東堂兄弟の短編集

涼森巳王(東堂薫)

第一話 文化祭に兄が来た!

猛が……猛が来る!



 知られちゃいけない。

 アイツにだけは……。

 この秘密を守るためなら、僕はなんだってする。


 春からの高校生活、天国だった。そう。まだ、あのことをみんなに知られていない。


 僕はアイツが通ったあとをたどる。

 それは兄弟に生まれた以上、しかたのないことだ。


 僕の名前は東堂薫。兄は猛。

 僕と猛は四歳違い。だけど、僕が三月生まれなので、学年は三つ違う。

 つまり、中高はやつの卒業と僕の入学のタイミングがあわない。同じ学校に通うことはなかった。


 しかし、兄は並みの中高生ではない。ウルトラスーパーな完璧美少年だ。

 成績はつねに学年トップクラス。子どものころから続けてきた柔道剣道では、しばしばインターハイで優勝もした。家のなかはメダルだらけだ。


 おまけに顔がいい!

 これでなんでジャニーズじゃないんだ?——ってほどのイケメン。彫りの深い男らしい顔立ち。背も高くて、足が長い。


 僕は生まれたときから(生まれたときのことなんか、おぼえてないけどね)、このスーパーな兄とくらべられていた。

 いや、くらべるというよりは、別の生き物として住みわけが許されていた。


「たーくん(猛の子どものころのニックネーム)は、ほんとになんでも、すぐできるのねぇ。賢いわぁ」


 と兄が言われる一方、僕は——


「あらあら。かーくん、お兄ちゃんのマネしちゃって。可愛いわねぇ」と、こうだ。


 何かが違う……。

 ずっとそう感じてきた。


 これまでの人生で可愛いは聞きあきた。一度でいい。兄のようにカッコイイと言われてみたい!


 なのに、またもやこのピンチ……。


 あっ、話が脱線した。

 そんなスゴイ兄だから、学校中の生徒に知れわたっている。

 二年生、三年生はもろにファンだ。女子生徒も男子生徒も崇拝している。“あこがれの東堂先輩”なのである。

 男子にも人気あるのは、やつがで頼れるからだ。


 一年生のあいだですら、名前は伝説と化している。二、三年生が武勇伝、吹聴しまくるからだ。


 おかげで、僕は中学高校の入学当初、動物園のパンダよろしく、毎日、毎休憩時間、ぞろぞろと見物に見舞われた。


「あれだって。東堂先輩の弟」

「ええっ! ぜんぜん似てない。でも、可愛い」

「弟? 妹じゃないの?」

「妹だろ」


 そんな会話がひっきりなしに聞こえた。

 まあ、それはいいのだ。

 僕は僕なりに自己主張の方法を会得してきた。


「はーい。かーくんです! 妹じゃないよ。弟だよ。弟って呼んでくれないと、猛兄ちゃんに言いつけちゃうぞ——なんてね。よろしくお願いしまーす」


「ギャアーっ。なに、この子。可愛い! ゆるキャラ系ー!」

「かっ……可愛いな……」


 猛の弟であることを最大限に利用する。

 それが僕の処世術だ。


 だが!

 ついにこの季節がやってきてしまった。

 文化祭だ。今日から文化祭が始まる。

 この一週間、僕はとてつもない苦労をしてきた。


 兄にだけは知られてはいけない。じゃないと、中学の二の舞だ。僕のこれからの高校生活がかかってる。


 なぜかって?

 それでなくても、兄が学校に来たらやっかいなのに、よりによって、うちのクラスの出し物は喫茶店……なのだ。

 男子は執事、女子はメイド。よくあるやつ。

 ただし、僕以外のみんなは……。


「なんで僕だけメイドなのぉー?」

「かーくん、可愛いから」

「ヤダからね。絶対、やらない」


「もう衣装、作っちゃったよ!」

「おねがい。おねがい。かーくん、おねがい」

「人気投票一位のクラスは全員にクオカード貰えるんだって」

「かーくん、これ着ないんだったら、一人で裏方だけどいい? ホットケーキとか、フレンチトーストとか、文化祭のあいだじゅう、ずっと焼いてる?」


 それも、なんかヤダなぁ……。


 僕はクラスの女子に押しきられて、メイド服を着ることになってしまった。


「ギャアーッ! 似合うー!」

「激かわー!」

「かーくん。いっしょに写真とろうよ」

「髪にもリボンつけよ? 可愛くしたげるよ?」

「メイク、メイク! ピンクの口紅ィー」


 文化祭当日。

 僕は完全にクラスの女子のオモチャだ。


 しかし……この姿を兄に見られることはない。苦労しただけのことはある。僕は隠しとおした。猛は文化祭の日取りを知らない。


 昨日の夜なんか、晩めし食いながら、すっごい変な目で見られたけどね。


「かーくんさぁ。最近、なんか、ようすが変だよな?」

「えッ? ぜんぜん変じゃないよ?」


「兄ちゃんに隠しごとしてるだろ?」

「してないよ?」


「してる。絶対してる。正直に言わないと、いっしょに二条城までウサギとびさせるぞ?」


 五条の自宅から二条城までウサギとび……。

 せめて走りこみじゃいけないのか?


「……わ、わかったよ。じつは、この前の物理の小テスト——」


 僕はこの日のためにとっておいたテストを猛の前にさしだす。六十五点なり。


 うちは子どものころに両親が死んだんで、じいちゃんと三人で暮らしてる。


 僕の教育係は兄だ。そして、超スパルタ教育である。七十点以下をとろうものなら、そのあと二時間はベッタリ、猛がよこについて、猛勉強の猛特訓。

 名前が猛なだけにね……。


 僕は大好きなクイズ番組を犠牲にして、二時間を勉強についやすことで、秘密を死守した。

 したがって、兄は来ない。

 これで来年までの一年は平穏な高校生活が送れる。


「うわっ、彼女、可愛いっ! おれとつきあえへん?」

「なに言うてんや。薫はおれの彼女やで」

「はあ? おれの彼女やし」

「二股やな……」

「三股やね。おれもつきおうとるんや」


 斉藤くん。吉村くん。浜岸くん。クラスの男子どもよ。そうやってバカにしてるがいいさ。ふっ。


 屈辱くつじょく的な女装も今日だけは甘んじて受け入れてやろう。この日さえ乗りきればいいんだからな。ハッハッハッ——


 と、大きくかまえていた僕は、青天の霹靂の《へきれき》だ。


「東堂先輩が来たッ!」


 ガラッと教室のドアをあけて、とびこんできたのはクラスの女子。竹下絵麻。通称、エンマちゃん。エンマさまも、まっつぁおの超強引委員長。僕を女装させた張本人だ。


「伝説の東堂先輩、来たんやって! 今、校門んとこで先輩たちがさわいでる」


 や……ヤバイ。なんでバレたんだ?

 苦手の物理の猛特訓(たける特訓!)はなんだったんだ?


 僕は「ギャアーッ!」と叫んで教室をとびだした。


「ああっ、かーくん。待ってよ」

「あんちゃん、紹介してぇー」

「東堂先輩と写メりたい!」

「待て言うとろうがぁーっ!」


 ごめん。僕はドロンです。

 猛が来るまでに、どっかに身をひそめなければ。


 まず、体育館にもぐりこむ。ここなら教室と離れてるから、猛には見つからないだろう。


 体育館は演劇部がロミオとジュリエットのゾンビ版をやってた。登場人物が全員、ゾンビ! シュールなお芝居だ。


 観客のふりして、まんなかあたりのパイプ椅子にすわる。


 となりの席には、なんとなく暗い顔した女の子がいた。制服だけど、うちの学校のじゃない。

 あっ、僕と同じマスコット持ってるな。ポッケから、はみだしてるやつ。


 その後、女の子は立ちあがった。


 僕はこのまま、ここで時間をつぶすぞ。

 が、まもなく、猛がやってきた。


「へえ。お芝居してるのか。ジャマしちゃ悪いね。なつかしいから来てみたけど」

「いっしょに観ましょう! 先輩」


 女の子数人とゴチャゴチャ話しながら、こっちに近づいてくる。


 マズイ。僕はさりげなく背中をむける。うしろ目に見ながら(後頭部に目玉!)、やつとは反対のほうにまわってあとずさる。ゆっくり。ゆっくり……。


 よし。兄は気づいてない。

 僕は体育館をぬけだした。


 校庭に出ると、体育会系のクラブが店を出していた。

 ふつうにヤキソバやタコ焼きの屋台がほとんどだ。でも、弓道部が的当てをしてる。

 にぎやかでいいなあ。


 ん? さっきの他校の女の子だ。校舎にむかってる。他校の子が一人で来るなんて、変わってるなぁ。

 あっちに行くと、一年の靴箱のある出入口……。


 なにげなく、僕はついていこうとした。が、そのとき、体育館のドアがあいた。


 あっ、猛だ。猛が出てきた。ひきとめる女の子たちに手をふって、こっちに走ってくる。


 ヤぁバイ!


 とりあえず、屋台の裏に隠れる。そそそ——


 すぐに猛は別の女の子につかまった。


「きゃああっ。東堂先輩! どこ行ってはったんですか?」

「うちの的当てやってってくださいよ」

「いや、おれ、弟、探してるんだけど」


 むっ、やっぱり探してるんだ。


「そんなん言わんといてぇ。みごと金的に当たったら、景品つきますよ?」


「景品って?」

「ノラのこホニャちゃんの手作りマスコットです! 手芸部とコラボした限定版です」


 なんですと? ノラのこホニャちゃん?


 僕の大好きな手芸部オリジナルのキャラクターだ。

 目つきの悪い黒猫のマスコットを、すでに僕は三匹、購入してる。おなかのハート模様が超プリティー。


 ほしい……限定版ホニャちゃん。


「こいつは薫の好きなやつだね」


 猛は百円玉を財布からだし、弓道部の女の子に渡す。すっと弓矢を手にとった。的当て用のオモチャの弓矢。だけど、猛がかまえると、いやにさまになる。


 キリキリキリ……ヒュン————スポン(ゴムが的にひっついた音)!


 お、み、ご、とォー! かっ……カッコイイ。

 猛はほんと何やらしても……。


「キャアーっ、先輩、さっすが!」

「ステキー!」


 女の子たちの黄色い声で我に返った。

 はっ、いかん。兄に見ほれてる場合じゃない。

 僕はそろそろと校舎のほうへ……。

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