マッチ
時雨逅太郎
マッチ
この世界にぼくはあまりにマッチしてないなと思うのは単に世界を知らなさすぎるのか、それとも日本の同調精神が染み付いてるからかは分からない。まずマッチするということはどういうことなのだろうか。
そういえばマッチをあまりに見なくなった。きっと文明の波に押し潰されたアンティークは学生時分にしか扱われないからだろう。安価なアレは「古き良きもの」として今日も折られたりしているのだろうか。
理科の時間、化学の時間、アレはいつも出てきた。あの頃はぼくもまだクソガキといって差し支えないほど愚かであったが、同時にそれを愛していた人間も少なからずいたのだろうか。まだ可愛かったと言われた時期。可愛いというのは自分が一時的に優位に立たないと使えない言葉。そういう理論を友人が一度ぼくに話したけどもそれは本当だと思う。
クソガキ、というのは自己評価であるが、その友人がいなければぼくはそのような評価をしなかっただろう。彼はある意味大人びていたと言って差し支えなかった。しかし、大人びていると言っても日本の理想像とは少し離れているかもしれないな。どちらかといえば軸が定まった、そういう人間だった。
昔のぼくはそういう点ではマッチしていたのかもしれない。
昔のぼくは同調精神が旺盛だったようにも思える。他者評価を異常なまでに気にして、皆が笑えば笑い、皆が泣けば泣くような、そういう存在だった気がする。人の目を気にするのは今も変わらないけれどそこまで病的ではないはずだ。少なくとも昔よりはそうだろう。
いや、でも、マッチしていなかったのか。
ぼくは同調ばかりして自分を歪めていたものだから、ある意味での本当の自分、つまりなにも力をかけなかった場合に現れる自然体ではなかった。それでは生きていられなかった。それともなんだろうか、友人がに同調しようとした結果、こうなったのだろうか。いや、しかしぼくと彼の論は似てはいても同一ではない。それはある意味当然なのかもしれないけど同調とは言えないんだろうな。彼といつもいるわけではないのだから、これこそ当然の帰結だ。
でもマッチするとはなんだろうか。
正直に言えば、私がここで自然体で居ても問題ないなと思うような場所はいくつか存在する。この状態はマッチしていると呼べないだろうか。ということは、この世界でぼくはマッチできているのかもしれない。しかし、包括的に日本という世界を見たときはどうしようもないほどぼくの考えはずれていて、それをマッチと呼ぶのは疑問である。
詰まるところ、どっちでもいいんだろう。
この世界に合っているかどうか、それを知ったところで一体なにを学ぶだろうか。それを知ったところでこの世界はよくなるだろうか。確かに和の精神はある意味では効率的だが進化の面から見れば非効率極まりない。
合っているかどうか、なぜぼくは気にしたのだろう? そう疑問に思うと出る答えはそういう教育を施された、またはそういう世界で生きてきたからであり、これが日本という国なのである。
マッチは古き良きものかもしれないが、少しばかり非効率だ。その非効率を愛するにも限度というものがあるだろう。「古き良き」を建前や言い訳で使うのは先人に対する無礼そのものであり、決して愛情ではないのだ。
本音はきっと「安価だから」、なのである。
マッチ 時雨逅太郎 @sigurejikusi
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