第614話 間違えたときは
「まーな、今お前と繋がる情報は出て来ないだろうよ。今日証拠隠滅しちまうしな」
「あ! そっか、ウーバルセットを売ったりしていたら万が一ってこともあるもんね」
危ない……思わぬところに罠が転がっている。
『主ぃ、売りさばく時にアシがつかないようにするのは基本中の基本だぞ?』
オレ、そんないかがわしいお仕事をしたことないから。そんな基本は知る必要……なくもないかもしれない。
覚えておこう、不用意に狩った魔物をギルドに出さないって。
「ちなみに、天使の噂は広がると思うけどな」
アッゼさんが、何でも無いことみたいに言って、ばふっと背中からベッドに身体を倒した。上等なベッドが波のように衝撃を伝えてオレを揺らす。
「えっ?! なんで?!」
ずいっとアッゼさんを覗き込むと、紫の目が細くなってオレを見た。
「俺が入手できるくらいだぞ。別に機密事項でもないし、いくらでも話題になるだろ」
え、それはその……新聞的なものとか、雑誌的なものなんかにもなったり……?
「こ、困る! だけど、それって天使とは関わりないんじゃない? ただ洞窟で舞ってた人がいるってだけでしょう?」
それはそれで変な人だけど、天使と関連づけられると厄介だ。これ以上天使の噂を広げたくない。
「関わりあるだろ。お前、魔族をすげえ田舎モンと思ってねえ? 一般人は別として、フツーに他国の情報くらい入手してるっての。王都であんだけ騒ぎになったのに、関連づけられるに決まってんだろ」
「でもでも! だからってそれがオレと繋がったりしないよね? 王都でも大丈夫だったし」
これだけ話が大きくなったら、むしろ疑われにくいかも知れない。まさか、一市民が全ての元凶とは思うまい。
きっと、大丈夫。そう自分を納得させて思い息を吐くと、下から伸びてきた手がオレの頬をつまんだ。
「こんな、ポンコツが天使とはねえ……」
からかうような、真剣なような、微妙な表情はどちらであってもオレに失礼だよ。
「オレが名乗ったわけじゃないもの! 勝手にそんな噂が広がって、オレだって迷惑してるんだから」
むうっと唇を尖らせて、その手を振り払おうとして――大きな手ががちりとオレの腕を捕まえた。
「? なあに?」
見下ろしたアッゼさんの口元が、きゅうっと三日月を描く。
そのまま強く引き寄せられ、耳元の髪を揺らす距離で、低い声がくつくつと笑った。
「……捕まえた。やっぱお前が天使だったな」
「…………え?」
ぐるりと視界が回り、背中がベッドに押しつけられた。オレの小さい胴体はアッゼさんの膝で押さえられ、決して優しくない手つきで片手が顔を掴んでいる。
「ポンコツ、だな?」
キョトンと目を瞬いて、ハッと驚愕に口を開けた。
「あーー!! 騙された……ずるいよ!」
なんとなく、アッゼさんはもう知っていると思っていた。だけど、そう言えばアッゼさんが知ることとなる場面なんてなかった。
「もう……。だけど、いいよ。アッゼさんだし」
まんまと口車に乗せられたのは腹が立つけれど、別にバレたっていい。むしろ、バレてると思っていた。
悔しい色を乗せて睨み上げると、戸惑う雰囲気が伝わってくる。
「……あの、お前ね、この状況、分かる?」
「分かんないよ……なんでこうなってるの? とりあえず足、重いんだけど」
早く退けて、と視線で訴え、頬を潰す手を外そうと引っぱった。
はあ、とこれ見よがしのため息を吐いたアッゼさんが、頬の手を外し、オレの両手をまとめあげた。
そしてもう一方の手は――オレの喉にかかった。
あ、マズイ。
「ここまでするつもりなかったけどさ、お前――」
アッゼさん、そんなこと言ってる場合じゃない。
――間違いなく敵なの。侮ることはしないの、総員総力、掃討戦なの!!
ラピス、掃討戦っていうのは相手が一人の時には普通使わないんじゃないかなーとか、そんなことを言っている場合でもなかった。
ぽぽ、ぽぽぽぽっ、と一気に管狐が出現し、恐ろしい勢いで魔力が高まっていく。
「ラピスーっ!! ストップ! 大丈夫、ノープロブレム!! オレたち仲良し!!」
声を張り上げると同時に、オレの中からどん、とシロが飛び出してアッゼさんを押しのけ、押し倒した。
すかさずアッゼさんに飛びかかって……引きつる顔を懸命に引き上げ、満面の笑みで頬ずりした。
「全然、全然問題ない! ほら、チャトとシロのアレみたいなものだよ! ねっ?!」
――敵じゃないの? それならいいの。今日のところは見逃してやるの。
部屋中に溢れる管狐部隊が、残念そうな顔で消えていく。そんなに暴れたかったのか……どこかで息抜きしないと危険かも知れない。
「きゅう」
爆発的な魔力を収めた天弧は、かわいいラピスに戻ってすりすりと頬ずりした。
「怖えぇ……」
アッゼさんのどん引きの視線がふわふわキュートなラピスを追ってビクついている。オレはがっちりしがみついた腕を解いて、思い切りじっとりした視線を向けた。
「アッゼさん? なんであんなことしたの? 危ないでしょう」
「いや違うんじゃね?! フツー、危ないのは俺じゃねえだろ?! てかお前の反応最初から最後までおかしくね?!」
さっきまでの気配はなりを潜め、アッゼさんはいつも通りだ。
「おかしかったのはアッゼさんだと思うけど?!」
「そうだけど?! そうじゃねえよ?!」
『んっ、んんっ! はい注目、賢く心の機微に敏感な俺様がニブチンな主に説明してしんぜよう』
真面目くさった顔で咳払いなどしつつ、チュー助が両手を広げて歩み出てきた。
『主、この兄さんはな、とっくに気付いていたんだよ……主が天使だってこと。その上でさ、こう思ったわけ。主はぽんこつすぎるから誰かにポロッと言っちゃうんじゃね? それを実体験させてやろう。ってな!』
『あとはきっと、確認かしら』
まふん、とモモも布団の上で弾んだ。
「えっ、そういうことだったの?!」
驚愕の表情を隠すことなくアッゼさんに視線をやると、彼は布団に顔を伏せていた。
「なんでそういうこと言っちゃうのー。よりによってねずみに……アッゼさんが馬鹿みたいじゃね?」
ぐずぐずとそんなことを言っていじける背中を撫でてみる。
「大丈夫だよ……たぶん。言わないよ、他の人には。アッゼさんだからいいの」
「そうかよ! まったく、欠片も信用できない台詞だけどな!」
フン、と拗ねた顔は随分幼く見える。アッゼさんは、色々な雰囲気を持っているんだな。
ゆっくりと身体を起こしたその人が、今は言い淀んでいる雰囲気を感じる。不安そうで、怖がりで、たくさんいる中でもあまり出て来ないアッゼさん。
「……俺が――」
「思わないかなぁ。だって、アッゼさんだし」
今か今かと口を開くのを待って、勢い余って先に答えを口にしてしまった。
「はあ?! まだ何も言ってねえし!」
「違うの? そうだと思ったんだけど」
怒るアッゼさんは、言葉を続けない。やっぱりほら、合っていたでしょう。チュー助でもモモでもないけど、オレにだってこのくらい分かるんだから。
ぱっと笑うと、むっすりと唇を結んでそっぽを向いてしまう。ほんのりと悔しげなそれに、おあいこだね、と嬉しくなった。
「信じる理由もないのに、人を信じると馬鹿を見るぞ」
「そうだね、そう思うよ。だけど、アッゼさんは大丈夫!」
「だから! それだっつうの!!」
また頬をつまもうとする手を避けて、きゃあっと笑った。
だって、仕方ないじゃない。勝手にそう思ってしまうんだもの。
何でも信じるのがいいわけないよ、そりゃそうだよ。
だけど、そう思っちゃうのまで止められない。
何でも信じるのも、何でも疑うのも、きっとどっちも正しいわけじゃないよね。
間違ったら、仕方ないよ。だってオレはそう思ってそっちを選んだんだから。
間違ったら、きっちり落ち込んで、悲しんで、間違えちゃったなって思うことにするよ。
だって、正解を選び続けるなんて、できそうにないもの。
「大丈夫、オレはどこかで間違えるだろうけど、それはアッゼさんの時じゃないよ」
にこっと微笑むと、アッゼさんは何か言いたげにして、ぷいとそっぽを向いてしまった。
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