孑孑(ぼうふら)男の股旅道中 ~助けたのは美少女でなくオッサンでした~

重石昭正

渡世

プロローグ

 五月の風は心地よくも、陽のあたるところでは薄暑はくしょ物憂ものうい街道に男が一人。

 右肩には、が身の丈ほどはあろう槍を担ぎ、腰にはつかの異様に長い剣をぶっ差して、のんきに口笛を吹いている。ふと立ち止まると、腰に下げた革袋を高く掲げて口に突っ込むが、ひどく失望した表情をして首を捻った。

「どこかで水を汲まないと駄目だな」

 ひとりごちると、歩みを速める。この辻の先には川があり、清水が流れているはずだ。

 この街道を何度か通ったものなら、誰でも知っている。

 冷えた川の清水が喉を流れる様を思い浮かべ、ぺろりと舌なめずり。いかなる美酒よりも、たなごころ一杯の水。まだまだ日は高い。

 辻を曲がり、少し斜面の下を流れる小川に向かおうとしたとき、川の近くに鎮座する、大岩の縁に立つ三人の男と目があう。

 四人は互いにギョッとし、次には相手の姿を上から下まで嘗め回すように見つめた。

 半弓を持ち、背中には矢筒を背負う男。

 使い込まれた革の鎧を身につけ、腰に少し長めの剣をぶら下げた大男。

 腰帯の、ちょうどへそのあたりに短剣を差した小男が声をあげる。

「その槍、腰の得物、孑孑ぼうふらのウェイリンとお見受けしたが」

 いつの間にか、担いだ槍を左肩に移した男が、怪訝そうな顔をして答えた。

「その孑孑ぼうふらとかいうのが誰かは知らんが、俺じゃないことは確かだな」

 三人が目配せをするが、その表情に浮かぶは困惑。

「いや、そんな槍を持っている人間が、そうそういるとは思えん。お前は孑孑ぼうふらのウェイリンだろう」

 槍を担いだ男は、大きな溜息をついた。

「信じないなら、なぜそんなことを問うんだ。まったく理解できんな」

 はなしながら、男は上着の隠しポケットに手を滑り込ませる。

「そうだな、殺してしまえばどうでもいいことだ」

 小男が短剣を抜くのが合図。一人は矢筒に手を回し、一人は腰の剣を抜く。

 刹那せつな、隠しから右手が抜き出されると内に丸めた手首が外に開き、風を切る音とともに黒い影が飛んだ。

 風切り音とともに、影は弓を持つ男の右目を打つ。手から掴んだ矢が落ち、痛撃を受けた目を庇うように動いた。

 槍を地面に落とし、石突きでトンと地面を叩くと穂先から鞘がはじけ飛ぶ。穂先は小剣ほどの長さがあり、槍の柄は太い。

 左足を後ろに下げ、半身になると袈裟に斬り下ろす。

 思いもよらず、小男が槍を短剣で受ける、いや受け流した。

 大身おおみ槍は、穂先が長いだけではなく重い。短剣ごときで受け流せるものではない。

 贈物ギフト

 ヴィーネ神が人間に与えた加護か。

 左に流れた穂先を、手元に引き寄せながらぎ払う。短剣では受け流せない、膝の少し上へ。

 後ろへ飛び退くという方法もあった。

 だが、それでは短剣で斬りつけられない。

 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。槍の柄で殴られても、致命傷にはならぬ。

 小男の決断は間違っていた。

 手元に槍を戻しながらの薙ぎは速く、膝上への一撃は、足を後ろに蹴上げてかわすこともできない。

 右膝の上に穂先が触れ、ほとんど遮られることなく左膝の半ばで止まった。

 どうと倒れた小男の体重が柄にかかるが、なかごまで鋼で作られた槍は折れることもない。

 骨に食い込んだり、肉が噛んだりすると槍は使えなくなる。

 ためらいなく大身槍から手を離し、腰の剣を抜く。

 つかの一番後ろを右手、つばの近くを左手。

 左足を一歩前に出すと、大上段から長剣で斬り下ろす大男の一撃を躱し、そのまま剣を突き出した。

 異様に長い剣のつかを握る手は、まるで短槍のを握るよう。

 大男は頭を振って逃れようとするが、切っ先は相手の左首筋をかすめた。

 一拍おいて赤い噴水が吹き出し、そのまま相手の右側に回り込む。

 まさにその瞬間、弓鳴ゆなり、矢羽が風を切る音。

 大男は剣を捨て、首を手で押さえ、命が流れ出すのを止めようとしている。

 身を翻し、弓手の方へ。矢筒から、次の矢を抜き出そうとしている姿を見ると、腹の底から大声を絞り出す。

「危ない、後ろ!」

 意味などない。相手が躊躇すればいい。

 瞬きする間、弓手が後ろに意識を向ける。それですべてが決まった。三歩踏み出し、剣で相手の喉を突く。

 切っ先を捻って剣を引き抜くと、喉の穴からヒューヒューと空気が漏れる。弓を捨て、喉を手で押さえた男は恨めしそうな顔をした。

 ひとつ呼吸すると、その場で後ろを振り返る。

 大男は地に膝をつき、拍動にあわせて血をぶちまけている。

 小男は上半身を起こしたが、片足では動けまい。

 苦しめるのは本意ではない。

 振り返りざまに、弓手の右脇腹を短く突く。肝臓を突けば人はすぐに死ぬ。

 動かなくなった大男を避け、小男のそばに立つ。

「誰に頼まれた」

 小男の顔は蒼白、右手で腿を強く押さえていた。

「誰に頼まれたんだ。白状するなら、血止めして生かしてやる」

 右目がピクリと痙攣し、小男はこちらに唾を吐きかけようとするが、よだれのように唇の端に垂れただけだった。

「渡世の仁義はわきまえているんだな。これはすまなかった」

 視線から小男を離さないようあとずさると、半弓を取り、矢筒を肩にかける。

「恨みっこなしだ」

 矢をつがえると、小男の右目に狙いをつける。

 真っ直ぐにこちらを見つめる瞳を、放たれた矢が貫くと小男の上体は後ろに倒れた。


 財布と指輪、首飾りなどを外す。死人には必要ないだろう。

 長剣は重く、刃には銘が彫られていた。売り払うと足がつくかもしれない。

 小男の短剣はなかなかの業物わざもの、捨てるには惜しい。背嚢にすべり込ませる。

 めぼしい物を奪うと、足を抱え、三人の男の死体を引きずった。

 水を飲みにくる旅人の、目につかない場所まで運ぶのはなかなかの骨だ。近くの灌木かんぼくを切り、三人の死体の上にかぶせて、やっと一息。

 地面が血まみれになっているが、こればっかりはどうしようもない。ああ、足を忘れている。小男の右足を拾い、死体を積み上げた場所に放り込む。

 そのとき、ひどく喉が乾いていたことを思い出す。死体は下流、川の水に問題はない。

 両手を水で流し、そのまま水を浴びるように流し込む。ようようと水を堪能した後は、革袋を小川に浸し、軽くすすいだ後に清水を満たす。町までは遠くない。半分ほどのところで栓をして腰に戻した。

「危なかった」

 朱に染まった槍の穂先を水で流しながら、男がつぶやいた。

 得心とくしんするまで血を流すと、今度は柄の長い剣だ。血がついたままで鞘に戻すと、鞘が腐るのだ。

 石に腰掛け、背嚢からぼろ切れを出し水を拭き取ると、次に薄い動物の皮で刃先の脂をこそげ落とす。

 そこではじめて、槍と剣を鞘に戻した。

「油をひいておかないとダメだな」

 立ち上がると、柄の長い剣を腰にぶっ差し、槍を肩に担ごうとする。

 矢筒を肩に掛けていることに気がついた男は、矢筒を手に少し考えた後、それを川に放り込んだ。

 男は街道へ戻らんと斜面をのぼりはじめる。

 何事もなかったように、小川のせせらぎが音を立てて流れていた。

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