第675話 店主
重い扉をそうっと押し開……こうとして止まる。
「あれ? 開かない」
鍵はかかっていない。ほんの数センチ開いた所で、何かに引っかかった形だ。
「もしかしてつっかえ棒してある? 開いてないのかな?」
じつはお店が移転になっていた、なんてオチならこの汚さも納得できるんだけど。背後のミックを見上げると、オレの肩越しに扉へ手を着いた。
「そんなことはないと思うが……どれ」
ぐ、と力の込められた手にかかると、案外簡単に扉は陥落し、取っ手を掴んでいたオレは引っぱられるように店内へまろび込んだ。
ガランゴトン、ガツンギキン!
同時に鳴り響いた騒音に思わず首をすくめる。オレが何か蹴飛ばしたわけじゃ……いや、多分なにか蹴飛ばしたような気もするけど、その音じゃない。
「うるさ……何これ、もしかしてドアベルのつもり?」
扉の内側にぶら下げられた、大小様々な分厚い空瓶。まだ揺れるそれらを抑え、ひとしきり店内を見回したミックが微妙な顔でオレに視線を寄越す。
「店主はどうも、その……豪快な人物のようだな」
選び抜かれた表現に苦笑して、本当にこの店でいいのか今すぐジフに確認を取りたくなってきた。
ごろごろとそこかしこに転がる瓶、木箱、樽、伝票らしき紙くず。無造作に置かれた木箱のせいで、扉が開かなくなっていたに違いない。
お世辞にも広いと言えない店内には、確かにお酒らしきものが積み上げられて双璧と言わずあちこちに壁を築いているけれど、果たしてそれは飲んでも大丈夫なものなんだろうか。
お酒の店だからってアルコール臭がするのも不安をかきたてる。ここ、イートインスペースはないよね? 一体そのアルコール臭はどこから?
「えーと。オレ、ちょっと本当にこのお店で良かったのか確認してからにしようかな……」
「た、確かに貴族様が買い付けるには、その、趣が違う店には見えるな」
顔を見合わせて、またあの凶悪なドアベルが鳴らないようそうっと扉に手を掛けようとした時、何気なく視線をやった先にぎょっとした。
「えっ? 大丈夫?!」
繋いでいたミックの手を振り払ってカウンターらしきものを跳び越え、お酒の塔の間を縫うように奥へ滑り込んだ。
「ユータ? 急にどうした? ……ああ」
転がっている諸々の中に見えた靴には、足が続いていた。回り込んでみたら、ちゃんと身体もそこにある。ジフから筋肉を8割くらい削ったらこんな感じだろうか。顔の造形は山賊髭とぼさぼさ頭のせいでよく分からないけれど。
もしかして、店主さん? だとしたら急病か何かでこうして倒れちゃったせいでお店がこんなふうに……はならないね。
冷静にそんなことを考えつつ、ひとまず身体に触れようとした時、ふわりと身体が浮いた。
「あ……ミック大丈夫だよ、回復しようと思って」
レーダーで見る限り急ぐ必要はなさそうだけど、倒れているまま放置するわけにはいかない。
どうしてかしっかり抱え上げられてしまい、困惑しつつ間近くなった顔を覗き込んだ。
ね? と眉尻を下げてみせると、どこか苦かった表情がへらりと歪んだ。
うん、ミックって割と何考えてるのか分からない……表情の変化がすごいよね。表情豊かというわけではないのに、不思議だ。
『何考えてるのかは、圧倒的分かりやすさだと思うわよ』
『この顔の時なら俺様だって分かるぜ!』
モモたちのぬるい視線に慌てたのか、ミックは妙な咳払いをして努めて真面目な顔をした。
「ん、んんっ、いやそうじゃなくてだな! ユータがこの男に何かしてやる必要なんてないぞ」
言いながら手を伸ばし、乱暴に男性を揺さぶった。
「……ンだぁ、この」
あ、起きた。……ええ?! 寝てたの?!
ミックが身体を捻るようにしてオレを男から遠ざけているもんだから、不機嫌なダミ声しか聞こえない。
首を伸ばしてみると、ふらりと立ち上がった男性がミックの胸ぐらを掴んだのが見えた。
喧嘩になっちゃう?! 慌てて前へ出ようとするものの、しっかり抱えられていてはそれもままならない。
「お前の店はここか。次何かやらかせば、もう逃げられんな」
「ああン? てめぇは――アレッ? ミックさんじゃないですか、やだなあ、もう! 何もやらかしたりしてないでしょう?」
男性の濁った鋭い瞳が、突如不自然なまでにきらきらした光をまとった。うわぁ、どう見ても善人ぶってる。オレが見てもあからさまに怪しい。
「ミック、知り合いだったの?」
「やめてくれユータ、断じて知り合いじゃない」
「冷たいなあミックさん、何度もお会いした仲じゃないスかあ! ところでそっちは――」
揉み手しそうな様子だった男性が、鋭い視線でミックとオレを交互に見た。
「見るな、ユータが汚れる」
「酷っ! ははあ、お子さん――ではないからぁ、弟……っぽくもないし。んー友人にしちゃあ……と、思ったけど2人を見たら分かりますよ! 親友なんですねッ?! 特別ってやつだ!」
……商人さんか。いや、そうなんだろうけども。
まるで少しずつ調味料を足して正解の味を探るようなやり取りに、つい苦笑した。同じ商人でも以前2人で行った魔道具店の対応とは雲泥の差だ。それで満更でもなさそうな顔をするミックもミックだよ。
「――ああ? てめえ、ジフが言ってたガキか!」
飛び上がってオレを睨めつけ、おい、と低い声に窘められてまたきらきら天使の瞳に戻る。
やっぱり店主だったこの男性は、しばしば街でいざこざを起こして見回り中のミックに補導されているらしい。それは確かに知り合いとは言い難い。
「うっ、やっぱりジフはこのお店でお酒を買ってたんだね……」
できれば、違う店に行きたかった。
「なんだァ、このガ……。やだなあ、ぼっちゃん! 俺は酒の目利きに関しちゃあちょっとしたもんなんスからねえ!」
項垂れつつリストを渡すと、ちらりと目を走らせて鼻を鳴らした。
「今回は随分気前がいいとみえる。いいぜ、出してやる」
よっこらせ、と木箱から立ち上がった男が、ふとオレを振り返った。
「それはそうと……ぼっちゃんはすげえレシピを持ってるから、強請れ……頼めばなんかいいアイディアくれんだろって言ってやがったな」
ジフ、なんて余計なことを。
「だけど、ここはお酒屋さんでしょう? オレが役立てることなんてないよ?」
「そうなんだけどよぉ、見ての通りあんま客来ねえし、昔馴染みの伝手がなくなったらちーっとばかしマズイっつうか」
そうだろうなあと、ミックと顔を見合わせる。だって、一見廃墟だもの。
「じゃあ、とりあえず掃除したらいいと思うけど」
「あのなァ、続けられなきゃア意味がねんだよ、継続可能かどうか、ってな?」
分かってねえな、なんて首を振られたけど、継続しよう? お店のお掃除くらいは。
「夜はなァ、危ねえから仕方ねえ。でも昼間くれえは誰か買い付けにきてもいいと思うのよ」
「そんなに治安悪くなさそうだけど、やっぱり夜は危ないんだね」
「や、まあ治安っつうか、俺がいるだろ? 日ィ暮れたらさすがに飲むし」
……危ないの、そこ? てへ、なんてきらきらした目をしてみせてもダメ。
「ユータ、関わる必要ないぞ。注文の品は後で取りに来るから扉付近へ出しておいてくれ。さあ、用がすんだなら行こうか」
ミックがテキパキと言いつけ、さっと立ち上がった。もちろん、オレを抱えて。
「えーちょっと待ってくれよミックの旦那ァ!」
「知らん」
追いすがる声をものともせずに、騎士の顔をしたミックがガランゴトンとうるさい扉を開けた。
「……ふふ」
「ど、どうした?!」
「ううん、騎士らしくて格好いいなって」
オレはこういうこと全てに引っかかるから、いろんなものに巻き込まれちゃうのかな? ミックのきっぱりとした対応を見習わなきゃいけないかもしれない。
オレは、耳まで染まったその顔はあんまり騎士らしくはないなと思って笑ったのだった。
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みなさまよいお年を……
近況ノートの通り、ひつじのはねまだ寝込んでおりまして……せめて1話だけでも、と結構な力を振り絞って更新頑張りはしましたが……これで精一杯でございます。
近況ノートにたくさんのコメントありがとうございました!
とりあえず早く回復して通常通り更新できるように頑張ります……
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