第3話 全てを壊すキス

『返事は……今じゃなくてもいいよ……。だから……ちゃんと考えて欲しい』


 啓基からの告白から翌日、今日は土曜日だ。

 窓から差し込む心地の良い日差しを受けながら美奈はベッドに腰掛けていた。普段は起きてから数分は寝転がっている彼女だが、今日に限ってはいつも以上に早く起きてはすぐに行動し、今も朝食を取り終えて着替えも済ませていた。


 沙耶との約束の時間まで、まだ十二分に余裕がある。今日は近所の沙耶の家を待ち合わせの場に、そのまま二人で出かける予定だ。だが今は沙耶との予定よりも美奈の頭の中にはずっと啓基からの告白の言葉が駆け巡っていたのだ。


 しかしいくら考えても今までずっと友人、もしくは兄か弟程度にしか考えてなかった存在だ。それを今更、異性として見るのは中々難しい。果たして交際を始めたとしてどこがどう変わっているのか全く見えてこないのだ。


(でも……やっぱりキスとか……するんだよね……)


 指先で柔らかい唇に触れながら恋人らしい行動を考え、それを啓基と自分が行っている姿を想像する。


 ……無理だった。


 途端にカァッと込み上がった熱を冷ますように、そのまま掛布団の上に突っ伏してしまう。確かに啓基はその端正な顔立ちやスタイルの良い高身長から女子人気は高いし、そんな相手が彼氏ともなれば自慢にもなるだろう。それでも啓基を異性として見ていなかった為、どうにもいきなり男女の関係と言うものが、すぐには受け入れがたいところが正直なところだった。


「美奈ー? 沙耶ちゃんが迎えに来ているわよー?」


 そんな美奈に一階の廊下から母親が大きな声で沙耶が来ている事を伝える。遠巻きに聞こえる母の言葉に反応した美奈は沙耶が自分の家に来るのは珍しいとベッドから降りて窓から玄関の様子を見やる。


 確かにそこには沙耶がいた。

 まだこちらには気づいていないようだが、パンツスタイルにシックな私服で纏め、服装に合うバックを持って門扉の前に立つ姿は間違いなく沙耶だった。


 近所とはいえ何故、わざわざ沙耶が自分の家に? 目的の場所には駅を利用する為、沙耶の家からの方が近い筈だ。そもそも行くにしたって明らかに時間は早い。沙耶は一体、何をしに来たのか?


 様々な疑問が次々に浮かび上がるが、実際に沙耶は家の前にいる為に彼女を待たせぬようにと足早に階段を駆け下りて履き易いサンドルを履いて外に出る。


「お、おはよう……」

「おはようございます、朝から随分と間抜け面ですね」


 何用で沙耶は来たのか、気にはなるがまずは挨拶をしようとおずおずとしながら朝の挨拶をする。そんな美奈の顔を見ながら相も変わらないすました顔で毒舌を交えて沙耶も挨拶を返す。中学辺りから沙耶はずっとこの調子で今では毒舌や普段の態度からか友人らしい友人を見た覚えがない。


「今日行く場所は混む筈です。だから予定よりも早く向かおうと思って迎えに来ました」


 沙耶の毒舌交じりの挨拶に苦笑しながら、用件を尋ねるように沙耶を見る美奈にここに訪れた目的を話す。どうやら言葉通り、早めに向かう為にわざわざ迎えに来たようだ。確かに今日、これから沙耶と向かう場所は混雑が予想される場所だ。だからと言ってそんな事は美奈だって分かってはいる。その為の時間設定もしたつもりだ。


「だったらスマホ辺りに連絡してくれても……」

「……そうしたら前に寝坊してきたのは誰ですか? 来たのは起きてるか確認も兼ねてです」


 今ひとつ不可解な沙耶の行動を疑問に思ってか片手を頬に置きながら首を傾げる。予定の変更ならば、わざわざ駅から反対側の自分の家まで来なくたってスマートフォンに連絡してもらえば済む話だ。しかし前例があるのか、どの口が言うのだと呆れの篭った目でじっと見られ、視線が耐え切れなくなった美奈は「あははっ……」と乾いた笑みを浮かべながら誤魔化すように顔を逸らして、ポリポリと頬を掻く。


「ごめん、ちょっと待ってて……」


 とはいえ折角、家まで誘いに来てくれたのだ。断る理由もないし、早く出るのは構わない。少し早い気もするが、美奈は身支度を整える為に一旦自室へと戻る。

 残された沙耶は自室へ戻る為に閉められた玄関のドアを一瞥して腕時計を見やる。まだ時間はあるが、だからこそ余裕を持って向かいたい。


『美奈、俺と付き合ってほしい……。美奈が好きなんだ』


 美奈を待つ間、沙耶の頭には啓基の美奈への告白の言葉が過る。


 沙耶は聞こえていたのだ。

 啓基が美奈に告白しているのをしっかりと。


 だがそれは沙耶にとって少しでも思い出したくもない事なのか、顔を俯かせ心底忌々しそうに歯軋りをする。もしかして予定よりも早く美奈を迎えに来たのは、一人でいればこの事を思い出してしまうからなのかもしれない。


「沙耶ちゃんが来たと思ったら、一緒に遊ぶ予定だったのか」

「うーん……ちょっと違うんだけど……、まぁ良いや、行ってきます!」


 鞄を取って下りてきた美奈は外出の前の挨拶として一度、リビングに顔を出すと母から話を聞いた父がわざわざ家までやって来た沙耶のことで話しかける。だが、そもそもこの場を待ち合わせにしていないので何とも言えないのだが、あまり長い間、外で沙耶を待たせるのも気が引ける為、すぐに家を出た。


 ・・・


「やっぱり多いなぁ」


 その後、沙耶と電車に乗って移動した美奈は秋葉原にやって来ていた。駅を出て、沙耶と並んで歩きながら駅からすぐ傍の目的地とその周辺で並んでいる人の列を見てぼやく。


 美奈と沙耶の二人が来たのは日本を代表するゲーム会社が経営するカフェだ。ここでは時期によってゲームとコラボして店内の内装を変えたりと話題になっている店なのだ。今日、そんな場所にわざわざ来た理由は美奈にある。


「ごめんね、本当は違う友達と来る予定だったんだけど。急用が入っちゃったみたいでさ。予約制でチケットも取っちゃったから勿体なくって」

「……別に構いませんよ、ただ……まだなんですかね」


 沙耶は人混みや行列は嫌いなのか眉間を寄せ腕を組むように両手で両肘を持ちながら並んでいる。そんな彼女に美奈は少し申し訳なさそうに謝りながら今日、この場に沙耶を誘った理由を話す。実は今日は美奈がいつもプレイしているスマホゲームであるブレイブストライカーとコラボしていて店舗の外装にはスマホゲームに登場するキャラクターの立ち絵が張られている。


 プレイしている美奈も興味があり前々から一人で行くのも寂しいと共通の趣味を持つ未希と訪れる予定を立てていた訳だが、家の用事の為に急遽来れなくなってしまい、持て余したチケットが勿体ないと沙耶を誘ったのだ。


 沙耶はこのスマホゲームに関しては自分がやっている程度しか知らないので駄目元で誘ってみたところ、すんなりと受けてくれた時は驚いたものだが半面、嬉しかったりもした。


「うーん……。だったら沙耶ちゃんもこのゲームやってみる? このゲーム面白いんだよー。なんなら招待送るよ?」

「……そうやって招待特典が手に入れるつもりなんですね?」


 折角、わざわざ誘いに乗ってくれて嫌いな行列も一緒に並んでてくれているのだ。ならばせめて順番に席を案内される時まで沙耶と話をして、少しでも気を紛らわせようと思い、場所も場所の為、そのスマホゲームの話題を選ぶ。どうせならこの機会に沙耶にもやってみないかと誘ってみるのだが、沙耶は横目に自分をダシに使うつもりかと胡散臭いものを見るように美奈を見た為、慌てて「違うよー!」と否定するのであった。


 ・・・


「楽しかったなーっ」


 時刻は淡い赤で染まった夕暮れ時。少し肌寒さも感じる中、カフェを堪能し秋葉原も散策した後、家の最寄駅まで帰って来た美奈と沙耶は途中まで一緒に帰る為に駅から歩いて丁度人通りの少ない橋の上を渡っていた。元々言い出しっぺである美奈は心底。今日の休日を充実させていたのかカフェで購入にしたグッズが入ったバックを見ながらほくほくとした顔だ。


 しかし楽しかった理由はそれだけではない。


「……私、嬉しかったんだ。沙耶ちゃん、中学上がった辺りから敬語使い始めて……ちょっと寂しかったんだけど……でも今日、こうやって一日中遊んでやっぱ沙耶ちゃんは沙耶ちゃんなんだなぁって思ったんだ」


 何故なら今日と言う日を沙耶と一緒に過ごせた事もあった。美奈の言葉通り、沙耶は突然、中学に入学した辺りで美奈達に対して敬語を使い始めた。「先輩後輩としてちゃんと区切った方が良い」という理由も納得し難いし、寂しいながらそのまま過ごしていたのだが、今日一緒に遊んで沙耶は美奈が知る沙耶のままなんだと改めて実感したのだ。そんな思いを空を見上げながら話す美奈だが一方で沙耶の表情は眉を寄せ、どこか雰囲気も不機嫌なものに変わっていく。


「……ねぇ沙耶ちゃん……。私ね、ケーキに告白されたんだ」


 意を決したように一瞬、目を閉じた美奈の口から突然、啓基からの告白の話題が話され、沙耶は目を開いて、その瞳が揺れ動く。まるでそれは今まであえて目を背けていたものを強引に突きつけられたかのように。


「……最初はただの友達と思ってたし、付き合って何が変わるのかとも思ったんだけど……。でも……ケーキなら良いかなって考えたんだ」


 様子が変わっていった沙耶に気づかず、啓基の告白の時を思い出しているのか柔らかな夕暮れに照らされながら少しはにかんで照れ臭そうに話す美奈の姿はさながら乙女のようだ。


「この事はね、沙耶ちゃんだけに話したんだよ? だって沙耶ちゃんは一番の親友だからっ!」


 啓基からの交際の申し込みを受けるつもりなのだろう。この事は誰よりも一番の親友だと思っている沙耶に始めて打ち明けたようだ。


「……どうしたの……?」


 しかし話をしていくうちに段々と沙耶の足取りは重くなり、やがては立ち止まってしまう。気がついて、なにかあったのだろうか、と怪訝そうに振り返って沙耶を見るが、俯いた彼女から表情は読み取れず、吹き行く風が肌を寒々しく感じさせる。


「……私は私なんだ……? 一番の親友……? 笑わせないでください」


 ふと俯いていた顔をあげたそこには冷笑しながら美奈を見る沙耶がいた。その顔を見て、ゾクリとしたものを背筋に感じて体を震わす。


 間違いなく沙耶から感じるのは怒りの感情だ。沙耶は愛想はないがそれでも怒る事はあまりない。しかし今、沙耶は確実に怒っているのだ。


「貴女は私のなにを知っているんですか? 私が……貴女をどう思ってたのかも知らないくせに……」

「さ……沙耶ちゃん……?」


 決して眼だけは笑う事もなく、シニカルに笑いながらゆっくりとこちらに近づいてくる。思わず後ずさりしたくなるような恐怖感が美奈を襲うが蛇に睨まれたカエルのように一歩も動く事は出来ない。


 目の前にいるのは本当に自分が知っている沙耶なのか? 汗ばみ怯えながら震える口で沙耶の名を呼ぶが、沙耶はまるで幽鬼のように静かに近づいてくる。



 まさに目の前まで沙耶は来た。


 一体、なにをされるのか?

 まさか殴られたりするのだろうか?


「──えっ……?」


 そんな事を思っていた美奈の腰に沙耶の手が回され、ビクリと震えた美奈の身体はふわりと引き寄せられる。




「私は貴女を友達だなんて思った事はないです」




 不意に唇に柔らかな感触を味わう。



 なにが起きたのか、すぐには判断出来なかった。



 脳の理解が追い付いていなかった。



 だが確実に黄昏の光のなか二人の少女は唇を重ねていた──。


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