パンドラの箱

時雨逅太郎

パンドラの箱

 本当かどうか、見極め続けるのがきっとぼくらしく生きるということであり、宿命なのであり、幸福なんだと思う。ぼくは真実の残酷な側面があまりにでしゃばることを知っているし、ぼくはそれで何度か不幸を経験したこともある。しかし、それでも追究を続けるのはきっとその先に希望を持っているからだろう。

 パンドラの箱、開けてはならない負の遺産に入っていたものは果たしてなんだったか、ぼくは万象の真実だったのでは、と思ったりする。ありとあらゆる真実は人が求めるものであり、避けるものである。幸福でもあり、不幸でもある。その真実が全て告げられてしまったとしたら、きっとこの世界は崩壊して、消滅してしまうだろう。

 パンドラの箱は閉じられ、希望を示唆した。しかしこの示唆は、我ら人間の主観ではないだろうか。なぜならパンドラは物言わぬ箱であるから。

 少女が思慮深い人間だったかは知らん。しかし少女は間近でその真実を見てしまった。それゆえ分からない真実を、希望と名付けるに至ったのではないだろうか。真実の正体を見た彼女は、そうする以外なかったのではないか。

 ところで真実というやつは厄介で、それ単体で不幸になるのか幸になるのかは分からない。嘘はいくらでも事象をねじ曲げてやりたいように出来るかもしれないが、真実というものはどんな化学反応を起こすか分かったもんじゃない。嘘が理解ある隣人だとしたら真実はどこかの他人である。

 それをあえて希望と名付けることは、お守りのような、しかし実際に可能性が宿るものであるから妥当なように思える。


 時にぼくも真実に拘らず生きていた方が幸せなんじゃないか、と思う。言われるままでもいいのではないか、などと。しかしどうしてもそれが出来ないような、そんな頭に育ってしまったもんだし、なによりぼくの生き甲斐はそこにあるような気がする。

 ぼくは真実を明かす度に絶望しても、この営みを生涯辞める気はない。しかしまあこういう人間を育てるなという一種の助言なのかもしれない。パンドラの箱とは正にぼくのような人間を含んだ真実の探求者の比喩かもしれない。絶望を吐き続ける真実の箱。その箱が物を言うとしたらきっとこうだろう。

「この先にはきっと希望があるだろう」

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パンドラの箱 時雨逅太郎 @sigurejikusi

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