第93話 白には出来なくても

 

 開店直後のシャルロットコーヒーは比較的、穏やかな時間が流れる。

 ポートシティ新二郷に存在するシャルロットも日によって違いこそ存在するが、まず最初に波が訪れるのは決まってポートシティがオープンする少し前だ。

 ポートシティの中でも比較的、駅側に店を構えるシャルロットの営業開始時間は午前8時と早く、朝の時間帯は年配の方々の姿が多く見られるが、中には電車の遅延で時間を潰したり、雨の日は雨宿りで来客したりとビジネスマン達にも利用されている。利用する目的はそれぞれだが最初の波はポートシティのオープン前にモーニングをとろうとする来客が多く訪れる時間なのだ。


「いらっしゃいませっ。何名様でしょうか!」


 今もまたドアベルを鳴らして訪れた来店客に満面の笑みを浮かべながら美奈が対応する。 爽やかで気持ちよく感じる美奈に来店客も知らず知らずに笑みを浮かべるなか案内される。滞りもなくすっかりこなれた働きぶりを見せる美奈は軽い足取りでデシャップに戻ると、水とおしぼりを用意して来店客へと運んでいく。


 その一連の流れをジッと見つめていたのは嘉穂だった。

 モーニング用のトーストを専用のトースターに流して既にあるオーダーをテキパキとこなしつつ、合間合間で美奈の様子を静かに伺っていた。


「おはよーございまーす……ってどうしました?」


 そんななか、裏口から姿を見せたのは玲菜であった。

 彼女もポートシティのオープンに合わせてシフトが入っていたのだろう。

 何気なく挨拶をするものの考えるように顎先に手を添えて美奈を見つめている嘉穂に気付く。


「……少し気になることがあってな」


 挨拶を返しながら、静かに答えると作業に戻っていく。

 そんな嘉穂の様子に要領を得られず玲奈は首を傾げてしまうが、すぐに着替えを始める。


(……あの違和感はなんだったんだ)


 作業をしている間も頭の中に浮かんだのは先日の夜に見かけた美奈のことだ。

 遠巻きからだったにも関わらず、彼女から強烈な違和感を感じた。

 普段の美奈からは想像がつかないような不気味さ。それでいて言い知れぬ蠱惑さがあったのだ。


 そのことについて何と問えば良いのか。その適切な言葉が出てこなかったのだ。今、こうして働いている美奈の姿を見る分には普段とさして変わらないようにも思える。

 もしもあの時、思いつめているような様子だったのだとしたらそれとなく相談に乗ろうとも思えるのだが、実際には全く正反対だったのだ。


(あぁクソ、面倒くさい……)


 元来、自分の性格というのは自他共に認める程の面倒臭がりだ。ことなかれ主義ともいって良い。

 自分に関係ない問題ならば無闇矢鱈と首を突っ込むべきではないことは分かっているはずだ。


「……辻村。最近、小山になにかあったか?」

「なにか……ですか」


 美奈がフロアに出回っている間に丁度、着替え終えた玲奈に尋ねてみる。

 少なくとも自分よりも近い距離にいるであろう玲奈であれば何かしら知っている、もしくはなにか異変に気付いていると思ったからだ。


「……まあ、悩み相談程度のことはありましたけど」


 なにかあったといえばあったが流石に嘉穂とはいえ、美奈と、そして沙耶に関して深い説明はできないと思ったのだろう。答える分には答えるがこれ以上、勝手には話せないので悩みについては追及はしないで欲しいとやんわりとしたニュアンスを込めながら話す。


「……悩み、ね」


 それは嘉穂に伝わったのか、それが何であるのかまでは詮索はしなかった。


「……まあ……愚痴ぐらいなら私も聞いてやりたいもんだがな」


 だがそれでも美奈への引っかかりは単なる好奇心ではないのだろう。

 美奈を案ずる言葉から感じ取れる思い遣りは玲奈にも伝わったようで彼女は僅かに驚いたように目を見開いた後、クスリと微笑んだ。


「あっ、玲奈ちゃん、おはよーっ」

「おはようー」


 丁度デシャップに戻ってきた美奈は玲奈に気付いて挨拶を交わす。

 その姿を横目にトースターに流しておいたモーニング用トーストもこんがり小麦色の焼き色がつき、バターを塗ってパンバスケットに納めると湯煎しておいたコーヒーカップを取り出す。


「なあ、小山」


 器にコーヒーを注ぎ、茶褐色の液体が溜まっていくなか待機している美奈に声をかける。

 オーダー運びの指名というよりは話を振るニュアンスで声をかけられ、「なんですか」と何気なく反応すると……。


「コーヒーはブラック派か?」

「拘りはないですけどアイスコーヒーとかはブラックが多いですね」


 シャルロットに勤めてから早一年になるが、こんなことを聞かれたのは初めてだ。

 しかも何故、玲奈を含めてではなくわざわざ自分だけに聞いてきたのか、その真意が分からぬまま嘉穂の問いかけに答える。


「私も似たようなもんだが疲れた時とかは甘めのミルクコーヒーなんかを飲んだりしてるな」


 カップにコーヒーを注ぎ終え、湯気が立ち上るなかポットを片手に彼女は普段の気怠るさとは違い、穏やかにそしてどこか諭すように言葉を紡ぐ。


「真っ黒なコーヒーもミルク一つで色を変える。気紛れでたまに和らげてみりゃ普段とは違う発見もあるもんだぞ」


 彼女の性分に拠るところなのだろうか、どこか回りくどい助言をされてしまう。

 だが美奈にとってそれが何故、助言のように感じ取れたのかはその言葉に不器用な優しさと温もりがあったからだろう。


「嘉穂さんは不器用なんだよ。でもそれ以上にお節介だから、話せば幾らでもちゃんと向き合ってくれるんじゃないかな」


 それ以上のことを言わずに次のオーダーに取り掛かる嘉穂に美奈はどういうことなのだろうか、と近くにいる玲奈を見れば、話は耳にしていたのであろう彼女は優しく微笑んでそっと耳打ちする。


「話って?」

「そりゃあ話したいことだよ。今はなくても気紛れでたまに、ね? きっと美奈ともっと仲良くなりたいんじゃないかな」


 とはいえ世間話程度の話はしても、これといって話すような内容はない為、結局首を傾げてしまう。そんな美奈に玲奈は諭すような物言いで話を聞く中で感じた嘉穂の想いを話す。


 純粋に玲奈は嬉しかった。

 美奈が啓基や沙耶を発端としてここ数ヶ月の間、ちょくちょく悩んでいるのは何より近くで感じていた。そんな悩める大切な親友に不器用ながらでも手を差し伸べようとする嘉穂の行動が嬉しかったのだ。


「ほら、冷める前に運べ」


 とはいえ不器用だからこそあのような素直ではない物言いになってしまったので当の嘉穂からはそれ以上、余計なことは話すなとばかりに促され、「はーい」と玲奈は別の仕事に取り掛かり、美奈はオーダーを運ぶ。


(……わざわざ話したいことなんて)


 何故、わざわざあんなことを言ってきたのか。

 玲奈の言う通りだったとしても、今更改まって話すこともないし嘉穂との関係も良好なものを築けていると自負しているつもりだ。


 しかし何故だろう。

 脳裏には一瞬だけ沙耶の顔が浮かぶ。

 それはここ最近、見せる自分に対してもどかしさを感じさせるような悲しみを帯びた表情だった。


 ・・・


 普段、深くは話さないような人物と話をすることで見えてくるものがあるかもしれない。人それぞれの価値観を持つからこそその感性に触れて考えさせられることもあるはずだ。


 啓基と沙耶。

 この二人はまさにそうなのだろう。

 和解して美奈と沙耶との関係は理解してはいるものの同性愛に関してはいまだ首を傾げてしまう部分もある啓基とそもそもこの関係を理解してもらわなくても美奈がいれば良いと考えていた沙耶。


 そもそも美奈という存在があったからこその関係だった二人だ。

 以前よりはマシになったとはいえ、まだ距離感があることは否めない。

 しかしそれでも沙耶はあえて啓基を呼び出したのだ。それはやはり一時は美奈を巡って確執があったからこそ、そこから導き出される考えに深く触れようと思ったからだ。


「……」

「……えー……と」

「……」


 最も普段からあまり深くは話さないせいで啓基を呼び出して以降、会話らしい会話がまだないのだが。

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