姉に溺愛されてるJKの私は部活の先輩(♀)に告白されたのでとりあえず付き合うことにした

なるみや なるみ

001. ダムは二度決壊する

 夕日の差し込んでくる教室で、軽く拳を握った両の手をゆっくりと天井へ向かって伸ばす。ポキポキと幾度か小さな音が私自身の体を伝って耳にまで届いて、凝り固まった体が解れていくのが分かる。その感覚が筆舌に尽くし難い程に心地良い。


「――ふぅ」


 目を閉じながら伸びをしていた腕を静かに下ろし、私は小さく息を吐いた。それから一呼吸置いて、先ほどまで作業をしていた眼前のキャンバスへと視線を戻す。

 そこにあるのは今日描き始めたばかりで、まだ全体像がぼんやりと分かる程度にしかなっていない静物デッサン。まだ立体感も質感もあったものじゃないけれど、描き進めるにつれて少しずつ密度を増していき、あるラインを超えると途端に白黒写真の如くリアルに見えてくる瞬間がある。静物デッサン自体は特に好きでも嫌いでもないものの、その瞬間は結構気に入っていて、なんだかんだ絵を描くのを辞められないのだ。


朝倉あさくらさん、すっごく集中してたねぇ」

「ん、でもそのわりにあんまり進んでないんだけどね」


 藤ノ宮高等学校美術部の部活動に勤しんでいた私こと朝倉佐奈さなに話しかけてきたのは、同部活に所属する同じく一年生の橋本はしもとさんだ。ふんわりした内巻きのボブカットのせいもあってか、結構おっとりした印象を覚えるキュートな女生徒である。性格は顔に出るとはよく言ったもので、その言葉通り彼女は実際にややおっとりしている。ならば自分の顔はどうだろうかと鏡を見つめたこともあったが、あまり良く分からなかった。

 私としては大して集中もしていなかったつもりが、周りから――少なくとも彼女から見ればその様に見えたらしい。なんとなくバツが悪い――というほどでもなかったが、私はやや苦笑いを浮かべながら返事をしていた。


「ああ……私も朝倉さんくらい上手くなりたいなぁ」

「これでも一応子供のころから描いてるからね。橋本さんって中学の途中から始めたんでしょ? ならまだまだこれからだよ」

「そうかな? そうだといいなぁ」

「頑張って描いてれば、ある日突然コツを掴んで上手くなるから」

「えっ、突然?」


 そうだよ、と首を傾げる橋本さんに答える。

 例えば学校の勉強なんかは、日々の予習や復習によって段々と地力が固まり応用力が高まっていく。その結果、テストの点数が上がっていく。一部、発想や閃きがないとどうにもならないような問題もあったりするが、大抵はそうだ。

 対して絵画は違う。日々、色々な物を観察し、手を動かし続けていることで、ある日唐突に物体の構造やら質感やらを理解し、突然上達する。蓄積された経験値が爆発し、それが起こす爆風で一段階上へ到達するのである。

 地力の伸び方をグラフで表すとするなら勉強は緩やかな曲線を、絵は階段を描くのである――というようなことを以前、絵を教えてくれていた先生が言っていたし、実際その通りだと私は身を以って知っている。描き始めて暫くした頃、全然上手くならなくて泣きそうになったり、嫌になって挫折しかけたこともあった。でも、それでも何とか続けて居ると、ある日突然一段上のステージへ進んだことを実感した。その時の感動は一入ひとしおで、それが忘れられないからこそ今もこうして描いているのだろう、と思う。


「朝倉さん」


 本日の部活動も終了となる時間になっており、橋本さんと雑談しながら画材を片付けていた所へ、彼女とはまた別の透き通った――それでいて暖か味のある声が私を呼ぶ。まだ美術部に入って三ヶ月にも満たないけれど、何故かやたらと聞きなれた気がするそれは顔を見なくとも誰なのかすぐに分かる。


「何ですか、えき先輩?」


 声のした方へ体ごと向くよりも早く、その人の名前が口から出ていた。そして振り向くと――やはり立っていたのは、声色から想像出来る通りの優しそうなお姉さんで、スタイルも良い佐伯美弥子みやこ先輩だった。この人、二年生にして既に部内で一番絵が上手かった。私も幼少期から結構な年数を描いてきて、それなりには上手いという自負はあったものの、あの時、一目見て負けたと思った程だ。目下、私の目標はこの人より上手くなることである。

 それはそれとして、何の用かと首を傾げる。


「か、帰る前に少し付き合って欲しいの。いいかな?」


 佐伯先輩は顔に掛かっていた綺麗な黒髪を耳に掛けながら用件を伝えてくる。その所作一つ取っても、腰の辺りまである長い髪なのも相俟って、非常に女の子らしさを感じさせる。しかし、いつも柔らかな笑顔を浮かべて余裕綽々といった様子の彼女にしては珍しく若干どもっていて、表情も心なしか強張っている――様な気がする。

 いいですよ、と妙な引っかかりを覚えながらも了承した私は佐伯先輩を待たせまいと手早く片づけを終える。


「じゃあ橋本さん、また明日ね」

「うん、またねぇ」

「話してる途中だったのにごめんね、橋本さん」

「いいですよぅ。先輩もまた明日ですぅ」

「ええ、また明日」

「じゃあ先輩、行きましょう」


 他の部員達への挨拶もそこそこに、私と佐伯先輩は美術室を後にした。

 廊下へ出ると、夕日が差し込んでくるはずの西側は壁になっていて窓が無く、そのせいで教室よりも薄暗くて少々不気味さを感じる。一人で歩いていたならば、間違いなく足早に昇降口まで移動していたことだろう。しかし佐伯先輩が一緒に居る今、不敵になった。無敵になった。そんなものはどこ吹く風だ。どこからでもかかってくるがいい。今の私に勝てる者など沢山居るけれど、だが不気味さよ、少なくともお前だけは勝てないぞ――などと、頭の中で一人寂しく何か良く分からない敵と戦っていた。

 なぜなのか? 佐伯先輩が喋らないからである。いつもなら何かしら話題を提供してくれて、そこからとりとめもない話が続くのだけど、今日に限っては黙り込んだままだ。その後ろを私が金魚の糞の如く大人しく追従しているのが今の構図だった。

 私に何か用がある口振りだと思っていたのに、一向に会話が発生することはない。たまには私から話題を提供するべきか――いや、これはむしろ私がそうするかどうか試されているのでは? という謎の結論に至り、何を話そうかと思案してみるものの、それよりもやはり佐伯先輩の様子がいつもと違う気がしてならない。


「あの先輩、私に何か用事だったんですよね? あ、もしかして私これ何かやらかして叱られるパターンだったりします? なんちゃって――」

「もうすぐ着くから」

「は、はい……」


 微妙な空気に耐えられずにおちゃらけてみると、無言ではなかったけれどその圧力に近いような、妙に鬼気迫ったものを感じ取り、それ以上は何も言えなくなってしまった。これは本当に叱られコースではないだろうか。向かっているのも明らかに昇降口ではない。下手をすれば上級生から私刑リンチに遭うのではないかという懸念すら僅かながら生まれた。

 いやいや、この優しさの権化であるかのような佐伯お姉さん先輩がそんなことをするはずが無いと、その勘違いも甚だしい被害妄想を打ち消しているところで、彼女がとある教室に入ったのでつられてそのまま後に続く。


「着いたよ」

「えっと……」


 机がいくつも並んでいることから、どこかの学年が使っている教室だろうという当たりはつくが、それ以上は分からず、反射的にキョロキョロとしてしまう。やや不安な気持ちが顔に出ていたのだろう、それを見た佐伯先輩がクスッと笑った。


「ここ私のクラスなの。二年A組だよ」

「そうなんですか。でもどうして先輩の教室に?」

「それは……」


 私の問いかけに先ほどの微笑はすぐに鳴りを潜め、言い淀み、そして少し俯き加減になってしまう佐伯先輩。彼女の雰囲気からして叱られるようなことではないと何となく察せたものの、相変わらず用件が言い辛い範疇にあるものなことは最早疑う余地も無かった。

 こうなってしまえば、もう私には押し黙るという選択をする他は無い。佐伯先輩が口を開くまでただひたすらに待つしかないのだ。そうして――差し込んでくる西日を反射してキラキラしている彼女の、癖の無い真っ直ぐな黒髪を綺麗だなぁと観察し始めて体感で五分程度が経った頃、ついにその瞬間は訪れた。


「あの、朝倉さん……」


 視線を佐伯先輩の顔へ戻すと、彼女は緊張した――そして何やら意を決した面持ちで私の名を口にしていた。

 そこからまた一呼吸置いて続いた。 


「私――あなたが好きなの!」

「…………えっ?」


 衝撃を受けた。頭が真っ白になった。その反応すらただ反射的に出ただけのものだった。突然のことで本当に何も出来ない。雷に打たれたようにだとか、頭に冷水をかけられたように、なんていう表現が世の中にはあるが、まさにこういうことかと理解した。


「えっと、ごめんね急にこんなこと言って。でもどうしても伝えたくて」


 たっぷり十秒は固まっていただろうか。状況分析に思考のリソースの大半をつぎ込んでいるため、顔を真っ赤に染めた佐伯先輩があたふたしながら何やら言っているがまるで頭に入ってこない。

 部活後の帰宅前、夕暮れの教室で、二人きり。世界広しといえども、わざわざそんな状況を作り出した上で“私、あなたのこと後輩として好きなの。これからも仲良くしようね”なんてライク的な意味の告白をする人間が居るだろうか? いや実際に探したわけじゃないから、もしかすると世界の何処かには居るかもしれない。

 けれど常識的に考えれば、先ほどの言葉の意味はライクではなくラブのほう――なのだけど、私こと朝倉佐奈は女だ。女子高生だ。そして、それは先輩も同じだ。これが男の子からの告白であれば、何らおかしいことはない。

 しかし――だ。

 生憎私と佐伯先輩は同性である。漫画なんかの創作物における世界の話だと思っていたことが今、現実として自分の身に起きてしまった。

 いや待て、決め付けるのは時期尚早だ。もしかしたらこれは私の考えすぎで、実際のところは本当にただ先輩後輩としてこれからも仲良くしようね的な意味かもしれない。そうだ、そうに決まっている。あの優しくて世話焼き好きな佐伯お姉さん先輩が私をそんな目で見ている訳――


「あ、あの……やっぱり気持ち悪いよね、女の子同士でなんて。ごめん、ごめんね……」


 見られていたようだ。

 最初に出た咄嗟の反応以降、思考がオーバーヒートしかけてずっと黙り込んだままだった私を見て、佐伯先輩はそれを拒絶と受け取ったらしい。謝罪の言葉を発しながら双眸を潤ませていて、バラエティ番組の途中でニュースに切り替わって緊急の報道がされるのではないかというくらいに涙腺が決壊寸前になっている。

 流石に何か言わなければ不味いと思い至り、私は未だ纏まりの無い思考のまま口を開いた。


「私、先輩のこと好きじゃありません」

「っ!?」


 思考が纏まってなかったとはいえ、ド真ん中に百六十キロのストレートな返答をしてしまったせいなのかはともかく――ついにダムは決壊した。これが外角低目九十キロのスローボールならしなかったのかは分からないが、とにかくさせてしまった。

 私が映り込む大きな二つの目からポロポロと大粒の涙が洪水を起こす勢いで次から次へと溢れ出す。今度は私があたふたしながら取り繕う番だ。


「あっ、いえ、勿論先輩としてはとても尊敬してますよ? ただ、その……」

「ううん、いい……の。最初から無理だって……分かってた、から。だ、だから、私がこんなこと言うのもおかしいけど……明日からはまたいつも通りにするから、気にしないで――――ね?」


 そう言って涙を手の甲で拭いながら、佐伯先輩は無理やりに笑顔を浮かべる。そんな彼女を見て、同性であっても告白してくるくらい自分の気持ちに正直なこの人になら、私も本心を伝えてもいいのかもしれないと感じた。

 尊敬する佐伯先輩が勇気を出して私に告白してくれたのだ。なら私だって本心を伝えよう――そう、思えた。


「先輩、伝えたいことがあるんですけど、いいですか?」

「なに……かな……?」


 私が更なる拒絶をして今まで通りの関係にすら戻れない可能性を考えたのか、無理やりの笑顔だった佐伯先輩の表情はまた沈んでしまう。


「さっき、先輩のことは好きじゃないって言いましたけど、あれは正確ではないです」

「…………どういうこと?」

「よく周りの子達は誰々がカッコいいとか好きとか、彼氏が出来たなんて恋バナしてるんです。でも私は恋愛っていうものが何なのか全然分からないんです」


 今度は戸惑った様な表情をする佐伯先輩に、私は「これでも女子高生のはずなんですけどね」と苦笑いを浮かべて続ける。


「恋愛的な意味の好きと、家族とかペット、趣味や食べ物にあとは芸能人なんかに対する好きっていう気持ちとどう違うのか、本当に分からないんです。なので、さっきの返事を正確に言うと“私は恋愛が何なのか分からないので、先輩のことも恋愛的な意味で好きじゃありません”ですね」

「そっか……そういうことなら仕方ないよね。私、これからもちゃんと良い先輩するから、今まで通り仲良くした――」


 自分が嫌われてるわけではないと理解したのか、私の話を聞いている間に佐伯先輩の涙は止まっていた。残念そうではあったけれど、これまで通りの関係では居られそうだと安堵もしていそうだ。

 恋愛感情は無くとも私自身、佐伯先輩のことは先輩として――人として好きだ。だからこのまま終わりにはしてあげない。おそらく、多分、きっと。その時の私は小悪魔の様な笑みを浮かべていたに違いない。

 そして、彼女の言葉を遮って言った。


「ねえ先輩――私、誰かを好きになる気持ちが分からないですけど、それでも良いですか? 先輩が“特別な好き”を教えてくれますか?」

「え――そ、それって……」

「どうなんですか、先輩?」

「う、うん! 絶対、絶対教えるみせるから!!」


 佐伯先輩はとびきりの笑顔で私に抱きついてきた。そしてダムはまた決壊した。でも今度はバラエティ番組の最中に緊急速報を流す必要はない。朝のニュースやお昼のワイドショーなんかで明るい話題として取り上げるべきだ。


「大好きだよ、朝倉さん!」

「じゃあ期待してますから――よろしくお願いしますね、先輩」


 佐伯先輩があまりにも嬉しそうに抱きしめてくるものだから、私もついつい抱きしめ返してしまった。

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