第八話 もうひとつのギフト

まだあったのね……



 じいちゃんのギフトを受けとった、しばらくあとのことだ。

 遺品整理を続けていた猛が、ある夜、さけんだ。


「かーくん! あったぞ! 今度こそ、じいちゃんの隠し財産だ!」


 僕は台所で、猛が夕食で出した大量の残骸(食器)の後始末に追われていた。

 まったく、食うだけ食って、いいご身分だ。


「はいはい。今、行くよ。僕にも丹波の山奥に栗畑(山小屋じゃなくなってる)があるといいなぁ」


 気のない返事をしながら、キッチンのとなりの八畳間へと歩いていく。

 がらりと、ふすまをあけるものの、猛がいない。


「あれ? 猛?」

「ここだ。ここ」

「いい年して、かくれんぼだぞーとか言ったら、怒るよ?」

「そんなこと言わないよ。ここだって。押入れのなか」


 なるほど。

 押入れのふすまが、ちょっぴり、あいてる。スキマから、おいで、おいでしてるのは足だ。くつ下はいた、デッカい足。横着な巨人族め。


「人を足で呼ぶなよぉ。せめて手じゃない? オカルトっぽくて、ドキドキするのに」

「そんなに、ドキドキしたいんなら、あとで、兄ちゃんが、イヤってほど、おどしてやるよ」


 い、いや。それは遠慮したい。

 猛の“イヤってほど”は、ほんとにオシッコちびるほどって意味だ。


「そんなの望んでない!」

「じゃあ、かるく遊んでやるから」

「…………」


 ダメだ。

 猛のイジワルモードにスイッチが入ってしまった。

 とりあえず、反論はやめよう。

 よけい、やつをその気にさせてしまう。


「なんか、さっき、変なこと言ってなかった? じいちゃんの隠し財産がどうとか」


 話をそらすと、またもや、足のさきで、来い来いをする。

 僕は押入れに近づいた。

 ふすまを全開にする。

 猛の首がない!


「ギャアアッ! 兄ちゃんが化けて出たーっ!」

「誰が化けてだよ。兄ちゃんを勝手にオバケにするんじゃない」


 猛が腰をかがめると、にゅうっと首が現れる。

 なんだ。屋根裏、のぞいてただけか。


「ビックリさせるなよぉ」


 あははと、猛は世にも嬉しそうに笑った。


「かーくんはカワイイなぁ」

「なんだよ! まさか、僕をおどすために、わざわざ、台所からここまで来させたんじゃないよね?」

「おれは、おどしてなんかないよ。かーくんが勘違いしただけだろ?」

「まあ、そうだけど……」

「ほら。これ。屋根裏に隠してあった」


 兄はクッキーの缶をかかげた。

 うん? なんだろう?

 その缶を見た瞬間、僕は、なぜだか、背筋がゾワリとした。


 禁断の箱——

 その缶は、あけてはいけない……そんな気がする。


「……なんか、やめたほうがいいんじゃない?」

「なんでだよ?」

「だって、屋根裏にあったんだろ。じいちゃんが僕らに見せたくなかったものってことじゃないの? 昔のラブレターとかさ」

「ラブレターなら、おもしろいぞ?」

「いや、プライバシーってもんが……」


「かーくん。隠し財産、ほしいんだろ?」

「そうだけど、そこには入ってなさそうな気がする。だいたい、隠し財産なら、そんな安っぽいクッキーの缶なんかに——」

「はいはいはい」


 あ、あけたーッ!

 猛のやつ、いきなり、あけた!

 僕が、あれほど、やめろって言ったのに!


 カパン——と、いい音がして、ふたがひらいた。

 なかから勢いよく紙がこぼれおちる。


 やっぱり、ラブレターか?

 僕らに隠さなけりゃならないってことは、ばあちゃんからの手紙じゃないんじゃないの?


 そ、それとも、隠し財産の地図か?

 栗畑の権利書か?

(かすかに、期待)


 いや、違った……。

 四つ折りのをひらいたとたん、猛がだまりこむ。


「あッ! そ、それは……」


 それは、やはり、あけてはならない禁断の箱だった。

 僕はすべてを思いだした。


「かぁーくん?」


 かーくんの“か”に、変な上がり調子の抑揚つけて、こんなふうに呼ぶときは、怒ってる証拠だ。


「かーくん? これ、なーんだ?」

「て……テストの答案……」


 ヘタクソな字で書かれた名前は、とうどうかおる——


 そう。僕はすべてを思いだした。

 五十点や四十点や、はなはだしきは二十五点の答案用紙の秘密を。


 子どものころ、猛は僕の教育に、それはもう、もっのすごく熱心だった。そんじょそこらの教育ママなんかより、よっぽど厳しかったね。


 僕が七十点以下をとろうもんなら、怒り狂って、算数ドリル三十ページぶんくらい解かせた。

 それは、それは、恐ろしいスパルタ兄だった。

 ふだんは優しいだけに、その豹変ぶりはまるで物の怪に取り憑かれたかのごとくであった。


 それで……そう。

 僕は、じいちゃんに泣きついた。


「じいちゃん。また兄ちゃんに叱られるよ」

「そうか。そうか。薫はがんばったんだよな?」

「うん。がんばった。でも、ダメだった」

「次、また、いい点とればいいさ。ほれほれ、もう泣くな。これは、じいちゃんが預かっとくからな」

「じいちゃん、大好きぃー!」


 そういう……事と次第だ。


 そして、今、あのころと同じ目をして怒り狂う猛が、目の前にいる……。


「いや、その……それはさ……」

「これ、隠したんだよな?」

「え? えっとぉ……」


「兄ちゃんに見つかると叱られると思ったんだろ? そんで、隠した」

「えっとぉ……」


「かーくん。点数が悪かったのはしょうがないよ。次、もっと勉強すればいいだけの話だ。兄ちゃん、そんなことで怒らないよ」


 ウソばっかり!


「なのに、隠した! 兄ちゃんはなさけないよ。かーくんをウソつくような悪い子に育てたおぼえないぞ!」

「ご、ごめんなさい……」


「かーくんのバカヤロウ! 兄ちゃんに隠しごとするなんて!」

「だから、ごめんって……」


 そのあと、僕は三時間ばかり、お説教をくらった。

 気が遠くなるほどの時間がすぎた。

 なんで、十五年も前のテストの答案で、こんなに叱られなきゃいけないのか。


「だいたい、かーくんは、じいちゃんと兄ちゃんの、どっちが好きなんだ! 兄ちゃんばっかり、のけもんにして、さみしいだろッ! そこんとこ、ちゃんと反省しろ」


 最後は頬ずり攻撃だ。

 ああ、もう……めんどくさい兄だなぁ。

 こんなことなら、子どものとき、素直に怒られとくんだった。


 やっぱり、あれはパンドラの箱だったか。

 こっちの箱には、希望は入ってなかった。

 じいちゃん、ほどよいとこで、すてといてくれたらよかったのに……。


 まあ、兄の過剰な愛情は確認できた。

 これが財産と言えば、財産か。


 ハッ! もしや、じいちゃんは、だから、わざと捨てずに、とっといてたのか?

 僕らにおたがいの絆を再認識させようと?

 さすがだ。じいちゃん。あなどれん。


 天国で、じいちゃんが笑った気がした。




 了

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