第611話 消却加工

朝から満足いくまでお肉を満喫し、隣の硬い身体にもたれかかって息を吐いた。

ほふ、と吐き出したオレの吐息を追うように揺れる枝葉を見上げると、朝の透き通った光がきらきらした。きっとオレの吐息も、こんな風に煌めいて空へ浮かんでいったに違いない。

「美味しかったぁ」

身じろぎの気配を感じて見上げると、ほとんど真上から紫の瞳が見下ろした。

にこっとすると、アッゼさんはまた拗ねたような顔をする。


「どうしたの?」

「別に……」

ほら、まるで怒られた後の子どもみたいだ。

つい小さく吹き出して、よいしょっと立ち上がる。不安定な樹上で転げ落ちないよう、注意しながら向き直ってそうっと手を伸ばした。

紫の視線が、まるで警戒しているチャトの目みたいにオレの手を追ってくる。

ほんのりと身体を引きながら、でも逃げないよね。

怖がらせないように、ゆっくり手を添えて、そうっとその頭を抱き寄せる。

もう片方の手は、優しくその背を撫でた。


「大丈夫、怒ってないよ。オレ、怒ってないよ~」

場違いだと分かっている台詞に、堪えきれずにふふっと笑みが漏れた。途端、大人しかったアッゼさんがガバリとオレの腕を掴んで引きはがした。

「は?! 違うだろ! 怒ってんのは俺! お前が怒られたんだろが!」

「違った?」

両腕を掴まれたまま真正面にその顔を捉え、声をあげて笑った。

「俺の中身を覗くんじゃねえよ、アッゼさんはお前みたいに単純じゃねえの! 色々と気を揉んだりするんだよ! 大人だから!」

「え? アッゼさん今子どもみたいだよ」

「――っ! う・る・せ・え!!」


片手でオレの両腕をひとまとめにぶら下げられ、きゃっきゃと笑って浮いた足をばたつかせた。オレ、いっぱい食べたのに持ち上げられるんだ! 案外力持ちだね。

「はーっ、お前が側にいると俺までガキになっちまうぜ。っち、堪えねえやつだな」

注意深く足場を選んで下ろしてくれるアッゼさんは、やっぱり優しい。ごめんね、怒ってもらっちゃったね。だけど、オレはそんなところに気を揉んだりしないことにする。

「――だって、子どもだから!」

だから、もういいことにする! ごめんなさいと、反省はしたから。


「そうだ、アッゼさんいいものがあるよ! ほらこれ! これが毒みたいな飲み物だよ!」

熱いショクラをずいっと差し出して、にまっと笑う。さあさあ、遠慮無くどうぞ!

「なんだよ、普通にショクラだろ? 毒……まあ、言われてみれば?」

受け取ったアッゼさんが、何の気負いもなくカップに口を付けた。ず、と啜ってほんのり眉間にシワを寄せて……寄せて……それだけ? だってそれ、ミルクも入れていないのに。

唖然としてまじまじ見つめていると、視線に気付いたアッゼさんが訝しげに眉をひそめ……にやっと笑った。

「美味いな。大人の味ってやつだ」

これ見よがしにもうひとくち啜って、流し目を寄越す。ふ、と吐いた息すら苦みを帯びている気がする。寄せた眉が大人っぽくて、哀愁すら感じる気がした。アッゼさんなのに。


「ちょっと貸して!」

オレだって、もう苦いって知っている。眉をしかめてもいいんだったら、オレだってそんな風に飲める。

ふう、ふうと冷まして、慎重にカップを傾けた。ちょびっと、ほんの少しだけ。触れた苦みに慌ててカップを戻し、ぎゅうっと眉を寄せて目を瞑る。これが、大人の渋み……いける、耐えられる!!

「~~~~!」

べえっと吐き出したいのも、滲む涙も堪え、なんとか苦みの大波を乗越えて目を開けた。

どうだ、とアッゼさんを見上げると、そこにあった姿がない。視線を下げると、うずくまって声も出ないほど笑うその人がいた。

「……顔が! 顔のパーツが全部真ん中にっ……!! くはっ、苦しい……!!」

バンバンと木を叩いて笑うアッゼさんに、オレは盛大に機嫌を悪くしたのだった。



「ねえミラゼア様! ミラゼア様だってショクラは飲まないでしょう?!」

ぷりぷりしながら帰ってきたオレは、ミラゼア様を見つけて駆け寄った。

「え? ええ……まあ、敢えてショクラを飲みはしないわね」

ほら、オレだけじゃない。満足してにこっと笑うと、訝しげなミラゼア様もへらっと笑った。

では、と立ち去ろうとしたところで引き留められてしまう。

「そ、それだけ?! う、ううん、いいんだけど……ユータちゃん、今日はどうするの? 町へお出かけする?」


厨房でカレーの試作に加わろうと思っていたオレは、魅力的な提案に頭を悩ませた。だけど、ここに滞在できる期間はあと数日。町なら、後から1人で来られる……こっそりと。でもこのギィルワルド家の厨房はそうもいかない。今やらなければ、いつやるというのか。

「あと、他の子たちとも離れちゃうから、今のうちに加工のことを話してみたらどうかしら?」

「加工?」

ラキじゃあるまいし、加工のことなんて――ああ!

「魔石の加工! そ、そうだった! 加工してほしい!」

すっかりお肉とカレーで忘れていたけど、魔石を加工して魔法を込められるようにできるって言っていた。それができるなら、ありったけの魔石を加工してもらいたい。おいくらくらいなのか分からないけど、ラキという加工師がいるんだから、きっとその価値はあるだろう。


「イリオン、魔石の消却加工のことで相談なんだけど。ユータちゃんが興味あるんだって」

広い館の中をミラゼア様に連れられ歩いて行くと、サロンのひとつでお目当ての人物を見つけた。多分、ラキと弾幕みたいな会話をしていた人だと思う。小柄で大人しい雰囲気の少年が、目を瞬かせてオレたちを交互に見た。

「消却に、ですか? 俺、消却はできても封入できませんよ?」

不思議そうなイリオンに、何度もコクコクと頷いて一歩踏み出した。

「あの、それを見たいんだ! それと、もし加工をしてもらうんだったら、いくらくらいかかるの?」

「消却だけなら、別に……君には助けてもらったし、そのくらいやるけど? でも手持ちの魔石がないなあ」

イリオンは、俺の勢いにほんのり後ずさりながらそう言った。


「魔石、オレが持ってる! ほら、ラキっていたでしょう? ラキの加工に使えるかなと思って、いっぱい欲しいんだ! だから、ちゃんとお金も払うよ!」

たくさん押しつける気満々だから、ちゃんとWin-winでいたい。しっかり儲けをとってもらわないと気が引けてしまうもの。

「あー、なるほど。加工師は欲しがるかもねえ。だけど、封入の方がお金かかるから、たくさん持っていても仕方ないよ。魔石としての価値がなくなっちゃうし」

首を傾げてイリオンを引っぱると、サロンのソファーに腰掛けた。さあ、腰を据えてじっくりお話を聞かせてほしい。

「価値がなくなるの? どうして? 価値は上がるんじゃないの?」


「な、長くなりそうね。また後でね!」

キラリと光ったイリオンの瞳に、ミラゼア様がそそくさとオレたちから離れて行ってしまった。

「それだよ、面白いよね。魔石は魔石として、魔力の塊のようなものだから普遍的な価値があるんだけど、それを活かす用途としては多様なようでエネルギーという点に限られていて――」

あっ……。弾幕スイッチが入ってしまった。突如として立て板に水で話し始めたイリオンは、既にオレのことすら眼中にないんじゃないだろうか。

だけど、内容はとても興味のあるものだし、難しいけど一生懸命耳を傾ける。あと、これが終わらないときっと加工の話にならないだろうし。

「――魔石をエネルギーとして魔道具が動くなら、それはもう魔物の一種と言えるんじゃないかという説もあって、分かりやすいのがゴーレムになるんだけど、あれが魔物なのか、道具なのか、それともまた別の――」

相槌を打つ隙すらないスピーチにひたすら頷きながら、オレはどんどん明後日の方へ向かっていく話に遠い目をしたのだった。


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