第573話 安心と癒しの供給

エリーシャ様たちを交え、ロクサレン家での話し合いがまとまりつつある頃、魔族の子たちは順番にお風呂と着替えをすませていた。

案の定戦場になった着替えの間では、きゃあきゃあとはしゃぐメイドさんたちの華やかな声が響いている。

ふらりと出てきたリンゼは、どうやら仕上がったらしい。磨き上げられた彼を見上げ、おお、と思わず拍手した。

「リンゼ、格好いいよ! ちょっと立派に見える!」

「それは、褒めたんだろうな?」

少々照れた様子でむくれたリンゼは、しっかり貴族らしく気品さえ漂う気がする。さすが、ロクサレンのメイドさんだ。だけどこのお祭り騒ぎは大丈夫だったろうか。

「みんな、貴族……じゃなくて星持ちさんなら着替えを手伝ってもらったり、こういうのも平気かな?」

「それは、まあ……。だけどヒトは随分と賑やかなんだな、慣れ慣れしくて少々戸惑うが、それだけだ。ただ、どうしてこう俺たちのサイズに合わせたものを出して来られるんだ? お前はそんなに小さいのに」

「セデス兄さんがいるから……」

失礼な台詞は聞き流し、無難な回答をしておく。その場でサイズ調整して出しているとは言えない。カロルス様は神速の剣だけど、ロクサレンのメイドさんたちは神速の裁縫技術をお持ちだ。


ふうんと納得したらしいリンゼが、衝立の向こうから聞こえる歓声に不思議そうにする。

「衣装持ちだったんだな。しかし女物もあるらしいのはなぜだ?」

なぜでしょうね。セデス兄さんの苦労の結晶じゃないでしょうか。そして、今後のオレの苦労を暗喩しているのではないでしょうか。

虚ろな瞳になったオレに、リンゼは何かを察したように黙して目をそらしたのだった。



魔族の子たち歓迎パーティーを無事終了し、自室へ戻った頃には外は真っ暗だった。きっとみんなももう寝ているだろう。

しばらく黒い空を見上げていたけれど、無駄に時間が過ぎるばかりだ。目を伏せれば、すやすや眠るムゥちゃんが目に入って微笑んだ。

「遅くなっちゃったけど……行ってみようかな」

今日は、話してくれるだろうか。聞いてしまってもいいだろうか。

オレは一度目を閉じ、大きく息を吸い込んで転移した。


暗い森は普段より一層神秘的で、オレが侵入してはいけないような気がしてくる。

つい息を殺して見回して、闇より暗い漆黒の毛並みを探した。

「……ルー、起きてるんだね」

物音ひとつさせない獣は、金の双眸で静かにオレを見つめていた。

ぱふ、と顔ごとしがみつけば、柔らかな被毛が温かくオレを包み込んだ。

「こんな時間に、なぜ来た」

訝るような声音は、ただこの時間のせいだろうか。

「あのね、神獣に聞きたいことがあって。ねえ、ルーは教えてくれるかな」

「そういうことは、俺より適任がいるだろうが」

自分で言っておいて、不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「そうかも。でも、オレはルーに聞きたかったから」


ルーが教えてくれないなら、オレ、まだ聞かないから。

たっぷりとルーを抱きしめて充電してから、くるりと反転して背中をもたせかけた。近くを通ったしっぽを捕まえて抱えると、じろりと睨まれてしまう。


「――あのね、またあの女の人に会ったんだよ」

抱えたしっぽが、ぴくっと反応した。どうやら、詳しい説明はいらないみたいだ。

「一緒にいた男の人がね、酷いことをしようとしていたんだ。魔族のアッゼさんがいてくれたから、みんな無事に帰って来られたんだけど」

じっと動かなくなったしっぽを抱きしめ、頬を寄せて呼吸を整える。


伏せていた顔を上げると、金の瞳と視線が絡んだ。

「ねえ、あの神獣は何をしようとしてるの? ルーは、あの人を知ってるの?」

オレを見つめた瞳は、ほんの少し揺らめいて、でも視線は外さなかった。


「……知っている」

ややあって、低い声が応えて目を閉じた。

「ケイカは、俺たちから離れた神獣だ」

長い吐息をついたルーは、ごろりと体勢を崩して寝そべった。ドキドキする胸を押さえ、オレは大きな身体に寝そべってその顔を見つめる。

「俺は、最初の幻獣じゃない。だが、ケイカは……ケイカとラ・エンは最初から変わらぬ記憶を持つ者だ。それだけに、想いが強い」

こくりと頷いてみせる。神獣は、代替わりして記憶を引き継ぐって言っていた。

「何をしたいのかは、知らん。ただ、あいつが動くのは、必ず主のためだ」


主……? ルーの口から聞く耳慣れない台詞に、黙って首を傾げた。

神獣の主。それって……それってつまりは。

だけど、それならそんなヒドイことをしようとするだろうか。

ねえ、神様ってどんなひと? オレたちの神様、だよね?

だけど、それは聞いちゃいけない気がした。だって、オレはこの世界にいる1人の人間だもの。

ルーが側にいるからって、そんなところへ踏み込んじゃいけない気がした。


「……ありがとう」

分かったのは、ケイカさんはやっぱり神獣で……きっと神様のために何かしているってこと。

オレは漆黒の中に顔を埋め、長い息を吐いた。

相手が、神獣になっちゃった。もしケイカさんが本気でオレたちを攻撃してきたら……ヒトが敵う相手だろうか。

ルーはこんな風に触れるのに、やっぱり神獣なんだ。助けになりたいと思ったけれど、たった1人の人間じゃ、どだい無理な話だったんだろうか。


「ケイカは、人を傷つけることを厭わないだろう」

静かな声に顔を上げると、ルーはふいに身体を起こした。そのまま光をまとい、夜の闇を溶かし込んだような青年へ姿を変える。

木に背中を預けて力を抜いたルーは、しばし湖を見つめ、オレに視線を向けた。

「来い」

一度きょとんと目を瞬いて、慌てて駆け寄った。ルーに呼ばれるなんて、不思議なこともあるものだ。

「え……?」

手の届く距離に来た途端、ぐいと引き寄せられて尚更困惑する。


「ルー? どうしたの?」

「うるせー。お前がいつも、していることだ」

小さな身体にしがみついた姿は、なるほど随分様相が違う気がするけれど、ルーにしがみつくオレだろうか。

「何か、辛いこと?」

「なぜそう思う」

オレの身体に顔を埋め、それでもルーは偉そうに言う。

「だって、オレがそうする時は辛いときで……あれ? ううん、そうでもなかった」

ルーの大きな気配が心地良くて、とっても安心するから。極上の毛並みに心身共に癒やされるから。

だけど、それってどっちもオレでは無理じゃないだろうか。


「せめて、ふわふわだったら良かったね」

「うるせー、せめて黙ってろ」

いいよ、黙ってるくらいならできる。

ねえ、だけどこれって、ルーじゃなくてオレが癒やされているような気がするんだけども。

そうやってどのくらいじっとしていたんだろう。身じろぎしたルーに視線を落とすと、ゆっくりと身体を離したルーが、視線を落としたままぽつりと呟いた。

「俺は……ヒトが好きか?」

オレに聞いているとは思えない台詞に、黙って長いまつげを眺めた。

「お前、俺がケイカと同じ事をしたら、どうする」

金の双眸が真正面からオレを見据えた。今度は、オレに聞いているね。


「止めるよ?」

深く考えもせず、素直に答えた。だって、そりゃあ、そうするよ。

ほんの少し見開いた金の瞳は、ぱち、と瞬いて柔らかくなった。

「お前が? 無理だろうが、俺はケイカより強いぞ」

フン、と鼻で笑われ、むっと頬を膨らませる。

「大丈夫だよ、止めたらルーは止まってくれるもの」

目の前の頭をぎゅうっと力任せに抱きかかえ、目一杯包み込んだ。

「大丈夫だよ。ルーはオレが好きだし、オレもルーが好きだもの」

ルーがヒトを好きかどうか、オレには分からない。だけどほら、ちゃんとオレは好きでしょう?

「うるせー!! お前、本当に黙ってろ!!」

オレの腹あたりでもがもがと怒る声が響く。だって、ルーが聞いたんじゃないか。


理不尽な言いざまにくすくす笑って、少し腕を緩めた。

言われるままに口を閉じ、撫でる部分が減ってしまった漆黒の被毛……ならぬ黒髪を梳いた。

繰り返し、繰り返し指を通しながらふんわり柔らかな心地に浸って、これってやっぱりオレの癒しになってるんじゃないかなと思った。

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