七話 存在しない筈の国
「な、何なんだ? ヴァリシュ、お前……この鎧に何したんだ? 急に懐いたじゃねぇか」
「知らん、俺は何もしていない」
「よくわかりませんが、流石はヴァリシュさんです! 悪魔王になるには、強くて忠実な下僕が必要ですからね!」
ふんすふんすと鼻息の荒いフィアはスルーしておくことにして。本当に何なんだ、この鎧は。主とか王とか、何を言っているんだ。
バグ? 俺が天井の魔法陣をいじったせいでバグったのか?
『……悪魔はもちろん、勇者も我らにとっては忌むべき存在。王が望むなら、今すぐ排除しますが』
「気持ちはわかるが、とりあえず大人しくしてくれ」
「え、鎧の気持ちわかっちゃうの?」
『御意。王が望むなら』
とりあえず、もう鎧が暴れる様子はない。このまま帰ることは出来るだろうが、この鎧が何なのかが気になる。
「お前は一体何なんだ。それに、どうしてこんな場所に居るんだ?」
『我はスティリナを守護する者。そして、主が再来せし時にスティリナの遺産を継承する役目を担う者。ヴァリシュ・リーリス・スティリナ様、貴殿にスティリナの全てを託します』
「は? 何だその名前は、それに託すって――」
何を? そう問いかけようとするも、鎧は立ち上がって俺に背を向けた。そして右手を開かずの扉に向けると、あれだけ頑なだった扉がまるで自動ドアのように横へスライドして開いてしまった。
それだけでも衝撃的だったのに、更に俺を驚かせたのは扉の向こう側に続く景色だった。外に続いていたのは想像通りだったが、吹き込んでくる風の柔らかさに夢を見ているのではないかと錯覚してしまう。
おかしい、ここは常に吹雪で荒れ狂う雪山の筈。なのに、風に乗って花びらや木の葉が舞い込んで来た。
「な、なな……なんだ、これ」
「凄い……綺麗……」
開いた口が塞がらないラスターと、両手で口を覆って見惚れるリアーヌ。あまりの衝撃に俺も動けなかったが、真っ先に飛び跳ねたフィアに抱きつかれながら手を掴まれる。
「わあー! すっごく不思議な場所ですね、ヴァリシュさん! 一緒に行きましょう、もっと近くで見たいです!」
「あ、ああ。そうだな、行くか!」
「え、おい! ちょっと待てお前ら!」
ラスターの制止も聞かずに、俺とフィアは扉の向こうへと飛び出した。こんな場所は知らない。ゲームでは絶対に存在しなかった。
鮮やかな花が咲き乱れ、青々とした木々がのんびり揺れる。石を積み上げられて作られた家々に、規則的な模様の石畳。雪を被った山脈に囲まれながらも、目の前に広がる景色は夢のように美しい。
前世の記憶にあるマチュピチュを思い出させるような、静謐で荘厳なる空中都市が目の前に広がっていた。ちゃっかり隣で身体を寄せてくるフィアのことも、今は気にならなかった。
「凄い凄い! ここ、物凄い量の魔力が待ち溢れてますよ、ヴァリシュさん! 人間界なのに、悪魔界と同じくらいの魔力で満ちています!」
「そうなのか?」
「はい! ちょっと性質は違いますが、この魔力のおかげでここだけは雪が積もらないよう調節されているようです! 神の力は一欠片も無いのに、不思議ですね?」
『さもありなん。我らは人間でありながら、魔力を持つ一族である』
聞こえてきた声にぎょっとして振り返ると、鎧が堂々とそこに立っていた。相変わらず抑揚の乏しい声だが、どことなく誇らしげにしているように聞こえる。
「ここは一体何なんだ?」
『ここは貴殿の国、スティリナ魔導帝国である』
「スティリナ魔導帝国……知らないな。そもそも、魔法は悪魔だけが持つ力だろう? どうして人間界に魔導帝国などというものが存在するんだ」
「それに一族っていう割には、人間なんて一人も居ないみたいです。それどころか、ネズミや虫の気配さえないです」
むむ、と手を目の上に翳してフィアが都市を見つめる。確かに、遠目ではあるが人が住んでいるような様子ではない。
閑散としていて、都市というよりも墓場のよう薄ら寒い印象を受ける。
「ねえねえヴァリシュさん、あそこまで行ってみましょう! 勇者さえ知らない未踏の遺跡だなんて、わくわくするじゃないですか。魔物も居ないみたいですし、もしかしたら本当に山のような金銀財宝が眠っているかもしれませんよ?」
目をキラキラさせながら、フィアが俺の背中をぐいぐいと押す。確かに、ゲームに存在しなかった上に魔力が溢れている場所だ。何もないわけがない。
こんなにも好奇心で心臓が高鳴るなんて、初めてだ。
「ああ、そうだな。行ってみよう――」
「待て、待った! これ以上は駄目だ、勇者権限で立ち入り禁止!」
「そうだよヴァリシュくん、危ないよ!」
謎の都市に向かって駆け出そうとするも、ラスターとリアーヌが壁になるようにして目の前に立ち塞がった。
むう、とフィアが反論する。
「ちょっと、何で邪魔するんですか! あ、もしかして自分が先に行きたいんですか? 勇者さんっておこちゃまでしゅねー?」
「何その口調むかつく! ていうか、あんなに得体の知れない場所に、何の準備もしていない状態で行くのは危険だろ。罠だったらどうするんだ!」
「そうだよ、これみよがしに怪しいよ! 今日はここまでにして、ちゃんと調べて準備してからにしよう? 薬も無いし、もうすぐ日没だしね」
「……確かに、そうだな」
高揚していた気持ちが、少しずつ冷めていく。二人の言い分はもっともだ。今日はラスターの誘いで神殿の調査に来ただけだ。薬や道具などは全く用意していない。
もしこの鎧以上の強敵が潜んでいたら、無事に帰れる保証はない。
「ぶーぶー、元はといえば勇者さんが言い出しっぺのくせにー」
「わかってる。だから俺が責任を持って調べておくから、今日はこのまま真っ直ぐ帰るぞ! ヴァリシュ、早く来いよ」
「わかったわかった、あまり大声を出すな」
『……王』
都市に背を向けた俺に、鎧が呼び止めた。まるで縋り付くような響きに聞こえたのは、気のせいだろうか。
思わず振り向くも、鎧の感情を窺うことは出来ない。ただ、俺が引き返すことを、少し残念がっているように感じられた。
「……その時になったら、必ずまた来る。それまで大人しく待っていろ」
それだけ言い残して、風に遊ばれる髪を払いながら俺はラスター達と共にオルディーネ王国へと帰還した。オリンドの地図を見ると、そこには本当に『スティリナ魔導帝国』が付け加わっていた。つまり夢や幻ではなく、あの国は本当に存在しているらしい。
新たにオリンドの地図へ記されたスティリナ魔法帝国。まさか自分の存在を根底から覆すほどのものになるとは、この時の俺には想像することも出来なかった。
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