インタビュー・ウィズ・エンパイア

@kiri_nakazato

第1話 寒村のホットスープ

イノリは独りだった。

真っ白な部屋、ふかふかと頼りない絨毯。まるみを帯びたテーブルと一体になった、床から伸びる快適なスツール。のどが乾いたら好きな飲み物だって在る。

イノリはひとりではあったが、孤独ではなかった。きょうもまた、彼女の頭蓋をきしませる不愉快な来訪者がやってくることを識っていたからだ。

イノリは人間という種族がだいすきだ。人間と話している時だけは

       




ことを実感できたからだ。

だから来る日も狂る日も刳る日もこの白い部屋に耐えることができる。

九時五時で規則正しく、己の義務を果たす日々。そこにはなんの不満もなくて、だからきっと、イノリはしあわせだった。


トントントン、なんの音。

今日も来訪者がやってくる。


***


人間。中年。成人男性。黒髪。整えないまばらな髭。矮躯ではあるががっしりとした重心の低い体形、肉体は訓練ではなく労働によって引き締まっている。東方……それも比較的湿潤な地域に生まれた農地就労者であろう。白い世界に鈴が鳴るような音が響く。


「名前は?」

「エイドンでやす」


地から響くようなくぐもった声は落ち着いていた。イノリは少し気をゆるめた。“紀録の書庫(save room)”と呼ばれているこの部屋に入室した時点で、旅人には必要な知識が貸与される。彼はこの部屋で彼を話し、再び出ていく。だが、そんな美しきルーチンワークの中で、一時的な混迷を示す旅人のなんと多いことか。イノリは無駄のない美しい仕事を愛した。


「飲み物の好みは? なんでもあるぞ」

「へぇ……」


男はもじもじと下を向く。イノリのような娘と話す経験に乏しいのだろうか。男が生まれた村の酒場にかくのごとき給仕はおるまい。いや、いない。イノリは、多くの人間男性が並外れて好ましく感じる外見形質を備えているようだった。おかげで紀録がスムーズに進むことも多い。無駄がないのは、良いことだ。だが、紀録の妨げになるのであれば、外形の改変を願い出たほうが良いだろうか? 黙考を妨げるように、男は注文を始めた。


「ワが村では果実酒を造りやす。チブドウでやす。樫樽に詰めて窟に納めやす。太陽が河から昇る季節になれば熟成でさあ」

「葡萄酒か。あまりないオーダーだ。それはうまいのか?」

「そりゃあもう……」


男の相好がだらしなく崩れた。


「酒は、芯から冷える時に呑むのが一番うめぇのす。おめさには、ちとはえーわな。雪向かいの時期、ワが村では翌年の赤茄子の仕込みをしやす。ちべてえ水に両手を浸して、カカァの手も赤茄子みてぇになりやす」

「それは心配だな。薬はあるのか」

「へえ」


男は驚いた顔をした。


「薬というものがありやすか。それは便利そうでゃ」

「邪魔をした。ちなみに、わたしはトマトが大嫌いだ」

「へぇ、青くて硬くて、わらしの食べるもんでにゃーね」


……? 男の言葉。表情。視線。推察するに、ワタシはわらしなのだろうか。男のゆるんだ……性的昂奮か? 嘲笑か? 瞳を細め、口角が上がった奇妙な表情に、何かイライラする。弾けるように叫ぶ。


「酒だ! 注文の果実酒はどうしたッ!!」

「そんぬぁ、まだ呑んでもネのにごろづきみでーな…………」


男の頭部ががくりと揺れると、酒について語ろうとしていた男の瞳がどろりと濁る。すぅっと薄煙ががかる。男の輪郭が揺れる。

…………。

残像。空転。

……。

壊れた水晶。

…。


イノリの叫びが、白い世界にこだまする。


「待て! 最適化するな! ごろづきってなんだ! なんだか失礼なことを言われている気がして、気になるぞ!」


男は答えない。かわりに世界が応える。

エラー、エラー。語彙の重複があります。美しくない言葉です。


「うるさい! ごろづきってなんだ!」


該当なし。


「そんなわけあるかぁ!」


該当なし、該当なし、該当なし。美しくない言葉遣いです。例外処理を実行しますか?(Y/N)


「もちろんイ」

「あの」

「はいっ!?」


イノリはびっくりした。いつの間にか、男が目の前にいた。イノリはたちすくんでいる。めったにないことで、なんだかテンションが上がる。男は澱みなく口を開く。


「ベイクス村の生産にまつわる説明がまだ完了していません。旅人が要求するドリンクの提供が完了していません」


だが想定外のスパイスを楽しんだのも束の間。個体名・エイドンの口から紡がれたお決まりの言葉に、イノリは酸っぱい果実を食べたような顔になった。イノリにそのような顔をさせる偉業を成し遂げた男の、ぼんやりとした表情が無性に腹立たしい。イノリは今日も怒っていた。


「その顔はおいしくない。さっきのように話せるか」

「へえ。……。」


呆けた表情を浮かべた真っ白な肌に、かすかに血色が昇っていく。白濁した眼球に意味の光が灯る。


「ごめんなぁ、ワは…………耄碌するには早いけんどなぁ」

「構わない。続けてくれたまえ。ゆっくりでいいぞ」


イノリの良識は、謝るべきは自分たちだろうとけたたましく訴え続けていたが、男に現況を把握させるために払う努力がどれほど無益で不毛なものであるかを、イノリはよく識っていた。


「あぃ……酒が仕上がる頃は、そぃはもうしばれやす。熟成がでける時期、ワが村では翌年のトマトの仕込みをしやす。ちべてえ水に両手を浸して、カカァの手もトマトみてぇになりやす」

「それはもう聞いた」

「酒ができたら、樫樽がありやしたらふたぁつは売りに出しやす。ひとぉつは寝かせやす。残りは上様に納めやす」

「それは標準的だ」


イノリは頷いた。法が厳格に運用されているのは無駄がないことだ。興が乗った様子のイノリの相槌に、男の言葉にも意を得たりとばかりに力が入る。


「でも違ったんでさあ。上様は、今年はたくさん納めろって言ったんでさあ」

「たくさんとはまたアバウトなことだな。どれぐらいだ」

「……たくさぁんでさぁ」


困ったような男の表情に、イノリはため息をついた。10という概念を持たない人間に、システムアシストは用を為さない。


「たくさぁん持っていかれたら、それは困るな」

「せでやす。酒が売れなば、季節の備えができなす。カカァ病気さぁなりやした」

「それは新情報だ。心配なことだな」

「へぇ、むねばつぶれそうでやした」


イノリの表情が、ベッドの角に小指をぶつけたようなものに変わる。胸がつぶれるというのは、大変に痛そうだ。サイズが合わないドレスを無理に着るようなものだろうか?


「奥方の病気はなんだったんだ」

「へぇ。……病気でやす」


イライラする。この男は、無駄が多い。


「病気とは困ったことだな。死んだのか」


男は勢いをなくした様子で、おどおどした表情を見せた。しばし視線をさまよわせた後、イノリが望む答を見つけだした。


「知りやせん。…ああ! ワが病気さなると、カカァはスープば作りやした」

「! スープか。それはうまいのか?」

「へぇ……スープは果実酒を使いやす。うすぅくうすぅくてうまくはねぇけんど、はらばそこからカーっと熱くなりやす。汗ばかいて、寝て、起きて、寝て、起きる頃には元通りでやす」

「なるほどな。酒精の力を借りるわけだな」

「……へぇ。スープば教えたのは、ワがカカァ、でやす」

「………………わかった!! 奥方に製法を教えたのは、そなたのご母堂なのだな!」

「へぇ、せでやす」


ここは、機転の速さを褒めるところなのでは? 何を言ってるんだろう、と、阿呆を見るような顔をするのは、理不尽ではないか。技術は万能ではないというのは本当だ。男の表情が、またしてもだらしなくゆるむ。


「カカァは、でぇじでやす。宝物でやす。ワは、ワは」

「要約して」

「病気ばなおすは、スープがいりやす。スープば作るは、果実酒がいりやす」

「いいぞ」

「ワは、首ば刎ねられやした」


これはまた、難解な謎がきた。だが、この手の展開に関しては、何度も何度も予習と復習を繰り返したイノリの専門分野だ。しばしの沈黙ののち、イノリの表情が輝いた。


「…………わかったぞ! 納税品に手をつけたのだな!」

「へえ。」

「翌年上納する熟成用の樫樽からほんのすこぉし酒を拝借しても」

「かまわねぇと思いやした」

「だがバレた!」

「へぇ。」


イノリの心は、達成感で満ちていた。これはなかなか、読み解けない正解なのではないだろうか。この仕事をやってきた甲斐があると思う瞬間だ。


「そうか、それは明くる徴税の折はたいそう心を痛めたことだろう! わたしも悪戯をしたあとは見つからないかと、それはもうドキドキしたものだ」

「へえ。」

「なるほどなー、だいたい理解ったぞ」


イノリは、最後まで答を聞かないことを好んだ。自分と、せかいの真剣勝負。これぐらいの楽しみがなければ、やってられないではないか。


「システムコール! 彼に好きなだけ果実酒をふるまってやれ! 飲みきれないぐらいの、おいしいやつだぞ!」




*        *        *




執務中。(刑務時間内の飲酒を禁止する法律は存在しない。ただし、休憩は認められない。)




*        *        *



イノリは、機嫌が悪かった。

昼休み明けの仕事は、なんだか憂鬱なものになった。

なかなかないぐらいに波乱に満ちたドリンクオーダーに一度はテンションが上がったものの、そこから先の男は期待外れだった。ありふれた農村で繰り返されるありふれた日常。イノリはすでにベイクス村の生産物の作付面積まで把握している。労働とささやかな酒宴と性交の繰り返し。


それ以上に不愉快だったのが、男がせっかくの果実酒にほとんど手をつけなかったことだ。ほんのひとなめ、首をかしげると、そのあとは要領を得ない答を繰り返すばかり。口を開けばカカァカカァと、いったい何を言っているのか。


イノリは残った葡萄酒を、もったいないから自分で飲むことにした。おいしいものを頼んだのだから、これはおいしいものだ。そういえばのどが渇いていたのだ。乾ききった喉を、最上級のピノ・ノワールのどっしりした気配が落ちていき、膨らみのある香気が鼻腔を満たす。どんな詩人も言葉を失うであろう極上の体験。敢えてそれを一言で表現するならば──







「まっず」







Chapter1 “Farmer” re:corded.

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