第8話 忌魔島奇譚 その十



 優しげで、儚げで、龍郎がひとめで惹かれた繭子の美貌。

 そのおもては今や見る影もなかった。

 左目がつぶれ、その周囲が黒く焼けただれている。


「義姉さん……」


 龍郎が目をそむけると、繭子は笑った。

「どうしてそんな顔するの? あなたがやったことじゃない?」

「……ごめん。わざとじゃ……なかった」

「口で謝ってくれたって、わたしの顔はもとに戻らないわ」


 ズズズッと何かをひきずるような音とともに、繭子が近づいてくる。もう頰が接しそうな距離だ。

 こらえきれなくなって、龍郎は叫んだ。

「義姉さんだって、兄さんを殺したじゃないか! なんで、あんなことしたんだ?」

 即座に繭子も返してくる。

「わたしのこと、殺すつもりだったでしょ? わたしの正体を知ったから。わたしが化け物だから。殺すつもりだったじゃない?」


 言葉につまった。

 たしかに、最初に繭子の正体を探り、悪魔だと知ると殺そうとしたのは、こっちだ。あの時点では、繭子が何かをしたわけではなかった。繭子に害意があったと断定はできない。

 答えることができないでいる龍郎に、繭子は追い討ちをかけるような言葉をなげかけてくる。


「わたしたちが、なんで、こんな不便な島に隠れ住んでるかわかる? 人間に殺されるからよ。人間はわたしたちが人じゃないと知ると、狂ったように攻撃してきて命を奪う。これまで、どれだけの数の仲間が殺されたと思う? わたしたちが何もしなくたって、人間は襲ってくるじゃない? 人魚の肉は不老不死の妙薬だからと言って、仲間が狩られたことだってあるわ。わたしたちが抵抗して、何が悪いの?」


 責められると良心が痛む。

 あのとき、繭子を殺すべきだと、じっさいに龍郎たちは話していた。

 春海の母の夏海だって、人魚だと知られて村の人たちに殺された。

 人間は人間以外の生き物に対して、どこまででも残酷になれる。その裏には恐怖がひそんでいるが。

 恐ろしいから、襲われる前に襲うのだ。とはいえ、狩られる側にしてみれば、人間のほうが遥かに残虐非道な生物に映るだろう。


「すまない。そのとおりだ。でも、兄さんは義姉さんを殺すつもりはなかった。あのときだって義姉さんをかばったんだ」

「……そうね。優しい人だったもんね。保さん。嫌いじゃなかった。わたしの正体を知られさえしなければ、あの人の子どもを身ごもって、わたしはひっそり、この島へ帰るつもりだったのよ」


 子ども——そう言えば、この前も龍郎の子どもが欲しいとか言っていた。


「もしかして、そのために兄と結婚したのか?」

「そうよ。わたしたち小神の女は一生に一度だけ、島の外へ繁殖のために出ていくことを許されるの。島の外から優秀な遺伝子を持ちかえるのよ」

「なんで? 人魚の男だっているじゃないか」

「人間だって近親婚が続くと奇形や先天性の病気を持った子どもができやすくなるじゃない。それと同じ。新鮮な外の血を運んでくるのよ」


 なるほど。近親婚をさけるのは生物としての本能だ。動物ですら、近親交配をさけるために、大人になると子どもは群れから出ていき、パートナーを探す。


「一生のうち、たった一度だけの自由なの。だから……」

 ほんとに愛する人の子どもが欲しかった——と、繭子はつぶやいた。

 繭子の黒い眼窩がんかからポロポロと水晶のような涙がこぼれおちてくる。


(やっぱり……似てるんだな)


 悲しい宿命を背負った儚い人。

 そこに惹かれたのだ。

 兄の妻だと知っていながら。


 繭子の唇が、そっと龍郎の口をふさぐ。

 できれば、彼女の願いを叶えてあげたいと思った。でも、今はもう、龍郎の心のなかには別の人が住んでいる。


「……ごめん。義姉さん。それはできない。あなたが人じゃないからでも、兄の妻だからでも、嫌いだからでもない。でも、ダメなんだ」

 繭子の肩を両手でつかみ、引き離す。

 繭子はしばらく、龍郎の目をのぞきこんでいた。

「あの人のせいなの?」

「…………」


 沈黙を守っていたが、繭子は龍郎の顔を見て理解したようだ。あまり、ポーカーフェイスは得意じゃない。


「あの人はあなたにふさわしくないわ。わたしだって化け物だけど、あの人はいけない。あれは同じよ。わたしたちと同じ。化け物よ」

「違う。あいつは人間だ。ただ深く傷ついてるだけなんだ。とても深い傷を心に負ってるんだ」

「男娼よ? 夜どおし男たちに弄ばれて、女みたいに感極まってたわ」


 すっと鋭利な刃が胸に切りこんできた。その言葉が刃物のように心臓に突き刺さる。


「……それでも、青蘭を愛してるんだ」

「…………」


 じっと龍郎を見つめる繭子の瞳に、悲しげな色が宿った。

「わかったわ」


 繭子の足元から触手が伸びる。

 一瞬、龍郎はギョッとしたものの、触手は鉄格子のあいだから廊下へと這っていき、壁にかけてあった予備の鍵束をとりあげた。


「行って。あの人はきっと祭りの生贄にされる。あの人には不思議な力があるから、大神さまに捧げられると思う。その前に助けださないと」

「ありがとう」

「祭りは今夜よ。急いで」


 繭子の触手がカチリと鉄格子の鍵をひらいた。

 龍郎は急いで、廊下へかけだした。


 祭りは今夜——

 もう時間がない。

 青蘭がうまく逃げだしていればいいのだが……。

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