第67話 アナタがいなければ生きられないから

 

 潮に流され、美奈と沙耶の乗っているボートは近くの小島に流れ着いた。小島に上陸した二人は何とか浜辺にボートを押し上げて、重しを置く事でボートをその場に固定すると美奈は率先するように浜辺を歩いて周囲を見渡す。


 特に何の変哲もないただの小島だ。

 白灰色に輝く浜辺から続く島の奥には森林が広がっており、蝉や鳥の鳴き声が遠巻きに聞こえてくる。とはいえ、自分達は肌の露出が多い水着を着用している。この小島に流されたのも半ば事故なので、わざわざ森林に入って行く理由もない。今は必要以上の行動をしない方が得策だろうと、美奈は太陽の熱によってほんのりと温かい砂浜に腰掛ける。


「しばらくここで待ってようか」


 遠くに見えるビーチを眺めながら、美奈は隣に座った沙耶に笑いかける。だが対して沙耶からの反応はない。彼女はずっと暗い表情で俯いているからだ。


 その理由を美奈は何となしに察しはついている。


 彼女のことだ。

 きっとこうなった責任を感じているのだろう。


「大丈夫だよ、ちゃんと迎えに来てくれるって言ってたじゃん」

「そういう問題では……」


 別に沙耶を責める気なんてない。

 自分だってもっと注意を払っていれば、こうならなかったなど反省すべき点はある。


 しかしそれは全て過去の話だ。

 過去の事を考えて、ifを唱えたところで何の意味もないのだ。

 だからこそ、まさしく今を考えなくてはいけない。


 それに貸しボートを借りる際にも潮の流れについて注意された時に貸し時間が過ぎても戻ってこなければ、よく流れ着くこの小島に迎えに来てくれると言われた。だから流されたとはいえ、あまり悲観することなく希望を持っていられるだろう。


 だがやはり沙耶からしてみれば、愛する美奈を自身の不手際のせいでこんな目に遭わせてしまった事で自責の念に駆られているようで、中々その表情は明るくはならない。


 美奈は全く責め立てるような事もせず、沙耶を慰めているのだ。

 だからこそ余計に申し訳なく感じてしまうのだろう。


「もぅ……」


 そんな沙耶に美奈は厄介事のようにため息をついてしまい、俯いていた沙耶は身を震わせる。


「あんまりクヨクヨしないの」


 美奈の溜息に固唾を飲み、更に居心地の悪さを感じてしまう。

 だがそんな俯く沙耶の頭を横から伸ばされた手は優しく包み込むように抱きしめる。

 柔らかく温かな感触が広がるなか、幼い子供に注意するように優しい声色が沙耶の耳に届く。


「顔を上げて、沙耶ちゃん」


 沙耶の頭を抱く両腕が僅かに緩まる。

 美奈に言われたまま沙耶が顔を上げた瞬間、自身の唇に柔らかな感触が広がる。


 突然の美奈からのキスに驚くものの、軽いフレンチキスをした美奈はゆっくりと沙耶から顔を離す。もう沙耶とは幾度となくキスをしているが、それでもやはりまだ恥ずかしい部分もあるようで、その頬はほんのりと朱く染まっていた。


「こういう時はいつまでも俯いてたって仕方ないよ」


 熱を帯びた頬を冷ますかのように姿勢を上げた美奈は沙耶の頭に顔を乗せながら頭を撫でる。

 もう沙耶も反省も自責もいくらでもしたはず。

 もうそんな事はしなくて良いのだ。


「私は沙耶ちゃんとだったら、どこだって大丈夫……。笑ってられる」


 ほんの少し前に沙耶は言っていた。

 美奈と一緒にいられるのならどこでも幸せだと。

 自分もあの時、同じ想いで答えたし、それは今、こんな小島に流されたとしても変わりはない。


「沙耶ちゃんは……どうかな……?」


 乗せていた顔を離し、顔を上げた沙耶の瞳を一点に見据えながら尋ねる。

 沙耶のあの時の言葉を嘘だとは思っていない。

 だからこそ今の彼女を少しでも元気付けようと聞いたのだ。


『沙耶ちゃん』


 再び沙耶の脳裏に幼い時の記憶が甦る。

 自分を沙耶ちゃんと呼ぶ大人の女性が優しく自分の撫でてくれた温かな記憶。


 もうその人物に会う事は叶わない。

 その人物が与えてくれた温かさはもう味わうことは出来ない。

 だがそれでも……。


「……私も……同じです」


 自分を抱きしめてくれる美奈の背中に手を回し、彼女の胸に顔を埋める。

 体いっぱいに美奈の心地の良い温もりが広がっていく。


 それだけではない。

 ドクンッドクンッと脈打つ美奈の鼓動が伝わってくる。

 この鼓動こそが生ある美奈の温もりを表す何よりの証明で不思議とこの鼓動を聞いていると、落ち着いてくるのだ。


「……アナタがいるだけで……私は救われる……っ」


 この温もりは自分だけのものだ。

 そう思ってしまうほど、美奈が愛おしい。

 こんなことになっても一切、怒る事も責める事もしない美奈のその優しさに沙耶の心は温かな気持ちが満たしていき、胸が熱くなっていくのを感じる。


(……きっと沙耶ちゃんにも抱えてるモノがあるんだと思う)


 美奈に手を回した沙耶の力が強まっていく。

 それは決して美奈を離さないと言わんばかりに。


 美奈は気づいている。沙耶の声色が震えているのを。いや、声だけではない。沙耶の体も震えているのだ。


 元々、潮に流された発端ともなったのは沙耶が涙を流したから。沙耶の反応を見る限り、あれはきっと無意識のものなのだろう。だがそれでもあの涙を流したのは理由がある筈だ。


(……いつかはそれを分け与えてくれると良いな)


 沙耶は自身の弱みを明かすことをあまりしたがらない。

 それが弱さだと認識しているからこそ明かすことが嫌なのだろう。少なくとも美奈が沙耶の弱さや悩みを聞いたのは、自分への想いで苦しんでいた時のことぐらいだ。それ以降もそれ以前も沙耶の抱える弱さを美奈は知らない。


 でもそれを聞き出すことも問いただす真似もしたくない。

 あくまでそれは沙耶自身が明かしてくれるのを待つつもりだし、もしその前に限界が来るようならばその時は手を差し伸べて聞くつもりだ。


 啓基との一時的な仲違いがあった時も沙耶はずっと自分を支えてくれた。だから自分も沙耶にそうでありたい。沙耶が抱えているものがあるのなら、それを共に背負って彼女を支えたい。それに例え沙耶が抱えるモノが分からなくとも、少しでも何かしらで沙耶を支える事だって出来る筈だ。


 だから今はただ待つ。

 それまでの間は少しでも彼女が安心できるように少しでも温もりを与えていたい。沙耶は一人ではないんだと言う事を分かってもらうために。


 自分の行動が沙耶の心を救う最善なのかは分からない。

 だがそれでも美奈は沙耶の震えが収まるまでずっと彼女を抱きしめ続ける。

 震えが収まっても、ビーチからの迎えが来るまでずっと沙耶の傍らに寄りそうのであった。

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