或る漫才師の最期
鐘辺完
或る漫才師の最期
「おとうちゃん、死なんといて」
「俺ゃ、もうあかん……」
俺は病に冒され、死に直面したひとりの漫才師。
俺は常々思っていた。死ぬときには爆笑ネタをひとつやって、ウケてから死にたい、と。
今まさにそのときなのだ。俺は思った。
(がくっ、と倒れて死んだふりして、えータイミングで、『なーんてね』と言ったらうけるぞ)
死にかけてるのに笑えるもんでもないかとも思うが今やらないとたぶんもうチャンスはない。
よーし今だっ。
「ううっ……」
がくっ、と全身の力が抜ける……。
「おとうちゃーん!」
妻が絶叫する。
しかし、俺は『なーんてね』を言うまえにそのままこときれてしまった。
俺の幽体は肉体を離れながら思った。
しまった……、これじゃシャレにならんで……。未練が残る……。
そう思いながら昇天を待った。……が、何も起こらない。
……やっぱり、現世で思っとるようにはならんわな……。
そしてそのまま、俺は地縛霊となった。
困った……、このまま一生(?)ここから抜けられへんのか、……待てよ、この世に未練のある霊が地縛霊になるんやったら、この世への未練をなくせばええ。
──通夜。
涙にむせぶ妻がいる。兄が親戚への対応の電話をしている。
棺桶がある……。俺は天井にいる。棺桶の顔のところの窓を妻が開ける。息子二人と娘がのぞく。俺ものぞいた。自分の死体を。
「おとうさんの顔見んのも、終わりやで」
妻はしばらくして俺の棺をのぞく顔をあげた。
一番下の四歳の娘が、言う。
「おとうちゃん、なんか言いたそうな顔してる」
思わずうなずいた。
そうなんや、おとうちゃんはギャグをスカして死んでもたんや。
……何とかして俺の気持ちを伝えたい。そう思って仏壇のお供えのミカンを落とそうとした。できない。やっぱり……。
俺はただの幽霊だったんだ。
仕方がない。自分の死体に入って、俺の顔を見る家族の顔を見るか。
「あっ! おとうちゃん動いた」と、娘。もちろん俺が自分の死体を動かせるわけない。
「んなわけないやろが」息子の一人が言う。「気のせいやて……」
──葬式。親戚一同集まった。香典いっぱい集まった。
葬式の途中で相方が来た。ペラペラの香典袋を出し、
「……お悔やみ申し上げます。昨年中はお世話になりまして……」
とワケのわからないことを言った。普段はヘラヘラしているようなやつだが、葬式のときでも、ヘラヘラと妙なギャグするようなやつだったのだ。こいつも芸人か……。
みんな酒を飲んでいる。葬式の場でこともあろうに泥酔した悪友、杉田が言う。
「こんな……やつが、えっ、死んだから、って、ちぃーっとも、泣くヤツァ、おらんなぁ。はははっ」
このセリフにはカチンときた。少なくとも、俺の妻と子供たちは、昨日のうちに『お葬式のときは、泣かんようにしょうな』と言って誓ったから泣かへんねん。好き勝手言いやがって、スリッパでどついたろか。
パコッ。
「いったぁー、誰や! ……あれ?」
杉田は振り返って言った。が、そこには誰もいない。俺もそいつの後ろにいない。
ただ、どついたスリッパがひっくり返ってるだけだ。先にも言ったが、俺は何も動かせないただの幽霊なのだ。
また杉田が悪態をみせる。
「奥さん。あんた、旦那亡くされてさみしおまっしゃろ。どやろ、わしとつきあいまへん?」
……困ったやつだ。夫の葬式の最中の妻を、それも俺の見ている目の前で口説くな! ……と思った途端、なんと妻が、口説きにかかった悪友の首を絞め始めた。俺も首絞めたかったんだ。
悪友は驚いて、酔いもすっかりさめたのか、
「わ……悪い、悪い、冗談や冗談……」
と言って逃れようとした。冗談にしてはたちが悪すぎる。
みんな呆気にとられて見ている。妻はあわてて手を離した。
妻は何があったのかというような表情で、自分の手をぼんやり見つめていた。
首を絞めたのは妻ではない。……何か別の力に操られたのだ。霊がのりうつったか何かで……。何の根拠もないが、そんな気がする。
俺か? そんなはずは……。
杉田は
「悪霊や。あいつは死んで悪霊になってとりついたんや」
と言って騒いだ。
そこへ相方が出てきて、
「そらあんた、あいつが死んだとたんに連れ合い口説かれたら怒るわな」
どこからともなくぱらぱらと拍手が起こった。俺も手を叩いた。
みんなざわついている。葬式は混乱してきた。
「ええぞ、ええぞ」「悪霊?」「バケて出たんや」「酒持って来い!」
いろんな言葉が飛び交って、ざわざわしている。俺の葬式が無茶苦茶や。……だんだんイライラしてきた。
『静かにせんかい!』
俺は思わず怒鳴った。あたりは一気に静まった。
俺の声がみんなに聞こえている。
「あの声……」
「やっぱり化けて出たんや!」
また騒ぎ出した。
『おまえら俺の葬式を何やと思てんや!』
と、もう一喝。死人に怒鳴られるなどそうそうできる体験ではない。
『それから杉田……、おまえ、よーも夫の葬式の最中に妻を口説けたな……』
「すまん……、すまん……」
悪友杉田はひれ伏してあやまった。
『まあ、今日は俺の葬式やし(関係ないか?)大目にみたる』
そのまま俺は調子に乗って漫談よろしくしゃべりまくった。
『横平、おまえもっとよーさん香典持って来んかい。おまえのおかんの葬式のときはぎょうさんやったやろーが』
などと言ってるところへ、
「相方おるんや、漫才やれー!」
との声。
「そうや、おまえもしめっぽい葬式は嫌やろ。やろか!」
と相方が天井に向かって言う。
『アホ。どこ向いてんや。俺は棺桶の中やぞ』
これが了解の代わりだ。
告別式場は盛り上がってきた。
「待てよ。俺らもおるんやらかな」
同業の友人たちだ。
「主役は取やからな。俺らが前座をつとめさせてもらうわ」
「いいぞー」「やれー」と騒ぐ、他の友人たち。
「ちゃんと葬式せな成仏できへんがな」
とは今年六十五になる母。
「私の立場はどうなるんです」
と、住職……。
──こうして、混乱のうちに告別式場は臨時演芸場と化した。
一時間たった。
「──もうあんたとはやっとられんわ~」
「ほな、さいなら~」
場内は異様な熱気に包まれていた。がぜん盛り上がっている。
ここにきて俺は重大なことに気がついた。……どつきがでけん。俺はどつき漫才専門なのに、この体ではでけん。額を冷や汗がつつぅーっと伝わっているような気がした。
しかし、とうとう取の番が巡ってきた。やっばぁーっ。
拍手が起こる。相方が仏壇の前の仮設舞台に立つ。
まず礼。
「待ってました。死人~!」「出たな悪霊!」などと場内からはやんやの歓声が飛び交う。
「えー、どうもこんちは」
『ども』
「なんやねぇ、葬式に漫才するんもオツなもんやねえ」
『そうやねえ。……聞いてくれるか。俺の死ぬときの話……』
「たしかダッチョで死んだんやったなぁ」
すぱん! ? ……相方の頭にスリッパが。絶妙のタイミングだ。
「死んでもパンパンはたくから……」
『死んだ原因は直腸ガンや。はみ出してへんわっ』
「似たようなもんやないか」
ぱしん! ……思ったときにちゃんとはたけている。これは……もしかしたら、俺はポルターガイストになったんやなかろうか。そうだ、杉田の頭どついたのも首絞めたのも俺がやったんだ。いつの間にか俺はポルターガイストに出世したんだ。
俺は自分の断末魔をネタにしゃべった。
そして、異様な盛り上がりは、頂点をむかえ、前代未聞の告別式は幕を閉じる。
『──死んだマネやってから、むくっと起きて「なんてね」とか言おうと思って、ガクッとなったんやが』
「どうしたん?」
『……そのまま死んでもたんや』
「えーかげんにせんかいっ!」
場内爆笑。妻は涙流して笑っている。……複雑な心境なんだろう。
……もうこれで思い残すことはなくなった。
体が軽くなる。心とともに。体が浮いてきた。
……昇天だ。その前に別れのあいさつをせねば。
みんなアンコールしてくれている。けど、これで俺は満足だ。
『みんな、ありがとう。この恩は死んでも忘れへんで。……おおきに! さいなら!』
てなわけで、俺は昇天していった。
俺の目の前に、ぼーっと人影が……。
その人影が言った。
『満足したかー?』
『え?』
『満足したかってきいとんや』
『えーえー、そりゃもー大満足』
思わず答えた。
けど、誰なんだろうか、この人影は。
『わしはな、おまえのひい爺さんや。……わしも漫才師やった』
『へー、そうですか』
『わしもな。死ぬときには大爆笑のネタやりたかったんや。けど、でけんかった。そやからわしはおまえの葬式漫才手伝うたったんやぞ』
なんだ。俺は、ポルターガイストじゃなかったのか。
『そやからな……』
『なんです?』
『もっかい降りて、わしと組んで漫才しょうら。わしもやりたかったんや。おまえのどつきを代わりにやったったやろ……、行こら!』
『けど、ネタ合わせが……』
『幽霊同士や。以心伝心、なんとでもなるわい!』
ひい爺さんは俺の手を引っ張って、まだ熱烈なアンコールの続く告別式場へと降りて行く。この上なく嬉しそうに……。
或る漫才師の最期 鐘辺完 @belphe506
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます