第55話 私の知らない温もり

 

「昌弘さん、今日はありがとうございましたっ!」

「おう、気を付けて帰るんだぞ」


 時刻として15時を回り、賑やかだったバーベキューも終わりの時が来た。

 片付けを手伝った美奈達も後は帰るだけとなり、改めて昌弘に礼を言うと昌弘も軽く手を振って答え、そのまま現地解散となった。


「楽しかったねー。お腹も一杯だし」


 まだ熱は醒めてないのか、先程のバーベキューを思い出しては満腹感の感じる腹部を軽く撫でて隣を歩く沙耶に笑いかける美奈。しかし当の沙耶は目を伏せて、何か考え込んでいて反応がなかった。


「沙耶ちゃん?」

「……っ! え、ええ……。そうですね、久しぶりに多くを食べました」


 そんな沙耶を怪訝に思った美奈は沙耶の顔を覗き込みながら声をかけるといきなり視界に美奈の顔が映ったことで沙耶はハッと目を開いて驚く。


 一応聞こえてはいたのだろう。

 先程の美奈の問いかけに平静を取り戻しながら答える。


「そう言えば、沙耶ちゃんもあんまり食べる方じゃないもんね。ダメだよ、ちゃんと食べないと」

「無駄な肉をつけるよりはいいと思いますが」


 先程までの沙耶も単にぼーっとしていただけなのだろうと考えた美奈はそのまま普段の沙耶の食べる量を思い出しながら注意する。学園などで見る沙耶の弁当は必要最低限の栄養に気を使ってはいるのだろうが、それでも自分や他の女子と比べても小食であろう。


 しかし沙耶は余計なお世話だと言わんばかりにチラリと美奈の下腹部を見やりながら、あなたが言うなとばかりに答える。


「わ、わたし……最近、お肉ついてる……?」

「ほんの僅かに増えましたね。見た目で分からなくても身体に触れていると良く分かります」


 下腹部に注がれた沙耶の視線に気づいた美奈は隠すようにして下腹部に手を回すと、冷や汗を流しながら尋ねる。やはり女子にとって体重の類はデリケートな問題なのだろう。


 外見だけど判断するならば美奈のスタイルはいつもと変わらないが、実際に抱きしめた時にでも分かるのだろう。沙耶のその静かな物言いはグサリと音を立てるかのように言葉の棘となって美奈の心に突き刺さると堪らず美奈はうああぁー、と一人青ざめて両手で顔を覆って空を仰いでいる。そんな美奈を横目に沙耶は苦笑交じりに微笑むものの、すぐに先程のように視線を伏せて考え込むのであった……。


 ・・・


「沙耶ちゃん、ばいばーいっ」

「はい、お気をつけて」


 共に帰っていた美奈と沙耶だが、漸く沙耶の自宅に到着し、手を振って別れを告げる美奈に沙耶もその姿が見えなくなるまで見送ると玄関の扉を開いて帰宅する。


 玄関に足を踏み入れれば、痛々しいくらいどこまでの静寂が包み込む空間が広がっていく。明かりも何もついてはおらず、それが余計に人の気配のないこの孤独感を助長させる。


 しかしそれは沙耶にとっていつものこと。

 この家で一人でいることにももう慣れているのだ。しばらく玄関から見える家の様子を眺めていた沙耶だが、一度目を瞑って一息つくと靴を脱いで足を踏み入れる。


(……家族か)


 自分しかいないこの家では自分が起こす物音だけが虚しく響いていく。

 いや寧ろ物音よりも外から聞こえる虫の鳴き声や環境音の方が響いて聞こえてくるほどだ。そんな中、リビングに足を踏み入れた沙耶は壁際の棚の上に飾られている写真立てを手に取る。そこに映っていたのはまだ幼い自分とそんな自分を抱いて幸せそうに微笑みを投げかけてくれる両親の姿が。


(……こんな笑顔、私の記憶にはない……)


 自身の面影のある母はもう亡くなってしまっている。

 それは仕方のない事だが、沙耶の視線はまだ存命である写真に写る若き頃の父に注がれる。母が亡くなってから笑う事もこの家にいることも少なくなった父。そんな父もこの写真では母親が抱く自身に笑いかけている。だがこれは物心つく前の写真であり、今の自分には思い起こせるだけの父の笑顔というものはない。


(ここに映っている温もりも……私には分からない)


 ふと先程までの葉山家の兄弟達を思い出す。

 兄弟仲がとても良好なのだろう。

 傍から見ても温かで楽しそうだったのをとても覚えている。あれは家族だからこその温かさなのだろう。そしてこの写真に写る家族の姿にも温かさを感じられる。


 だがこの写真に自分は知らない。

 この写真に映っている自分に向けられる温かさだと言うのに。

 今の沙耶に家族の温かさは理解は出来ないものだった。


(……美奈ちゃん)


 ただ唯一、自分が知っている温もりがある。

 小山美奈という温もり。


 彼女の太陽のような存在は自分には何より代えがたい温もりなのだ。

 彼女がいなければこの世界に存在している意味もないほどに。


 しかし今、美奈はここにはいない。

 美奈に今すぐ会いたいという衝動に駆られるが、それを抑え、これ以上の思考を停止させるようにソファーに倒れ込むのであった……。

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