第68話 咲き散る花

 

「み”ぃ”に”ぁ”ち”ゃ”ぁ”ぁ”ん”!”!” ざ”や”ち”ゃ”ぁ”ぁ”ん”!”!”」


 陽が沈み、昼間の喧騒が嘘だったかのようにビーチにいる人々は疎らになっている。

 時刻はもはや夕暮れ過ぎとなってしまい、空は茜色に染まっている。そんな空の下で涙声を交えながら未希は美奈に抱き着き、その胸に顔を埋めていた。結局、あの小島に流されてから迎えの船によって、このビーチに戻ってくるまでにかなりの時間を要してしまった。


 当然、連絡も取れなかった玲菜と未希は美奈と沙耶の二人を心配していたのは想像に難くない。昼間は新品のように綺麗だった二人のビーチサンダルとその素足は砂に塗れて汚れていた。


「ゴメンね、二人とも……。心配かけて……」

「……誠に申し訳ありませんでした」


 わんわんと美奈に抱き着いて安堵の涙を流している未希の背中を撫でながら、美奈は玲菜と未希の二人に謝り、沙耶も美奈に続くように頭を下げる。


 確かに美奈は沙耶に気にしていないような旨の言葉を送った。だが今回、海に来たのは自分達二人だけではない。迷惑をかけてしまった玲菜と未希にはちゃんと謝らなくてはならない。


「まったくもぅ……っ!」


 二人の謝罪を受けた玲菜は目を閉じたまま、心底吐き出すような不機嫌そうなため息をつき、その溜息に美奈はピクリと震えてしまうが、それは仕方がないことだと下唇を噛む。


「ほんっっとうに心配したんだからねっ!」


 言葉に怒気を含ませながら、玲菜は鋭い視線を美奈と沙耶に向ける。

 美奈と沙耶はその視線に居心地の悪そうに視線を伏せると、玲菜は二人に歩み寄り……。


「でも……無事ていてくれて……本当に良かった……っ!!」


 そのまま美奈と沙耶の二人の肩に手を回して纏めて抱きしめる。小島に流されたのは潮の影響だと言う事は玲菜も知っている。だがこうして二人と再会するまで、どれだけのことが頭に浮かび、自分達に何が出来るのかと考えたのだろうか。


 もうそうなっては海を満喫、なんてどころではない。

 未希と二人であちこちを駆け回って少しでも自分に出来る事をしたのだ。時間が経てば経つほど、頭の中には最悪な結末が浮かんでいき、その考えを振り払う為にも動かずにはいられなかった。だからこそこうやって今、二人に再会して心から安心した玲菜は先程まで纏っていた怒りの雰囲気を消して、今にも泣き出しそうな声で本心を明かす。


 言葉通りだ。

 無事でいてくれて、そして何よりこうやってまた触れ合う事が出来て本当に良かったと思える。


 自分達を心から心配してくれる玲菜と未希の想いに触れた美奈は胸が熱くなってくるのを感じる。

 いや、美奈だけではない。こうして玲菜に抱きしめられている沙耶もあまり接点もない筈なのに、こうして安堵から抱きしめてまで心配してくれていた二人に少なからず思うところがあるのだろう。美奈のように瞳を潤ませ、その目尻に涙を溜めるようなことはしなくても、顔を俯かせ、その身体は確かに震えていた。


「……さて、いつまでも湿っぽい事はしてらんないね」


 しばらく抱き合って、どれだけの時間が過ぎただろうか。

 だが少なくとも確かにそこにいるんだと実感できるほど互いの温もりを感じ合うと、一番に落ち着ついた玲菜が美奈達から離れていき、目尻に溜った涙を指先でさっと拭いながら声を上げる。


「そろそろ着替えてさ。帰り支度しよっか」


 もう夕方で空は先程よりも暗くなっている。

 流石にいつまでも水着姿ではいられないだろうと玲菜の言葉に美奈と沙耶は頷く。


「ほら未希? そろそろ離れてさ。行くよ?」

「じ”ょ”ん”ご”と”い”っ”だ”っ”で”ぇ”っ”!”!”ほ”ん”ど”ぅ”に”よ”が”っ”だ”よ”ぉ”ぉ”ぉ”っ”っ”!”!”!”!”」


 しかし未希はいつまで経っても美奈の腹部をがっちりと抱えたまま、動く気配がない。

 見かねた玲菜が未希の背に手をかけながら彼女に声をかける。だが未希はまだ泣いていたのか、その目を真っ赤に腫らせながら相変わらず涙声を交えて叫ぶとまた美奈の腹部に顔を埋めてしまう。元々、子供っぽい未希ではあるが、こういった姿を見ると余計に手がかかる子供を思わせてしまう。


 だが今回ばかりは仕方ないだろう。

 美奈達は顔を見合わせて苦笑するのであった。


 ・・・


 シャワーを浴びて、着替え終えた美奈達が脱衣所を出ると空はすっかり暗くなっていた。早速、帰ろうかと帰りの電車に乗る為に駅へ向かおうとするが、唐突に空が眩く光り、美奈達を照らす。


「わぁっ! 花火っ!!」


 空に目を向ければ、遠巻きに色鮮やかな光の華が咲いており、未希が表情を輝かせる。

 浜辺には昼間ほどではないにしろ、人で賑わっており、皆、打ち上がる花火を見て口々に感嘆の声を漏らしている。どうやら今日、この地域では花火大会だったようだ。


「綺麗だねぇ」

「うん、なんだか青春って感じ」


 誰が言ったわけでもないが、帰る前に見て行こうと海岸の手すりに手をかけながら空に咲く大輪の花火を眺め、玲菜と美奈は惚れ惚れとした様子だ。


「うぃあーざわーるどっうぃあーざちーるどれぇんっ」

「なにいきなり?」


 すると花火を眺めていた未希が唐突に小刻みに体を揺らしながら非常に聞き覚えのある歌を歌い始め、玲菜は苦笑しながら尋ねるが、未希はお構いなしに歌い続ける。


「うぃあーざわんっあっはははぁんはんっはっはははぁんっ」

「歌詞分かんないなら止めなよ……」


 しかし途中から鼻歌に切り替わってしまい、思わず玲菜はツッコミのような嘆息をしてしまう。


「もぅっ! じゃあ玲菜ちゃんが青春っぽい歌を歌ってよ!」

「なんでよ」

「今日と言う日は二度とないの! 青春の一ページを彩るんだよっ! さぁハリーハリーハリー!!」


 流石に自分でもこれ以上は無理だと判断したのかツッコミを入れてくる玲菜に文句を言い始める未希。だが未希の物言いには何故、付き合わなくてはならないのかと至極真っ当な疑問を口にする玲菜だが、未希は聞く耳持たず玲菜に歌わせようと急かす。


「な、なーつがすーぎー……?」

「……夏といえばでその歌にするの止めない?」

「未希が歌えって言ったんでしょ!」


 仕方なしに若干、照れ臭そうながら歌い始める玲菜だが、白い目で言い放った未希に流石に我慢の限界が来たのか、きゃーきゃー!と未希と玲菜の二人は追いかけっこをしていた。


「……綺麗ですね」


 未希と玲菜の様子を眺めながら苦笑していた美奈だが、ふと隣に立っていた沙耶が静かに口を開く。声に気づいた美奈が隣の沙耶を見やれば、沙耶はただ一点に空を彩る花火を見つめていた。


「不思議です。今まで花火を見ていて、こんな風に見惚れる事なんてありませんでしたから」


 表情こそいつものように平静に見えるが、沙耶は咲き散る花火から視線を逸らす事をしない。それだけ彼女が花火に夢中になっている証であろう。


「……愛する人と共有するのなら、全てが色鮮やかに映ります」


 こういった言葉を沙耶は躊躇なく口にする。

 沙耶にそう言われるととても嬉しいのだが、何だか気恥ずかしさを感じてしまう。しまりのない表情で頬を紅潮させる美奈は顔を俯かせると、不意に沙耶のか細い手が美奈の手を握り、沙耶のほんのりとした体温が美奈の小さな手に広がっていく。


「……だったら、これからもずっーと二人で色んなモノを見て行こうね」


 沙耶の体温を感じると照れ臭い気持ちもスッと引いていった。

 だからこそちゃんと恥ずかしさもなく、沙耶の言葉に本心で返せる。偽りもなく美奈は隣の沙耶に幸せそうな笑みを見せながら、真っ直ぐな言葉を送ると沙耶も美奈につられるように微笑み、はい、と確かに頷くのであった。


 ・・・


 花火大会を終え、ようやく二郷に帰って来たのは夜の九時過ぎになってしまった。

 美奈達と別れた沙耶は目前に迫る自身の家を見つめながら、今日の出来事を振り返る。


 元々、人と遊ぶことがあまりない沙耶。

 だが今日は美奈だけではなく、その友人である玲菜と未希と更に距離を縮めた気がするのだ。


(……電気が)


 自宅の前に立った時、室内のリビングの照明が点灯している事に気づく。

 この家には半ば自分だけしか住んでいない。


 考えられる事は……。


 沙耶は足早に玄関を開くとビーチサンダルを脱いで、リビングに足を踏み入れる。


「……っ」


 リビングにはスーツ姿の一人の男性の姿があった。

 白髪交じりにキリッとした精悍な顔立ちは中年男性の渋みを思う存分に発揮している。


 だが沙耶は渋みのある男性を見て、動揺したように息を飲んでいた。


「随分と遅かったじゃないか」


 男性はその鷹のような鋭い目を沙耶に向けながら声をかける。

 この男性こそ沙耶の父親である寺内純一郎だったのだ。

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