巡りの住処

真野光太郎

第1話 テオ

 テオは雪の降る中、箒でホームを掃きながら、人々が並ぶ列を整理していた。整理と言っても大半の乗客がルールを守って列に並んでいるので、実際にテオが整理のために行動することはほとんどない。


 テオが箒でホームを掃いているということだけで、十分に効果があったのだ。結局、大きなトラブルがない限り、ホームの屋根を抜けて僅かばかりに積もった雪を箒で掃くことがテオの仕事だった。


「鳥なんかいいとは思わないか」

「俺は鳥よりも魚の方が好きだな」

「魚か。俺は魚よりも鳥の方が大空を羽ばたけるからいいと思うんだけどな」

「まぁ確かに大空を羽ばたけるってことは魅力的だが、やはり海を自由に泳げる方 がいいと思うのだよ。海ってのは空なんかよりもずっと広大なんだ。人間は空を 飛び、宇宙にまで進出したが、宇宙と同じくらい海全体についての事は分かって いないんだ。だから俺は魚の方がいいね」

「だが海には危険があるだろう。恐ろしい捕食者がたくさんいる。食物連鎖の激し い中で生存するのは大変だ。その点、空はほとんど危険がない。飛んでいて襲わ れるなんてことはそうそうないことだろう?」

「いや、人間に撃ち落とされてしまうかもしれないだろう。飛びながら鳥同士争う こともあるだろう。それに鳥だって何時も空を飛んでいるわけではない。地上に いる時に捕食者に襲われることだってある。

 鳥も決して安全だなんて言えないよ」

「むむ、確かにその点は無視できないな。結局、鳥も魚も大変だと言うことか。安 全のことを考えると、本当に安全なのはやっぱり人間なのかもな。俺もこうして この年まで安全に生きているわけだし」

「そうかもな。ははは。でも安全という観点に立ってしまえば…」


 テオが箒で掃いている傍で、40代くらいの男同士が愉快そうに会話していた。 このホームにいる乗客達はいつもそんな他愛のない会話を繰り返して、おとなしく自分の順番を待っていた。テオはホームを箒で掃きながら、そんな乗客同士の会話をなんとなく聞いていた。


 ここはとある列車の終着駅。運行時間の間、列車がホームに到着し、人を降ろしては始発駅に向けて発車して行く。

 駅のホームの数は2つあり、片方に列車が到着すれば、片方から空になった列車が発車し、玉突きのごとく列車が流れて行く。

 ここから発車して行く車両に乗客が乗っている事はない。

 あくまで終着駅であって、始発駅ではないのだ。

 頻繁に列車が到着するため、ホームはいつも乗客であふれていた。

 降りた乗客たちは、前の列車に乗っていた人々が作りだした列の後ろに並び、自分の順番になるのを大人しく待つ。


 待っている乗客達が進む先にあるのは、ホームに一つずつしかない出口である。

 各ホームの出口には、ホームから出るための機械的なゲートが設置されており、一人ずつしか通れないために時間がかかるのだ。ゲートでは身分証と切符がチェックされ、身分証との顔認証が機械的に行われている。

 ゲートを無事通過出来る人は、ゲートから続く巨大な地下ホールの中に消えて行く。ホールから先はまた別の部署の管理区域であった。


 ゲートを通れない人がいるがそれは本当に稀だ。

 通れない理由は切符や身分証を列車やホームで失くした程度の事であって、時間があれば解決する問題だった。

 切符はその列車に乗っていた他の乗客の全てがゲートをくぐった後であれば、すぐに照合して再発行が可能だったし、身分証も乗車手続きをした時のデータを検索して照合すれば必要なかった。


 このゲートは列車を乗車する際に正規の手続きをしなかった者が不正に列車に乗ってやってきて、ホールの中に紛れ込まないようにするために設置されていた。 このゲートが本当にまずい事態に陥って赤ランプを灯したことは過去に一度しかない。けれど、それも何年も前の話であって、テオがここで働き始めてからは、そのような事態が起こったことはなかった。


 今日もゲートは赤ランプを灯すことがなかった。

 すべての列車がホームに到着し、乗客が全員無事にホールの中へ消えて行った。 雪は業務時間以降も降って積ってしまうので、もうホームを箒で掃く必要もなくなった。テオの今日の仕事も終わり、箒を詰め所の用具入れにしまうと、ホームのすぐ近くにある木造の小屋に戻った。


「ただいま。仕事終わったよ」

「おかえり、テオ」


 テオが小屋の中に入ると、サイモンおじさんは台所にいた。サイモンおじさんはテオを見ることなく、鍋と向き合ったまま返事をした。どうやら、まだ今日の夕食の準備が終わっていないらしい。テオはソファーに一日中働いて疲れている身体を沈めて、料理が出来上がるのを待った。


 ここには、サイモンおじさんとテオの二人で暮らしている。

 他にサイモンおじさんが何年も前から飼っている黒毛の猫が一匹いるだけだ。この猫は歳のせいか寒さのせいなのか、一日中暖炉のそばに寝ころんでいた。

 その場所から動くのはご飯の時とトイレに行く時だけで、家の中を動き回ることは滅多になかった。


 テオとサイモンおじさんの間に親族的関係は全くない。

 身寄りのなかったテオをサイモンおじさんが従業員として引き取ったのだった。 親族的関係がないとはいえ、常に一緒に暮らしている二人の間には親子同士のような厚い信頼関係があった。そういう意味では、親族的関係がないことなどこの二人にとってはどうでもよい事であった。

 サイモンおじさんが料理を作り終えると、テオと二人で食卓に着いた。


「今日も特に仕事上のトラブルはなかったよ」

「そうか。それは何よりだ」

「それでね、乗客に義足の人がいたんだ」

「義足か。それは珍しいな」


 夜の食事の時間は、その日にあったことをテオがサイモンおじさんに報告する時間だった。業務報告の他に、テオがその日に乗客から聞いた話などをすることが多かった。

 テオがサイモンおじさんと暮らすようになってから、一日も欠かしたことがない習慣だった。サイモンおじさんは常にテオの事を知ろうとしていたのだった。

 二人は料理を食べ終えると、すぐに寝る準備をしてベッドの中に入った。


「さぁ、明日も早い。もう寝よう」


 サイモンおじさんが寝室の電気を消すと、隣の小屋の明かりが部屋の中に入り込んでいた。隣の小屋では、「運命」を管理しているポールティナリ夫婦が住んでいる。この辺りにはテオとサイモンおじさん以外にはこのポールティナリ夫婦しか住んでいない。ポールティナリ夫婦はサイモンおじさんと同じくらいの歳の老夫婦だった。


 テオとサイモンおじさんが管理している側のホームの列車は「世界」、ポールティナリ夫婦が管理しているホームの列車は「運命」と呼ばれていた。そこから列車だけでなく、ホームをさす時も同じように呼んでいた。


 この呼び名はあくまでも通称であって、列車の正式名称ではなかった。列車には

型番があるだけで正式名称はなかった。そして、どうしてこの列車をこのように呼ぶようになったのかは誰にもわからなかった。誰かが呼び始めて以来、ずっとこう呼ばれている。


 「世界」と「運命」は列車の線路自体が違っていた。終着駅が同じなだけで、まったく違う場所を通ってきていた。列車の管轄が違っていて、仕事上ではあまりテオとポールティナリ夫婦は関わることがなかった。関わるとしても、それはサイモンおじさんの仕事であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る