第591話 帰還
人目を避けるためか、やってきた迎えは幌馬車ではなく貴族様用のクローズ型の馬車だ。
大きな馬車だったけれど、さすがにこれだけ乗るとみっしり詰まって満員電車みたい。お外が見たかったのに、頭ひとつ以上小さいオレでは外どころか何ひとつ見えやしない。
「あらっ?! ちょっとユータちゃん、乗ってないんじゃない?! だ、ダメ、早く戻らなきゃ!」
……なんて言われてしまう始末。
「だいじょ――」
御者さんに迷惑をかける前にと慌てて両手を上げたところで、ぐっと身体が持ち上がった。
「ミラゼア様、ご安心を。ちゃんと積み込みました」
「まあ、さすがリンゼね。良かったわ」
これここに、と得意げなリンゼに抱え上げられ、じっとりした視線を送る。オレ、人形かなんか? それとも文字通りお荷物……じゃないよね?
「……なんだ?」
「……ううん、なんでもない。抱っこしなくていいよ」
リンゼが視線の意味なんて気付くはずもなく、オレはため息を吐いて腕から抜け出そうとした。
と、すり抜けようとした腕がきゅっと締まる。
「見えるところにいろよ。無く……いなくなっても気付かないだろ」
ふうーん、そう?! 無くしたら困るもんね?!
ぶすっとむくれたら、さすがに失言に気付いたらしい。苦笑いしてオレを下ろすと、代わりと言わんばかりに手を繋がれた。なんだか、リンゼに手を繋がれるのはむず痒いんだけど。だって、お兄ちゃんってガラじゃないよ。
ひそかにくすくす笑っていると、リンゼの不本意そうな声がする。
「ミラゼア様、お顔を戻して下さい。そんな物欲しそうな顔で見られるようなことはしていませんが」
どんな顔? と見上げた時には、ミラゼア様がハッとして口元を拭った所だった。うん、まだロクサレンで罹患した病は治っていないらしい。
「ね、ねえ、馬車はこの通り狭いし小さな子が立っていると危ないわ。ほら、ね? ここへどうぞ」
怖くないわよ、なんて最高の笑顔でお膝に誘われたけれど、丁重にお断りしておく。その笑顔は近寄っちゃダメな時の笑顔だ。あと、リンゼと繋いだ手がぎりぎり痛いし。
「えーと。ねえ、この馬車はミラゼア様の領地に向かってるの?」
しょんぼりするミラゼア様の気を逸らせようと、気になっていたことを聞いてみる。
「私じゃなくてお父様の領地ね。バルンの町は結構大きいの! 館は特にこれと言ったものもないけれど、町は素敵よ」
打って変わって嬉しげに微笑むミラゼア様を始め、馬車内の魔族の子たちがあからさまにそわそわと落ち着かないのを感じる。
「豊かな町はギィルワルド家の手腕の象徴ですから。それに、館も素敵ではないですか」
いつものように淡々とフォローするリンゼさえ、気もそぞろな様子だ。
そうか、みんな久しぶりの帰還になるんだ。
それも、もう帰れないかもしれないと思った故郷への帰還だ。
「楽しみ、だね!」
自然と頬がほころび、ふんわりと笑みが浮かぶ。返事の代わりに浮かんだそれぞれの笑顔は、星持ちでも何でも無い、ふくふくとした子どもの笑みだ。見るものを幸せにできる、心から湧き上がる喜びのそれ。
ふと右手が気になって見上げると、固く握った手の主は、随分この場に似つかわしくない顔をしていた。じっとりと汗をかいた手を、意識してぎゅっと握り返してみる。
ハッと視線を合わせたリンゼを見上げ、オレはにっこり笑った。
「大丈夫だよ。リンゼ、何かあってもオレが守ってあげるから」
だから、もう悪い事は起こらないよ。
カロルス様や、タクトみたいな強い笑顔を意識したけれど、できたろうか。
一瞬、呆気にとられた顔をした彼は、案外大きい手でオレの両頬を潰して笑った。
「お前がそういうこと言うと何か起こりそうだ! 頼むから何も起こさないでくれ」
珍しく大きく破顔した顔と、緩んだ手はオレの望んだ通りだったけれど。だけど、思ったのと違う。
オレは大変不本意な思いで頬を潰す手を払いのけたのだった。
それから馬車に揺られることしばし、馬車内に歓声が響いた。
「見ろ、町だ! バルンの町だ!」
「間違いない、バルンだ。帰ってきた……帰ってきた!」
一斉に窓に貼り付いた子たちで何ひとつ景色は見えなかったけれど、どうやら目的地に到着らしい。
すすり泣きと、嗚咽と、笑い声と。馬車の中は悲しくない涙でいっぱいになった。
「着いたよ、リンゼ。帰ってきたよ」
「……ああ」
「ね? 大丈夫だったでしょう」
「……今、話し、かけるな」
顔をそむけて力任せに握られた手に、痛いと怒ってオレも笑った。笑った目の端からは、やっぱりぽろぽろと涙がこぼれていった。
「――お手をどうぞ」
最後尾で馬車を降りようとした時、白手袋に包まれた手の平が差し出された。
「え? えっと、ありがとうございます……?」
あれ? お貴族様ってこういうものだっけ? ロクサレンではこれをするのってエリーシャ様だけだった気がする。
疑問に思いつつ、優雅なエスコートで馬車を降りる。爽やかな笑みを浮かべるのは、執事服に身を包んだ好青年だ。もしかして、この人もミラゼア様の執事コレクションだったり?
そのミラゼア様はと言えば、下りた途端、家族や親しい使用人だろう人たちに埋もれて見えなくなっていた。ミラゼア様だけは話を通すためにご両親と既に会っていたはずだけれど、こうしてきちんと帰ってきたと確認できると、喜びもひとしおなんだろう。
オレたちは鼻をすすって、促されるままに館へ入っていった。
ミラゼア様の姿は見えない。だから、この響き渡る大泣きの声は、きっと彼女じゃない。ずっとずっと、皆の支柱になっていたミラゼア様は、こんな子どもみたいに泣いたりしないから。
だから、誰もミラゼア様を探さないし、振り返らなかった。
大きな館は、割とシンプルで飾り気のない仕様のようだ。王都で見た煌びやかな館より、ロクサレンの館に近いかも知れない。
「あんまり、魔族のところって気がしないね」
「魔族のところって気がするのは、どんな風なんだ」
胡乱げなリンゼの瞳に、ちょっと首を捻って考えてみる。薄暗くて、棺とか置いてありそうな……のは、エルベル様のお城だろうか。じゃあ、魔族なんだから魔法がいっぱい使われてそうな?
「絵が動いたり、あちこちがぴかぴかしたり、家具が動いたり?」
「それは怪奇現象だろ」
こっちにも怪奇現象って概念があるんだ、なんてどうでもいいことを考えつつ曖昧に笑う。
種族が違うんだから、もっと差があってもいいと思ったけど。だって海人のお城は全然ヒトと違って面白かったし、エルベル様のお城もダンジョンの中にあったよ。
「元々同種族なんだから、そんなに変わるわけないだろ」
「でも、そんなこと言ったら森人も海人もヴァンパイアも同種じゃないの?」
「広義の『ヒト』ならそうだろうけど、違うだろ。そもそもヴァンパイアはヒトなのか? まあ、それはともかく、魔族とヒト族を他の分類と一緒にするなよ。その年でもそのくらい習ってるだろ?」
明らかに馬鹿にした様子に、むっと頬を膨らませる。オレ、学校の成績は優秀なんだからね!
――そうなの! 失礼なの! ユータはいつも優秀ぽんこつって言われてるの!! みんな言ってるの!
ラピスの援護射撃が全弾オレにクリーンヒットして項垂れる。
ほんとに……? あの、みんなそう言ってるの?
『大丈夫だぜ主ぃ! いくらぽんこつでも優秀なんだからそれでいい……あれ? ぽんこつが優秀だとすごくぽんこつって意味?』
『あうじ、ちゃんとぽんこつらかや! らいじょうぶなんらぜ!』
味方陣営からの総攻撃を食らって、オレは段々と目の光を失っていくのだった。
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