第643話 ナイショにしている、という体裁

「ふむ、ぬしらが入っても問題はなかろうよ。ただ、風呂には少々熱かろうの。どれ……」

お鍋を置いたサイア爺は、そっと地底湖に手を浸した。

「……これで良かろう。ぬしらのような幼子に合わせたからの」

「えっ?! すごい、こんな所から温度調整できるの?!」

遠隔操作で湯温調整なんて、最新設備並みの便利機能だ! もちろん、地球の! 

「ほっほ、気張ればできんこともないじゃろうが、そうではないよ。マーガレットが地下水路を巡回しておるからの、ついでじゃ」

「えっ……マーガレットに頼んじゃったの……?」

それ、絶対大丈夫じゃないやつ……。怒り心頭で熱湯風呂か極寒風呂にされているかもしれないよ?!


大いに焦るオレを見て、サイア爺は心得たようにイタズラっぽく笑った。

「心配するでない、『ナイショ』にしておるからの。ヤツは知らんよ」

「本当? だけど、それはそれで申し訳ないような……きっと、気付いたら怒るよ?」

きっと、サイア爺に言われたお仕事だと思って張り切ってやってくれるんだろうに。それも間違ってはいないけれど、それで喜ぶのがオレってなるとまた別な気がする。

ちょっぴりハの字眉になっていると、金の瞳が柔らかく細まって笑みを浮かべた。


「心配はいらぬよ、あやつに必要なのは『ナイショにしている』という事実じゃ。見ているが良いよ、全てやり終えてから怒るじゃろうて。たまには、あやつにも何かさせてやってくれ」

怒るなら、ダメなんじゃないの? よく分からない物言いに首を傾げたけれど、サイア爺は微笑むだけでそれ以上説明はしてくれなかった。

本当はマーガレットも一緒に遊べたらいいけれど、神獣の次代だもの、恐れ多いよね。それに、お風呂はちょっと……その、一緒には無理だから。


「えーと、じゃあ、どうしよう? マーガレットが怒った時のために、おやつでも用意しておく?」

マーガレットはあんなだけれど、甘い物は好きなんだ。

好きなものがあると、『にまっ』ってこっそり笑うんだよ。ラピスに向けるみたいな、華やかな笑みは決して見せてくれないんだけれど、オレはその堪えきれなくなった笑顔も素敵だと思う。言ったら怒るけど。

「そうさの、それも良いな。じゃが、それより――喜んでやるといいよ。思い切り喜んで、楽しんでやるといいよ」

オレたちが? それはもう、楽しんじゃうつもりだけど、マーガレットはそれを見ていたりしないだろうに。

だけど、サイア爺がそう言うなら、それでいいってことだ。


「そう? じゃあ、今度マーガレットに会ったら、ありがとうって言うね! それで、いっぱい楽しかったことを言うね!」

「そうじゃ、それで良い」

サイア爺はしわの寄った顔を、もっとくしゃくしゃにして笑った。

きっとマーガレットは怒ると思うんだ。だけど、そうしていいなら、遠慮無く伝えよう。

オレはにっこり笑ってサイア爺をぎゅっとした。

「サイア爺も、ありがとう! サイア爺にもおやつ持ってくるね!」

「おうおう、嬉しいことじゃ。楽しみにしておるよ」

大丈夫、サイア爺はさほど甘いのが好きじゃないの知ってるよ。甘くないおやつにするからね!


「――ただいま!」

「おかえり~」

うわ、優雅な休日。

戻って来てみれば、泉……じゃなくて温泉のほとりではタープが設置され、その下にはデッキチェアよろしく土魔法の長椅子でのんびり身体を横たえるラキがいた。

穏やかな風にタープが揺れ、ラキの髪もさらりとなびく。温泉に入る予定だからか、半裸すれすれのラフな格好になっている。

完全にリラックスムードだけれど、その手元には加工道具。どうやらごろごろしながらも加工はやりたいらしい。

「すっごい! オレもやりたい!」

こんなの、『素晴らしい休日』を絵に描いたみたいだ!


さっそく倣って土魔法でほどよい傾斜の長椅子を作り、お布団を敷いた。ラキの収納袋に入れられるのはせいぜいタオルか敷き布だもの、オレの椅子の方がふかふかだよ!

得意になってそこへ身体を落ち着け、本など取りだしてみる。だけど、こんなに素晴らしいシチュエーションだというのに、幼児の心がうずうずしてちっとも本に集中できない。

「……ねえユータ、温泉は~?」

一向に進まないページにくすりと笑い、ラキがそう言ってオレの頬をつついた。

「あっ!! そうだった! 温泉、入れるよ! ……あれ? タクトは?」

「そこらに放牧してるよ~」

ラキがピィーッと指笛を鳴らした。


『わーい! もっともっと速く!』

「くそっ! 追いつけるわけねえって! もっとハンデだ、シロは3本足で走ること!」

『えー? いいよ!』

賑やかだなあ……。どこまで行っていたのか知らないけれど、土煙をあげる勢いで走り込んできた1人と1匹。汗と土とあと何だか分からないもので、これ以上ないほどどろどろになったタクトが地べたに転がった。

「はあっ、はあっ、しんどい!! 喉から血ぃ噴きそう!」

うわぁ……なんて最低な休日。

運動はさ、ほどよくやるから楽しいんだと思うけど。そんな、命削りそうな運動は楽しめないなあ……。


とりあえず息も絶え絶えのタクトを回復して、そっと温泉に手を浸してみる。

「……うん、大丈夫! ぬるめの温泉になってる!」

これなら長風呂しても大丈夫! マーガレット、上手にやってくれたんだね。

「よしっ! 入ろうぜ! お前もちょっと走ってこいよ、汚れて疲れた時の方が風呂入った時気持ちいいだろ?」

それでそんなに……? ううん、オレは今入っても絶対に気持ちいいから大丈夫。

「タクトはしっかり流してから入ってね……?」

「おう! お湯くれ!」

ぱぱっと下着1枚になって、まずはタクトを洗浄、オレもざっと流してラキを振り返る。


「僕、これが一区切りついてから~」

相変わらず一番優雅な休日スタイルでひらひらと手を振った。ちなみにちゃっかり、オレの長椅子の方に陣取っていたりする。

その間に先に入ったタクトが歓声をあげた。

「おーっ! なんかぬるっとする!」

「本当? ……うわあ、すごいね!」

慌てて続いたオレも、肌に手を滑らせ声を上げて笑う。

まるで石けんをつけたみたいにぬるぬるだ!


「ええ~、お湯なのにぬるぬるするの~?」

あんまりオレたちがきゃっきゃ言うもんだから、ラキも大急ぎで作業を終えてやって来た。

オレたちの期待に満ちた眼差しの中、半信半疑の顔が驚きに変わる。

「ね、すごいでしょう!」

「すげーよな! 面白いだろ!」

胸を張るオレたちに、くすくす笑って頷いてみせた。

「うん、すごいね~。だけど、なんでそんなに得意げなの~?」

なんでって、なんでだろう。


「俺らが先にすごいって言ったからな! 先にすごいって言った者の特権だ!」

「そう! オレたちが先駆者だから!」

「なるほど~?」

まるで、『微笑ましい』と言わんばかりの余裕の笑みは、1人だけ大人みたいで腹がたつ。

「ラキだってすごいって思ったんなら、一緒だからね!」

お兄さんぶろうったって、そうはいかないと腰に手を当てて言い退けると、途端にタクトが声をあげた。

「あっ、違うぞユータ、ラキは後! そこには譲れない境界線が――」

「もう! そんなこと言うからオレたちが子どもっぽく思われるんだよ!」

「オレ『たち』じゃねえよ、お前だけだ!」

「違うっ! 今のは絶対にタクトの方が――」


言い争うオレたちなどどこ吹く風で、ラキはのんびりと湯に身体を伸ばして仰のいたのだった。




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