ローバーズ Rovers~異世界漂流者の黙示録~

夢橋河馬

第1話 マグヌス ~プロローグ~

 マグヌスはパルウム村で生まれた孤児だった。

 砂漠と森と海に囲まれた小さな村。

 そこは決して住みやすい環境ではなかった。

 砂漠は竜巻を運び、森は狂獣を呼び、海は荒れ狂い嵐を呼んだ。

 マグヌスは両親の顔を知らない。

 マグヌスの父は、妊娠中の妻に栄養価の高い魚食べさせようと荒れ狂う海に漁へ行き帰ってこなかった。その後、母は一人でマグヌスを産み育てた。しかし、そんな母も村へ降りてきた狂獣から赤子のマグヌスを庇い死んだ。

 結局、マグヌスは孤児院で育てられた。パルウム村では、漁で帰らぬことも、狂獣に襲われて命を落とすこと珍しいことではなかったが、赤子を残し両親共に亡くなることはマグヌスが初めてのことだった。

 村の孤児院は小さな村の中でもとても小さく、教会の神父が一人で切り盛りし孤児の面倒を見ていた。

 この神父というのが閉鎖的な村の中で不思議立ち位置の人物だった。

 神父は村の外からやってきた者だったのだ。

 それはマグヌスが生まれる数十年前の大嵐の日だ。

 村の誰も見たことのない奇怪な服装で男はやってきた。装飾品の着いた紺色のマントに、着心地のよさそうな黒い軍服のような格好。知識ある者が見たら、位の高い軍人と思うその服装も、パルウム村の村長では奇怪な服装程度にしか思えなかった。


「自分は旅の神父だ。この村で教会を建て住んでいいか?許可がもらえたなら、神父として村の為に尽くそう」


 神父と名乗る軍服の男は開口一番に村長へそう言った。

 村長は驚いたが、閉鎖的な村に教会が建つことには賛成だったので男の提案を許可した。正しく言えば、この男を追い返すだけの労力が惜しかったのだ。

 滅多に旅人の立ち寄らないこの村に来た奇怪な服装の男がわざわざ移り住みたいと申し出たのだ。村長としても不安もあるが、人手不足が少し改善できると思ったところもある。村長は教会を建てるのにどのくらいの人手が必要か尋ねると男は笑みを浮かべ答える。


「許可がもらえたなら、それで結構。明日の朝、そこの空き地の辺りへいらっしゃい。これからのことはそれから話そう」


 男が示したのは村人が危険だと近づかない森と村の堺にある空き地だった。

 村長は、男は旅の疲れで休みたいのだと思い、それ以上は話をせず、その日は男と別れ帰路についた。

 翌朝村長は、男の言われた通り、空き地の辺りへやってきた。

 村長は立ち尽くし、開いた口を閉じることを忘れる程に驚いた。前日まであったはずの空き地は無くなり、そこには小さいながらもしっかりとした協会が建てられていた。それは決して一晩で建てられるようなものではなかった。恐る恐る村長が教会の扉をノックすると、中から男が現れた。


「いらっしゃい、村長殿。さてと、それでは自分が村でどんな手伝いをするか決めようか」


 男は、前日と変わらずの様子だった。しかし、一つ大きく変わったことがあった。それは奇怪な服から祭服になったこと。

 村長は男のことが恐ろしくなった。どこからやってきたかもわからず、一晩にして教会を建てている。そんなことができる者を村長は見たことも聞いたこともなかった。そこで村と関わらず、ほとんど仕事のない孤児院を男に任せることにした。

 男は村長の提案を快く受け取り、孤児院を運営することになった。

 そんなことがあってから数十年の時が過ぎている。

 孤児院にはマグヌス以外に二人の子供が暮らしていた。

 口の聞けないシュティレと罪人の子供ヴェイグの二人だった。

 三人の中で一番の年上はシュティレだった。彼女が神父と二人で赤子のマグヌスの面倒を見ていた。彼女は赤子の時、森と村の堺に捨てられていたところを神父が見つけ、孤児院に連れて来られた。それは神父にとって孤児院初の孤児だった。

 ヴェイグが孤児院にやってきたのは、マグヌスが一人で歩けるようになり文字を覚えた頃のことだ。ヴェイグの父は隣人を殺した罪で砂漠に送られた。母はヴェイグが物心ついた頃に病死していた。村ではヴェイグは罪人の息子と罵られたが神父は気にすることなく愛情を持って彼に接した。

 シュティレはマグヌスよりも少し年上で、声は出せないが、面倒見が良く可愛らしい少女だった。家事の苦手な神父に代わり、家事を一手に引き受けていた。マグヌスにとって、最も大切な人物である。ヴェイグはマグヌスと同じ年の少年で、マグヌスよりも腕っぷしが強く、力仕事をすることが多かった。神父に対しいたずらを仕掛けるのはもっぱら彼で、マグヌスに度々いたずら用のトラップの作り方を教わっていた。

 マグヌスにとって家族とは神父とシュティレ、ヴェイグの三人のことだった。


 マグヌスは幼い頃から知識欲と探求心の塊のような子供だった。

 孤児院は教会の隣、村から少し離れた森の近くに建てられていた。

 村人達が教会へやってくることは滅多にない。神父も孤児達も村人達も村人にとって厄介者以外の何者でもなかったからだ。たまに村人が教会に来るときは決まって、人手不足のときか、神父に何か頼み事をするときだった。

 マグヌスは朝食を食べると孤児院にある本を一冊取り、森の入り口にある大樹の根本でその本を読むことが多かった。一度本を読みだすとその本を読み終わるまで読書に没頭することがほとんどだった。昼になるとヴェイグはマグヌスを探しにやってくる。マグヌスはヴェイグに連れられて孤児院に戻り、昼食を食べると午後はシュティレと教会の清掃を行うか、神父と村に買い物に行くことが多かった。

 

 何日かに一度、神父は三人を連れ、森の奥に建てられた大きな祠に行き祈りを捧げることがあった。マグヌスにとってその日は特別な日だった。普段行くことのできない森の奥は、少しだけ恐ろしかったが、それ以上に未知の体験ができる期待に胸躍る時間だった。

 神父は祈りを捧げるといつも三人にこう言った。


「迷ったら自分で考えて、選んだことを祈り報告なさい。決して決断を他者に任せてはいけないなよ。どんな分かれ道でも進む道は自分で選びなさい。でないと、永遠に迷い続けることになるから」


 神父はめったに人に怒らない。

 ヴェイグがいたずらをしても、村人に影で罵倒され、無理な頼み事をされようと笑顔で諭す。そんな人だった。そんな神父がマグヌス達の前で怒ったことがある。それは、マグヌスが行ってはいけないと言われていた砂漠へ行ったとき、ヴェイグが村人に罵られたとき。そしてシュティレを海の生贄にしようと村人に言われたとき。神父は村の厄介者だったマグヌス達を常に優しく見守り、村人から守っていた。

 そんな日々がマグヌスにとっての日常だった。ずっと変わることのない日常だと思っていた。しかし、偶然か必然か日常は少しずつ変化していく。それはマグヌスは昼寝をし過ぎたある夜のことだ。目が覚めるとまだ、月明かりが優しく夜の闇を照らしている。マグヌスは隣を見るとヴェイグがいつも通り寝相悪く眠っている。ヴェイグの毛布をかけ直して、もう一度眠ろうとしたとき、ふと何か聞きなれない音が聞こえた。火花が散りガラスがぶつかり合うような音。まず、何となく隣の部屋でシュティレが眠っていることを確認した。マグヌスは少しだけ不安になって、神父にも会ってから寝ようと思った。神父の部屋へ行ったが、何故か神父の姿は部屋にない。結局孤児院の中を探したが神父の姿がなかった。マグヌスは神父を探した。しかし、教会にも庭にも神父の姿はない。

 マグヌスは何となく神父は祠にいるのではないかと思った。根拠はないが、マグヌスには確信を持っていた。普段、一人で夜に森の奥にある祠へ行こうだなんてマグヌスは思ったことがない。

 マグヌスは好奇心旺盛だが、怖がりだった。

 だが、その日は違った。

 不思議と高揚感があり、水筒とツルを切る為の小さなナイフをカバンにしまい森の中へ入った。

 日中の森と同じ場所とは思えないほど、夜の森は恐ろしかった。

 暗く、先がよく見えない。そして、風で草木が揺れる音と遠くで聞こえる狂獣の雄叫び。マグヌスにはその全てが新鮮で、恐ろしかった。

 本能からくる未知への恐怖というものをマグヌスは肌で感じていた。

 しかし、それと同時にマグヌスは未知との出会いに高揚していた。

 もしも、狂獣が目の前に現れたらと思ったら恐怖で足が動かなくなるとマグヌスは知っていた。だから、余計に未知との出会いを楽しもうと思ったのかもしれない。

 祠に着くのに、昼間に行くときの数倍の時間がかかった。

 けれど、不思議と疲れはない。すぐに神父を探したが、祠にも神父の姿はなかった。

 マグヌスは急に祠にいることが怖くなった。そして、すぐにでも孤児院に戻ろうと祠の外へ出た。すると、暗い森の中で少しだけ青白い光が見える。恐る恐る光へ近づくと行ったことのない森のさらに奥への道を見つけた。道の入り口に光苔が生えており、くっきりと道の入り口は光っていた。夜にだけこの道は現れるのだとマグヌスは思った。神父の姿が見つからなかった恐怖はある。しかし、初めてみる光苔が図鑑で見たものと同じだとわかり少しだけうれしくなった。そして、この新しくに見つけた道の先を知りたいとマグヌス思った。この機会を逃したら、もしかするとこの道を見つけることは二度とできないかもしれない。これが神父の言う分かれ道なのだとマグヌスは自分に言い聞かせた。

 この道の先へ行こう。マグヌスは恐怖に打ち勝ち、森のさらに奥へ進んだ。

 今まで行ったことのない未知の場所。

 進みだすと恐怖は減った。道には光苔が多く生息しており、まるで道しるべのように夜の森で光を放っている。ずっと聞こえていた狂獣の雄叫びは聞こえなくなっていた。この道はさっきまでいた森とは別の森のようだとマグヌスは感じた。音だけではない、匂いや木々の種類。ちょっとした雰囲気の全てが感じたことのないものだった。どのくらい歩いただろうか、森に入った時には見えていた月はもう見えない。

 マグヌスの足が少し疲れだした頃、開けた場所へ出た。

 そこには見たことがない、美しい湖が広がっていた。

 その湖に駆け寄り、水筒に水をすくい渇いた喉を潤した。普段飲む井戸水と味が少し違う気がしたが、喉が渇いていたマグヌスは気にせず飲んだ。

 喉の渇きが癒えると顔を上げて湖とそこに広がる木々を眺めた。そこで、マグヌスは違和感を感じる。この湖はどこか変だと。違和感に気が付き水面を見てから、空を見上げた。

 そこには三つの月があった。マグヌスの知る夜空に浮かぶ月は一つだけ。この空には三つの月がある。ここはどこなのだろうとマグヌスは思った。

 耳をすますと、火花が散りガラスがぶつかり合うような音が聞こえる。孤児院で聞こえたときよりもはっきりと聞こえる。

 マグヌスは音のなる方へ行ってみることにした。

 すると、そこに神父はいた。

 マグヌスは神父に駆け寄ろうとして、すぐに足を止めた。

 正確にいえば、足が竦んで動けなくなった。

 神父の前には見たことのない獣がいる。月明りにはその体は赤黒く見えた。

 狂獣の倍ほどの大きさ、マグヌスを一飲みにできそうな大きな口に鋭い牙。持ってきたナイフの刃が折れそうなほど強靭に見える毛皮。足と腕は4本ずつあり、四本足で立ち、腕にはナイフの様な爪が見える。その腕は今にも神父を切り裂こうとしている。神父を助けなければならないと頭ではわかっていても、マグヌスは指一本動かすことができなかった。

 獣が神父に切りかかろうと腕を振り上げたその時、さっきと同じ火花が散りガラスがぶつかり合うような音が聞こえる。一瞬神父の両手が光ったかと思うと、獣の身体から鮮血が噴出し、獣は地面に倒れた。マグヌスには何が起きたのか理解できなかった。


「そこにいるのはマグヌスですね」


 背を向けたまま、神父はマグヌスに声をかけた。

 ゆっくりと神父は振り返る。そこには、いつも通りの優しい神父の笑顔があった。

 その後のことをマグヌスは覚えていない。気が付けば、朝になっており、孤児院のベッドでいつも通り寝ていた。もしかしたら、夜の出来事は全て夢かもしれないとマグヌスは思った。

 朝食を食べ、読んでいない本を見つけ、いつもの大樹へ向かおうと靴紐を結ぼうとしたとき、靴底に何か着いていることに気が付いた。


「……苔だ」


 靴底に苔が着いていた。マグヌスは靴底手で覆い、光を遮った。すると苔は青白い光を放つ。靴底に着いていた苔は光苔だった。光苔を見たのは、昨晩が初めてだ。それは、つまり夜の出来事は夢ではなく、現実のことだという証明だった。

 マグヌスは教会にいる神父の元へ走った。


「おや、マグヌスどうしました?」


 息切れしながらもマグヌスは己の願望を神父へ言う。


「はぁ……はぁ……僕に昨日の技を教えてください」


 あの恐ろしい獣を一瞬で倒した技。きっとそれを身に着ければ、もっと知らない何かを知ることができるとマグヌスは思った。もしかすると、心のどこかで、狂獣に殺された母親のことを思い出したのかもしれない。少なくとも、自分もあの技を覚えれば、今とは違う何かを体験できると感じていた。

 しかし、この選択がマグヌスの人生を大きく変えることになるなど、考えもしていなかった。

 これはマグヌスが7歳の誕生日を迎える数日前の話である。

 後に『悠久の旅人』と呼ばれる偉大なる超越者オリジンホルダーが、その道の第一歩を踏み出す瞬間であった。

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