第8話 忌魔島奇譚 その三



 家のなかを一軒ずつ覗きながら歩いていった。


 龍郎と青蘭のあいだに真実、運命的なものがあるのだとしたら、こんなところですれ違いにはならない。

 そういう確信がある。


 家のなかには、あいかわらず、人とは思えないような何かがころがっていた。外からのわずかな光を受けて、体の表面がヌラッと鈍く輝く。

 やはり、人ではない。人魚なのだ。どれも寝ているのか、まったく動くようすはなかった。


(きっと、このなかには春海くんもいるんだろうな。あの子なら味方になってくれるかもしれないんだが……)


 もしも春海なら体が小さいからわかるはずだ。龍郎は目をこらしながら歩いていった。


 やがて、日が正中するころ、村が急にざわつきだした。家のなかでゴソゴソと動く音がし始める。人魚たちが起きてきたようだ。

 遠くのほうで家の戸がひらく音がした。マズイ。彼らの活動時間になってしまった。このままでは見つかってしまう。

 龍郎はあせって、逃げ場を探した。

 もちろん青蘭を助けたい。

 しかし、そのためには自分が捕まるわけにはいかない。捕まれば食われてしまう。


(せめて重松さんに借りて、もりくらいは持ってきとくんだったかな?)


 銛とまでは言わないが、もっとコンパクトで武器になりそうなものを携帯しておくべきだった。


 しかたないので、キョロキョロ見まわしていると、家と家のあいだに、わずかだがスキマのある場所を見つけた。龍郎一人が入りこむのが、やっとの間隙かんげきだ。子どもなら、こういう場所を通って、こっそり通りを行き来できるのかもしれない。


 まもなく、どの家の戸口もあいて、なかから住人たちが現れた。

 何よりも龍郎が無気味に感じたのは、彼らの姿が人間とまったく同じだったことだ。いや、むしろ、あたりまえの人間より、みんなちょっとばかり美しい。だが、さきほどまで暗闇のなかでいたときの彼らは、たしかに人ではなかった。人とは思えない形をして、妙な付属物がたくさんついていた。


 彼らは本性を隠すのだ。

 繭子もそうだった。

 パッと見は綺麗な女だった。


「やあ、おはよう。今日もいい天気だね」

「ほんと。いい日和。このまま天気が続いてほしいわ」

「そうだね。もうすぐお祭りだからね」

「うん。楽しみ。今年はよさそうなニエが集まってるんだってね」

「ああ。きっとオオカミさまも喜んでくださるよ」

 そんなことを話しながら、彼らは入り江のほうへ向かっていく。


「さあ、朝飯にしよう」

「昨日は大きな寒ブリがとれたよ」

「へえ。いいね。おれはカニ」

「カニも美味いよね。甲羅をつぶすときが一番好き」

「あの感触はいいね」

 なんて言ってるから、きっと海に漁へ出るのだ。入り江に船はなかったから、彼らの漁とは素潜りなのだろう。


(いいぞ。このまま、みんな留守にしてくれれば……)


 そのあいだに大っぴらに探しまわれる。朝から一生ぶんのデバガメをして、七、八十軒の家は確認した。

 あと少しだ。

 ほかに人を入れておけるようなものはないから、どこかの家屋のなかには青蘭が捕らえられているはずだ。


(もう食べられてなければ——だけど……)


 自分で考えて、龍郎はゾッとする。

 青蘭がこの世からいなくなってしまうなんて考えられない。


 神秘的な青蘭。

 謎めいた青蘭。

 誰よりも美しく、誰よりも気高い青蘭。


(青蘭の瞳のなげかけてくる謎を、おれはまだ、ちっとも解いてない。これからなんだ。おれに時間をくれよ)


 ジリジリしながら、人魚たちが漁に出ていくのを見送る。


「そうそう。士気しきたちは帰ってきた? ニエを捕まえてくるって言って出てったけど。姿を見ないね」

織都おりともいないな」

「織都は昨日、うちに戻らなかったぞ。山鳴やまなり丹尾部におべもだ」

「丹尾部は昨日、牢の見張りだったじゃないか」

「ああ、まだ交代してないのかな?」

「きっと、そうだろ」

「士気と山鳴がいれば失敗はないよ」

「それもそうだな」

 五、六人の人魚が、にぎやかに話しながら遠ざかっていく。


(牢? きっと、そこだ。青蘭はそこに閉じこめられているんだ)


 なんだかイヤなセリフをたくさん聞いた。人魚たちの村で、もうじき祭りがあるらしい。ニエというのは、おそらく、そのとき供物にする生贄のことだ。牢には、さらってきた生贄たちが入れられているのだろう。


(くそッ。生贄にするためにさらってるのか!)


 青蘭もそれに選ばれてしまったというわけか。

 だが、それは逆説的に祭りの日までは殺されないという意味だ。一縷いちるの望みはある。

 青蘭はまだ生きている。

 龍郎はわきあがる希望に、深い安堵の吐息をついた。


 それにしても、なんだか腕がくすぐったい。さっきから右の手の甲がサワサワする。虫でも這っているような?

 無意識に左手でふりはらおうとした龍郎は、思いもよらぬ感触に出会って、すくんだ。

 なんだか、やわらかい。そして、生あったかく、濡れている。


(ヒル? ナメクジ?)


 見るのが怖い。

 ヒルやナメクジにしては大きすぎる。

 いったい何が龍郎の手を這っているのか……?


 恐る恐る視線を下に移していくと、そこには……。


「うわあッ!」

 思わず叫んでいた。

 壁にあいた節目の穴から長い舌がつきだし、龍郎の手をなめている。

 壁の向こうから、くすくすと笑い声が聞こえた。


「あッ! 誰だ? おまえ?」

「人間だ!」

「人間だぞ!」

「ニエが逃げだしたのか?」

「捕まえろッ!」


 人魚たちに見つかってしまった!

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