第544話 タクトの後悔

静かな森に、バリバリと草木を踏み越える音と、悲鳴が響く。

どうやら大型の魔物のようだと見当を付け、タクトは気配を殺して音の鳴る方へ走った。

数人の走る足音と、追う魔物の音。しかし、魔物の足音が判然としない。

(でかい……複数?)

どうやらこちらへ逃げてくるようだと身を潜めると、揺れる藪に目を凝らした。

「ダメだ! もう少しで森を出るのに……!」

「だけど、森を出たら隠れる所がないよ!」

ギインと何かを弾いた金属音が響く。どうやら冒険者たちは振り切れなかったようだ。剣戟を響かせながら、じりじりとタクトの潜む場所へ近づいてくる。


(! ムラサキヨロイムカデ……つがいか)

タクトは眉をしかめた。藪の中に続く体長は3メートルではきかないだろう。黒々とした節は鈍く光り、紫色に透けるような数多の足は、怪しく美しい。

2人の冒険者が逃げの一手を選んでいるのも頷ける。男女の若い冒険者は、迫る大顎を必死に弾くものの、それだけだ。ヨロイムカデの類いは、剣や弓との相性が非常に悪い。魔法剣にしても、魔法をまとって『斬る』ならば同じ事。


ムカデの猛攻で既に動きの鈍くなってきた冒険者を前にして、タクトは迷った。

2人が、邪魔になる。

守りながら、2体と戦えるだろうか。

「あうっ?!」

あ、と気付いた時には、吹っ飛ばされた女性を受け止めていた。途端にビシリと身体が軋む。

そうだった、筋肉痛を忘れていた。だけど、もう手を出してしまった。苦笑するタクトに、受け止められた女性が呆気にとられて目を瞬いた。


「退いてくれ! 姉ちゃんたち、俺が行くから逃げてくれよ!」

「な、何言ってるの?! あなたこそ早く逃げなさい!!」

鞘に入ったままの剣を掲げ、タクトは腹を括って前へ踊り出た。

「おらぁ!!」

どうせ切れないなら、これはただの鈍器だ。バットよろしく渾身のフルスイングに、ムカデの巨体が木々をなぎ倒して吹っ飛んだ。

「……痛ぇ」

ぼそりと呟いた瞳にうっすら涙が浮かぶ。今日ばかりは、ユータに頼み込んで回復してもらおう。

「嘘……」

呆然とした女性の呟きに被せるように、息を切らした男性が叫ぶ。

「もう一体いるぞ!!」


振り向きざまに、思い切り体を捻る。さっきよりもひとまわり小さな個体が、蛇のように鎌首をもたげて大顎を開いていた。

ヒュ、と風を切る音がしたようだった。しなやかな身体を存分に使った蹴りは、爆発的な力をもって炸裂する。生身がぶつかったとは思えない衝撃と共に、ムカデの頭部は半ば地に埋まった。

最期のもがきを見せる哀れなムカデの上に、影が落ちる。

「――マリーさん直伝。くらえ、鉄槌!」

宙で一回転した影が、無慈悲にかかとを振り下ろした。

小さな体からは、細い脚からは、到底想像も及ばない音が響き渡る。


「なるほどな、マリーさんの言った通りだ。切れなくても、潰れる」

そして、人には使わない方がいいと言われた意味も知る。だけど、マリーさんはこれを受け止めていたはずだったけど。

「よし、兄ちゃんたち、今のうちに走れよ!」

悲鳴をあげる身体を悟られまいと、精一杯虚勢を張って、にっと笑った。

「え? 走る?」

現状を飲み込めない顔で、2人がきょとんとタクトを見つめる。その鈍い反応に、内心歯がみしつつ言い募った。

「デカイ方、まだ――」


ハッと顔色を変えたタクトに、男性が思わずビクリと首をすくめる。その背後にそろそろと接近していた大顎が、大きく開いた。

駆け出そうとした1歩が、ビキリと歯車が引っかかるように、一瞬遅れた。

「くっそ!」

渾身の力で投げた剣がかろうじて大顎を弾き、男性が腰を抜かす。

「逃げろって!!」

弾かれた頭が間近く迫り、今度は女性の顔が強ばった。鈍い身体を引きずるように女性の前へ滑り込んだ時、上体を起こすように引き上げたムカデが、カチカチと顎を鳴らした。

次いで、大きく開いた顎から、何かが噴出するまでが見えた。

(しまっ……! 毒!!)


避けたら、後ろに直撃する……!

「頼むぜ、ユータ!」

毒なんて、きっとあいつが何とかしてくれる! まともに受けることを覚悟して、タクトは咄嗟に両腕で顔をかばった。

その刹那、光が迸った。

「えっ……?」

光は、毒の噴出を遡るようにムカデの頭を貫いていた。

「エビビ……?」

まっすぐな光のラインは、一瞬のうちにムカデを屠り、消えた。それは間違いなくタクトの胸元から。


「な、なんだよ、なんだ?! お前、そんなことが――」

どう、と地に落ちたムカデを顧みることもせず、タクトは喜色満面で水槽を掲げ持った。

「エビビ……? どうしたんだよ。今の、お前だろ?」

零れた声が震えていることにも気付かず、タクトは力なく水面に浮かぶエビビを見つめた。

力を使い果たした――満足。そんな気配が伝わってくるような気がして、首を振る。

「お前、やっぱりすごいヤツだったんだろ? そうだろ?!」


何の反応も示さないその姿は、徐々に薄らいで、消えた。


* * * * *


「俺が、俺が満足に戦えなかったから。俺が無茶したから。だからエビビが……」

「毒をまともに浴びようとするなんて、本当、無茶だよ……」

いくらタクトが頑丈だからって、麻痺毒なら動けなくなるだろうに。毒の気配のないタクトにほっと安堵して、回復を施しておく。

「エビビには、感謝しなきゃね? それに、そんなすごいことができたんだって褒めてあげなきゃ」

俯くタクトは、こくりと頷いて、首を振った。

「だけど、嬉しくねえもん。なんでそんなことしたんだよ……」

「タクトだって、咄嗟に助けに行っちゃったんだから。きっとタクトに似たんだね」

固く握られた拳をそっと撫で、にっこり笑った。

「エビビって何が嬉しいかな? 何を食べる? お礼しなきゃ」

「……供えようにも……墓に埋めるものさえねえよ。だって、残らず消えてなくなっちまった」


ぎゅうっと力の入った拳に、目をしばたたかせた。

埋める……?

次いで、思わず笑みを零した。そっか、それは辛かったね。

「タクト、大丈夫。安心してエビビにお礼を言ったらいいよ。心配いらないよ」

まだまだ大人にはならない身体をぎゅうっと抱きしめた。

「今はいないけど、明日は喚べるでしょう?」

腕の中の身体が、ピクリと震えた。上がった視線がオレと絡んで、わずかに火の灯った瞳を瞬かせる。

「エビビ、力を使い果たして送還されちゃったんだね? がんばったね」

間近くふわっと笑うと、タクトの青白かった頬にみるみる血の気が差した。


「うわぁ?!」

一挙動でオレの腕を振りほどくと、今度はがばりと抱き込まれた。

「ば……馬鹿野郎ぉーー!! もっと、もっと早く言えよ!! 俺が、どんだけ……っ!!」

い、痛い痛い!! がっちりと抱え込まれて呼吸すら難しい。

ひとしきり怒ったタクトが、笑い出した。固い身体が震えて、顔を埋められた肩口はじわじわ濡れていくけれど、笑っているのだから仕方ない。

オレは浅い息をしながら、なんとか動く左手でその背中を撫でていた。


「ただいま~。もうちょっと、もうちょっとだけ見たかったのに~! まだ奥の棚が~」

『ただいま! あのねえ、ラキが中々離れないからお店の人も困ってたよ』

賑やかに帰ってきたラキとシロに、しいっと唇に手を当ててみせる。

「あれ? 珍しいね、タクトが寝てるんだ~?」

すうすうと眠るタクトに、ラキが不思議そうな顔をする。

「う、うん。やっぱり筋肉痛が酷くて、大変だったみたいだよ」

ラキと視線を合わせないよう、熱心に本を読みつつそう言った。

「……ふうん。じゃあ、明日の朝勝手に起きていかないよう、縛っておこうか~?」


あんまりな言いように吹き出して、だけどそうでもしないとまた無理をするだろうなとも思う。

オレたちはどちらともなく幼い寝顔を見つめ、顔を見合わせて笑った。


ねえ、明日は空けておいてよ。

みんなでエビビにお礼を言って、なにがあったのかもう一度聞かせてよ。

今度は悲しい話じゃなくて、心躍る小さなエビの大活躍を。

オレはタクトが大切に胸に抱えた小さな水槽を見つめ、ふわっと笑った。




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