第4話 夜に這う その三
目の前に女の顔があった。
兄嫁だ。繭子が膝立ちで龍郎の顔をのぞきこんでいる。
寝袋のなかに入りこみ、吸いついているのは口ではなかった。吸盤だ。繭子のスカートから這いだした二の腕ほどもある太い触手が、龍郎の首にからみついている。
龍郎が目をあけた瞬間、首にまとわりつく触手に力がこもった。グイグイしめつけてくる。
「やめ……はなせ……」
「ダメよ。あなた、ヒドイ人ね。わたし、ほんとはお兄さんより、あなたのほうがいいなって思ってたのよ? 村からぬけだしたかったから、あわてて保さんと結婚したこと、後悔したわ。もう少し早く、あなたと会いたかった」
「やめ……ろ」
しかし、懇願したからといって、やめてくれるわけがない。
息が苦しい。意識が
このまま、あっけなく殺されるのだろうかと、龍郎は諦観のなかで考えた。
「あなたは綺麗。龍郎さん。あなたの子どもは、きっと、あなたに似て綺麗よね。あなたの子どもを生ませて」
繭子はたくさんある触手の一つで寝袋のジッパーを下まで全部さげると、龍郎の上に馬乗りになってきた。抵抗しようにも酸素不足で半分、意識を失いかけている。
(
繭子に初めて会ったのは、兄が結婚したあとだ。兄の紹介で夕食をともにした。
両親の反対を押しきってまで結婚した兄。いつもなら、親に逆らう兄ではなかった。
両親に偵察に行けと命じられた龍郎が、会いたいと言っても、兄はなかなか承知しなかった。
繭子に会って、その理由がわかった気がした。
とても綺麗な人だった。それに、運命に抗い逃げてきたような、一種独特の儚さがあった。この人を守ってあげなければと思わせる何かだ。
兄弟って女の趣味も似るんだなと、龍郎はひそかに思った。もちろん、口に出しては言わなかったが。
そのことは一生、自分の心の内にだけ秘めておくつもりだった。
ああ、そうだ。この人と青蘭は似てる。
儚げで、あぶなっかしくて、ほっとけないところ。
おれの好みのどまんなかなんだな。
どおりで、青蘭を見た瞬間、惹きつけられた。惑星の引力に囚われて、衛星になってしまった彗星のように。
これからはずっと、アイツのまわりをグルグルまわってるんだろう。アイツが地球で、おれが月。きっと、ふりまわされるんだろうに。
かすみのかかったような意識で、そんなことを考えていた。
じっさいに自分がどんな状態なのか認識できない。
パジャマがぬがされて、肌のあちこちを吸盤がチュウチュウ吸っているような?
挿入にはいたっていない気がするが、それも定かでない。
事が終われば兄のようにバリバリ食われてしまうに違いない。
いや、その前に、このまま首を絞めおとされれば窒息死するだろうか?
なんとか、逃げださなければ……。
そのときだ。
とつぜん、龍郎は思いだした。
頭のなかに、ある映像が流れてきた。
「龍郎や。おまえも二十歳になった。これをおまえに渡すときが来たんだねぇ。これは、おばあちゃんのうちに代々伝わる玉なんだよ。今は欠けて一部しかないけどね」
あれは二十歳の誕生日を迎えてまもないころ。
大学の春休みに実家へ帰ったとき、今は亡き祖母が渡してくれた。小さなお守りのような袋だった。
「何、それ? ばあちゃん」
「ばあちゃんのうちは大昔、神社の神主だったんだよ。そのときのご神宝さね」
「ふうん。そうなんだ。でも、なんで、兄さんじゃなくて、おれに?」
「おまえは忘れたかもしれないけどね。おまえが二、三歳のころには不思議な力があったんだよ。保より、おまえのほうが神主の力が強いんだね」
「神主ねぇ」
「おまえはこれを自分の子どもに伝えておくれ」
神主がどうのと言われてもピンと来ないが、お守りだと思えばいい。龍郎は手を伸ばし、祖母から袋を受けとった。袋が龍郎の手にふれた瞬間、あたりが真っ白に光った。あまりにも強い光だったので、稲光だったのかと思ったほどだ。
まぶしさに目を閉ざした。まぶたをあげたとき、光はおさまっていた。
だが、袋がいやに軽い。あけると、なかはカラだった。
そのかわり、龍郎の手のひらに痣のようなものが刻まれていた。痣と言っても青く透きとおり、キラキラ輝いて、なんだか宝石のようだった。すぐに薄れて消えてしまったが。
「ばあちゃん……これ?」
「不思議なことがあるものだねぇ。きっと、おまえは選ばれたんだよ」
そうだ。青蘭が言っていた変わった“匂い”。あれは、あのとき龍郎の手のなかに消えた神宝のことだったのだ。
龍郎は本能的に右手を伸ばした。
玉の吸いこまれた右手のひらを、繭子の顔に押しつけた。
ギャアアアッと悲鳴があがり、体が軽くなった。
何かの壊れる音ともに、外から寒風が吹きこんでくる。
息ができる。
せきこみながら見まわすと、繭子はいなくなっていた。窓ガラスが割れて、カーテンがひるがえっている。
しばらくして、青蘭が寝ぼけながら起きてきた。
「龍郎さん。君って、そういうプレイが趣味なの?」
「…………」
龍郎は激しく脱力した。
了
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます