第17話 マーガレットのつぶやき2 その六



 その夜、ボクは泣いた。

 たけると蘭さんが両側から支えてくれた。


「しかたないよ。かーくん。ミニバラは病気に弱いことが、よくあるんだ」

「性格はツンデレだけど、病弱だったんですね。かーくんはあの子に、よくしてあげたと思いますよ」

「でも、ボク……なんにもできなかったよ?」

「ありがとうって言ってたじゃないか」


 そんなこと言わないでよ。よけい悲しくなる。


 はるかさん、ありがとうって言ったとき、キミはほのかに笑ったよね。

 あのとき、キミは少しでも幸福を感じてくれたんだろうか。この世に生まれてきてよかったなって、思ってくれただろうか?

 ひと春だけでも花を咲かせられたことは喜びだと……。


 人間かーくんがつぶやいた。


「あーあ。写真くらい撮っとけばよかったな。まだ綺麗だったときに。けっきょく、残ったのは、これだけか」


 その手には、はるかさんの首にかかっていた商標を示すプレートがにぎられている。


 ああ、そうかとボクは気づいた。


 だからだったのだ。

 彼女が品種登録にこだわったのは。


 ボクらが生きて、咲いて、子孫を残したとしても、死んでしまえば、あとには何も残らない。“ボク”という花が生きていた証は、品種のロゴの入った小さなプレート一枚なのだ。


 もしかしたら、はるかさんは自分が病弱だということを知っていたのかもしれない。自分が何も残さずに消えてしまうこと。


 それは彼女にとって、あまりにさびしいことだったのだろう。

 最後に残るプレートが、とても重要だったのだ。


(はるかさんは、きっと、さみしがりやだったんだな。仲よくなったあと、いなくなると悲しいから、最初から固いカラを自分で作って、誰のことも受け入れようとしなかったんだ)


 でもそれじゃ、よけいに悲しいよ。

 ボクら、もっと親しくなれたはずなのに。

 いろんなこと話して、いっしょに笑って、ひなたぼっこしたり、夕涼みのシャワーを浴びたりしたかったよ。


「はるかさんりボクは忘れないよ。キミの思い出は、ずっとボクのなかで生きてる」


 縁側から見あげる星に、ボクは誓った。


 さて、そんなことがあって、およそ三週間も経ったのち。


 あいかわらず、たけるは粉をふいていた。ある日、たけるの葉っぱの裏に、ほんのちょっぴりだけど、はるかさんと同じ黒い粉を見た人間かーくんは、一大決心をした。

 それまで、わりと、ざっとしかふいてなかったのだが、三十五度の猛暑のなか、二時間かけて、たけるの葉っぱを一枚残らず、ぬれタオルで丁寧にふいた。

 たけるの葉っぱはピッカピカになった。

 西日を受けて、さんぜんと輝くたけるは、じつに神々しい。


「ああ、なんか、スッキリした。ひさしぶりに一点の曇りもない明朗さ。人間かーくん、ありがとな! おかげで心置きなく頑張れるぜ」


 そうか。シーズン中、三度めの花を十五以上もつけといて、本気じゃなかったのか。


 翌日、たけるは例のピンクと赤の混交の花を咲かせて、人間かーくんを狂喜乱舞させた。

 これだよ。たけるの本気。


「たける。綺麗だねぇ。いい子、いい子」

「うん。おれ、この鉢にふさわしい大きさになる。見ててくれよ」


 たけるは謎の白い粉から完全に脱した。

 その後、人間かーくんの調べで、白い粉は“うどん粉病”、黒い斑点は“黒星病”というバラの病気だとわかった。菌による病気だ。虫はたぶん、葉ダニ。病気で弱ってる葉に、よく寄ってくる。


 そういえば、はるかさんが買われてきたとき、何枚も葉っぱが枯れかけてたっけ。すでに病におかされてたんだな。


 たけるは同じ病を一か月以上も患っていながら、人間かーくんの愛情で、ほとんど葉を枯らすことなく乗りきったのだ。


 ちなみにトマトのマコちゃんの病気は葉カビ病。こっちは葉っぱ切られて、どうにかなった。


 赤紫の雑草は葉っぱが次々に枯れて、もう死ぬかと思われたが、このごろ、ようやく元気をとりもどした。

 たまに鉢がとなりにされると、すかさず蘭さんの葉っぱをなでたりしてるが、蘭さんは前ほど口汚く罵ることはなくなった。はるかさんの死を見て、思うところがあったようだ。


「ふん。死なれると後味悪いからね。たとえ、おまえみたいな雑草でも」


 うーん。蘭さんもかなりのツンデレだ。

 ボク、知ってるからね。

 雑草が枯れかけてたとき、蘭さん、けっこうハラハラしてたくせに。


「さてと、僕は来シーズンにむけて、花の準備しないと。人間かーくんが期待してるから」

「おれは鉢いっぱいに大きくなる。とりあえず、新しいベースシュート(根元から伸びる太い枝)一本、芽吹かせた」

「えっ、ベースシュートって春限定じゃないの? たけるはほんと、奇跡の花だよね」

「よせよ。照れる」

「でも、ボクだって鉢いっぱいになったよ。このごろ、そのせいか、喉が乾くんだ」

「それって根詰まりなんじゃないのか?」

「え? そうなの?」

「人間かーくんに、なんかされてよ知らないぞ」

「うーん。それは、かんべん」


 毎日がめまぐるしく、すぎていく。

 そして、ボクらは今日も生きる。

 大きな事件、小さな出来事。

 いろんなことに、一喜一憂しながら……。




 了

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