未完成な世界

滝乃睦月

おとぎばなし

 何も無い退屈な町。あるのは田んぼと畑と牛舎と街灯。あとは町の真ん中を高速道路が走っているだけ。高速道路を建設する時に土地を売ったお金で無駄にでかい家がポツポツと建っている。私の住んでいる家もそう。といってもおじいちゃんの若い頃の話。父のいない母子家庭には余りある家。


「今日何時頃に帰ってくる?」

「んー、わかんない。遅くなるかも」

「お母さん今晩集まりがあって遅くなるから夕飯、テーブルの上に用意しとくわね。それと……サクラちゃんとこのお父さんいなくなったって聞いたけど優しくしてあげなさいよ、あんた友達なんだから」

「……いってきまーす」

 母さんのいう集まりが新興宗教だと知ったのは中学にはいってからだった。毎週金曜日のそれには近所のオバサン連中のほどんとが加わっている。高速道路建設で儲けた一人が始めたらしいとサクラに聞いてから少しずつ母さんとは距離を置くようになった。いつ一緒に行こうと言われるのか、怖くてあまり話をしないようになっていくのに時間はかからなかった。


 家の前の短い下り坂を通って、何も無い田んぼ道をただひたすらに行く。薄くて青い無駄に広がる空と両端に広がる緑の山。正面にはでかい壁みたいな灰色の高速道路。その下を通って学校へ行く。町のどちらかが大洪水にみまわれたらダムの役割もするんかな? なんて思いながら。


「おはよー、マリコ」

「おは……サクラ、あんたそろそろ先生に怒られるよ?」

 肩に掛かるサクラの髪の毛はもう茶色とは言えない色をしていた。

「大丈夫だって、なんか言われたらセクハラだって言っておけば」

 どうよこの色? なんて言いながら狭い昇降口で見せびらかしてくるサクラに呆れていると後ろの方に人が見えた。

「あのさ、どいてくれない?」

「あ……ごめん…お、おはよー、井上君」

 井上君は挨拶もなくささっと行ってしまった。

「……無視されたー」

「サクラ、あんた井上君の事好きでしょ」

「あのクールな感じゾクゾクすんのよねー」

「やっぱ、彼女になりたいとか思うの?」

「そりゃあこうぎゅってされてみたいじゃん」

「まぁね」

 そう言って自分の体を自分の腕で抱きしめているサクラと教室へ向かった。

 

 五時間目の体育をサボって教室に一人。窓から見える同級生たちはダルそうに校庭をぐるぐる走っている。

「相沢さんもさぼり?」

 振り返ると井上君が立っていた。

「……さぼりっていうか、私喘息持ちだからほぼ見学。そういえば井上君も毎回見学してるよね?」

「俺運動すると心臓が破裂する病気なんだよ……嘘だけど。ほら、去年からきた体育の桂木。あのおばさん授業中俺らの体何かしら理由つけて触ってくんだよ。喜んでる奴もいるけど。」

 井上君は私の横にきて、窓から指さして見せた。

「へぇー……だから井上君いつも見学?」

「そう、なんかムカつくんだよね。セクハラしても体育教師って肩書きと授業の一環って事で誰も何も言わないんだよ。男だったら触ってもいいのかって思うと納得できないじゃん。それに対する抗議みたいなもんかな」

「あんまさぼると内申悪くなるんじゃない?」

「その辺は別の所でカバーするから」

 そう言って井上君は小さく伸びをして机の上に腰を下ろした。

「こんな何も無い村出て早く高校行きたいなー。でかい高速道路はどこまでも続いているっていうのにさ」

「高校行ったらなにするの?」

「なにって、自由になれればそれでいいよ。校則少ない私服の所があるんだよね。そんで東京の適当な大学入ってなんか見つけるんだ。相沢さんは?」

「私は……特になんもないから地元の高校行くかな」

「へぇー……相沢さんって彼氏とかいる?」

「……いないよ。今まで一度も」

「木下さんといっつも一緒だもんね。気を使ってるの?」

「それは無い」

 突然視界から井上君が消えた。次の瞬間、私は井上君の腕の中にいた。細いと思っていた井上君の体は意外とがっしりとしていた。

「相沢さんも一緒じゃない? 毎日退屈でしょ? ……俺はこんな退屈な所嫌いだよ。何もできない自分はもっと嫌いだけど」

「……あの」

 すっと体を離して、相沢さんのその純粋な感じ俺は好きだよ、なんて言いながら井上君は教室を出て行った。


 その日の夜、私は変な夢を見た。宙に浮いた体で村の真上を飛んでいる。でかい家と田んぼと畑と高速道路を見下ろしていると畑の中に立っていた馬鹿みたいに大きな案山子が指差している方に自分の意志とは関係無く体が引っ張られていく。高速道路のすれすれを

飛びながらどんどん加速していって飛行機みたいに空の果てまで飛び立っていった所で目が覚めた。変な時間に目が覚めてしまったので眠れずにいるとリビングの電話が鳴った。

「もしもし」

「あー、マリコ? 私、サクラ。今日母さんたち集まりだよね? 今から行っていい?」

「うん、いいよ」

「んじゃ今からいくね」

 そう言って電話を切るとサクラはすぐにやってきた。暴走族みたいな音を出すスクーターに乗って。

「……何それ?」

「お姉のおさがり。いいでしょ?」

「ヤンキーになりたいの?」

「マリコだって漫画ばっかり読んでんじゃん。そんなんでいいの? まぁいいか。色々持ってきたよ」

 そう言ってサクラは大きなビニール袋からお菓子を一つとって見せた。部屋に入るとテーブルの上にざーっとお菓子を広げながら、マリコやりたい事とかないの? と言った。

「私は別に。人に迷惑をかけないように生きていければいいかな」

「退屈じゃない? それって」

「そうかもね。何かさ、信じられるものがあれば幸せなんじゃないかな? 恋愛も自由も宗教も」

 甘いチョコレートクッキーをつまみながらサクラはそんなもんかねとため息をついた。

「信じられるものがなくなったからお父さんいなくなったのかな…」

「ごめん、そんなつもりじゃなかったんだけど……」

「いや、大丈夫。多分その内かえってくるから。お姉もそう言ってたし。帰ってこなくなった日の朝に、珍しくお前たちを信じているよって言ってたから何となくね」

 サクラは指についたチョコレートをぺろりとなめながら笑ってみせた。

「そういえば井上君、高校は学区外に行くって言ってたけどサクラ告白しないの?」

「べっ、別にそういうのじゃないから」

「じゃあ私、告白していい?」

「ちょっと待って!? 意味わかんない!!」

「そういうのじゃないんでしょ?」

「まぁ、そうだけど」

「じゃんけんで決めようか、勝った方が告白する。いい?」




「振られたー、マジかぁー」

 学校のそばのコンビニのベンチにすわってレモンティーを飲みながらぶつぶつ言うサクラにドンマイっていう私ってどうなんだろう。

「なんかさ、金髪、嫌なんだって。あと今は誰とも付き合う気はないって」

「そうなんだ」

「まぁ、いいや。今はマリコ、あんたとの友情を信じる事にするよ」

「ナイスファイト」

 私達はその後何もない田んぼ道をいつものように帰った。


 それから何週間かして、体育の桂木先生が警察に捕まった。生徒をラブホテルに連れ込んでいたらしい。時期ははっきりしないけど井上君も学校に来なくなった。桂木先生の相手が井上君だったとか病気で死んだとか色んな噂がたったけど。多分井上君は信じる自由のためにどこかに行ったんだと思う。


「おはよー、マリコ」

「おは……サクラ、あんたこけしになったの?」

 髪を黒くしておかっぱ頭のサクラが立っている。

「アジアンビューティーっていうの? これで彼氏を見つけられる!」

「……ついに怒られたんだ」

「違うって、これは自分の意志で……」

「わかったから、ね、行こうか」

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