランを握り締めたままだった。おずおずと伸ばされた少年の小さな手に、ブーメランを渡す。

 クリーム色の髪はヘレンと同じだが、垂れ目がちの顔立ちは穏やかで気弱そうな印象を受ける。


「本当にすみませんでした。ほら、カール。ありがとうございます、でしょ?」

「……ありがと、ございます」


 もじもじと、目も合わせないまま今にも消え入りそうな声でカールがお礼を言った。もしかして、この眼帯が怖いのかもしれない。

 カールから視線を外す為に顔を上げると、ヘレンがにこりと笑った。


「まさか、こんな場所でヴァリシュ様にお会い出来るとは思いませんでした。ヴァリシュ様に、そして騎士団にずっとお礼が言いたかったんですよ。悪魔から街を護って頂き、ありがとうございました」

「いや、当然のことをしたまでだ」

「本当は、とても悔しかったんですよ。どうしてわたしは騎士を辞めてしまったんだろうって。ああ、結婚や出産を後悔しているわけじゃないんですよ」


 ただ、とヘレンが寂しそうに続ける。


「あの時、魔物が外に居たせいで家族全員が家に閉じ込められてしまったんです。この子達二人と、大工の主人の四人で。国の外に居るような弱い小型の魔物だったので、私でも撃退出来るかと思ったのですが無理でした。身体が全然動かなくて」

「無理をするんじゃない」

「ええ、わかっています。結局、すぐに騎士団が来てくれたので家族全員無傷で済みましたが。悔しくて……女は子供を産んだら騎士には戻れないって、わかっているんですけどね」


 ヘレンが溜め息を吐いた。そういえば、この世界では多くの女性が結婚や出産を機に仕事を辞めて家庭に入るのが普通だ。男女平等の意識は低くないのだが、子供を産み育てるのはやはり母親、という考えが根強い。

 更に言えば、保育所というものが存在しない。ちょっとした用事や買い物で近所の知り合いに預ける、ということはあるが。女性は子供を預けて働きに行く、という発想が無いのだ。

 ……ふむ、保育所か。


「あ、せっかくの休日をお邪魔してすみません。お会い出来て嬉しかったです、では」

「……ばいばい」

「さよならー。また赤ちゃん抱っこさせてくださいねー!」


 親子で手を振りながら、去って行く三人を見送り。不穏なことを言いながら手を振り返すフィアはさておき、新たな改革要素に俺は無意識に口角を上げた。

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