ベンヤンの隣に立つ男の肩に、突然矢が生えた。

 いや、弓鳴ゆなりは耳に入ったが、そのことに注意を払わなかったのだ。背筋に冷たい汗が流れる。ジェレーオは味方のはずだ。だが、フゲンのオッサンが連れていけといった得体の知れない男なのだ。烏合の衆が相手にすらならず、完全に油断していた。

「かなわん、逃げろ」

 誰かが叫んだことで、残りの二十人あまりのゴロツキが一斉に逃げ出しはじめた。

 だが、逃がすことのできない奴が一人いる。

 きびすを返すベンヤンの膝を、後ろから軽く突く。つんのめって倒れるのを確認し、ジェレーオに矢を射るのをやめるよう命じた。

 ジェレーオがその気なら、俺を射殺せたかもしれない。殺気があれば感じたかもしれないが、それは結果論にすぎない。やはり命をかけた殺し合いには、なにか学ぶことがある。

「私をどうするつもりだ」

 こちらに向き直ったベンヤンが大声をあげた。膝からは血が流れ、立ち歩ける状態ではなさそうだ。

「王の巡察官を襲うとは、いい根性だ。だが、己を知らないと命がいくつあっても足りないぞ。勝てる相手かどうかを見分けられない渡世人は、長く生きられない」

「あんたみたいなのが、本物の巡察官なわけないだろ」

「巡察官であることは間違いないぞ――多分な」

 書類はきっと正式なものだろう。俺はフゲン・ゴドリエルではないが、それは些細な問題だ。

「さあ、鉱山の所有を示す書類を出してもらおう。用があるのは書類だけだ」

 ベンヤンは、少し考えるような顔をした後、下卑た笑いとともにいった。

「そんな大事なものを、こんな場所に持ってくると思うのか。ちゃんと隠してあるに決まってるだろうに」

 まあ、そうだろう。俺がこいつでも、この場に持っては来ない。

「おい、マイラ! 隠れて見ているんだろう。こいつの家を教えてくれ!」

 ジェレーオの後ろにある建物の影から、マイラが顔を出す。こいつの家に行けば、書類はきっと見つかるだろう。見つからなくても、別に腹は痛まない。女の方へ向かおうと一歩踏み出すと、後ろから情けない声がきこえてきた。

「私を殺さないのか。助けてくれるのか」

 本当のところ、こいつが生きようが死のうがどうでもいい。しかし、よく考えるとベンヤンは敵の総大将なわけだ。死んだ七人の男。いや、死んだ三人と死にかけている四人への責任は、この男にもある。

「すまんな、お前が総大将だってことを忘れてたよ」

 振りかぶると大身おおみ槍を真っ直ぐ投げつける。穂先は胸を貫き、ベンヤンは背中から地面に縫い付けられた。

 ベンヤンの亡骸にマイラが歩み寄り、唾を吐きかけニコリと笑った。


 マイラに連れていかれたベンヤンの家には、なかなかに色気のある女がいた。妻なのか、ただの囲い者なのかは知らないが、ベンヤンが死んでいることを教えると鉱山の方へあわてて向かう。殺したのは俺だが、わざわざ伝える必要はないだろう。

「あのクズ野郎は、あたしを狙ってたんだけど女房の悋気りんきが怖くて手を出さなかったんだ。あたしが権利書を探すから、ちょっと待ってて」

 ジェレーオに、マイラと一緒に行くよう目配せをした。

 部屋中の荷物をひっくり返すような音がして、しばらくするとマイラが姿を見せる。その手には書類があった。鉱山の権利書のようだ。

「鉱山はあんたに渡す。だからご褒美をおくれよ」

 女一人、この町で生きていくのは大変だろう。

「金貨一枚の約束だ。あとで来る役人に伝えておくよ」

 はした金だが、無いよりはマシ。またこの鉱山の町がにぎやかになれば、酒場の上がりで暮らしていけるだろうよ。

 仕事は終わった。この町に残る理由はなにもない。

 マイラがどうなるのか、ベンヤンの女がどうなるのか。そんなことはどうでもいい。急いで酒場に戻り、荷物をまとめると急いで町を出た。


「ウェイリンさん、見事な腕前でしたね。惚れ惚れしましたよ。なんでわざわざ、あんなバカでかい槍を担いでくるのかと思ってたんですが、その意味がわかりました」

 興奮するジェレーオを横目に、俺の気持ちは深く沈んでいる。コブハ村での一件は、互いに命を懸けた戦いだった。その賭けに俺は勝ち、次へ進むための道を見つけたように感じた。だが、今回の一件ではなにもなかった。向かってきた素人を殺しただけだ。剣客としても褒められたものではない。

 決めた。

「ジェレーオ、お前に一つ頼みたいことがある。この権利書をもってフゲンのオッサンのところへ行ってくれ。あのマイラという女に、金貨を一枚渡すようにいうんだぞ」

 ジェレーオは、驚いたような顔をする。

「ウェイリンさんはどこに行くんですか。俺に武術を教えてくれるという約束はどうするんです」

 そんな約束をした覚えはないが、ここは上手く誤魔化すしかない。

「棒術の基礎は教えた。あとは自分で修練だ。次に会ったときには、実戦形式で鍛えてやるから心配するな。俺も思うところがあって、少し鍛え直してくるつもりだ」

「もうウェイリンさんは、十分に強いじゃないですか」

 こんな腕前で強いなんて、師匠がきけば鼻で笑うだろうよ。

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