第542話 無理だった

「……ふぁ。おはよう、プリメラ! 今日もプリメラが起こしてくれたんだね」

こしこしと無造作にまぶたを擦って、気合いの抜けた笑みを浮かべる。柔らかな丸い桃色頭を撫でると、プリメラはピィと一声鳴いて廊下へと出て行った。今日はオレに構ってはくれないらしい。


まだ朝日が昇りつつあるこの時間、今日のオレは早起きだ。やっぱりプリメラは目覚まし要員に必要かもしれない。

タクトが起こしに来ないってことは、きっとまだ筋肉痛なんだろう。昨日耳そうじついでに回復魔法はかけたけど、完全回復とはいかなかったはずだ。

なら、たまにはオレが起こしてやろうと張り切って身支度すると、そうっと隣の部屋を覗いた。

「おは――あれ? タクトは?」

てっきりまだベッドに蹲っていると思っていたのに、もぬけの殻だ。目をしょぼつかせたラキだけがプリメラを抱えてあくびしている。プリメラってばどこに行ったのかと思ったら、ラキを起こしに来ていたらしい。


――ガゴッ!


タクトは? と尋ねようと開いた口を閉じた。今の音、何? まさか……。

「素晴らしいですよ! さすがです! ユータ様をお守りするのに相応しいパーティメンバーになれると、マリーが保証します!」

慌てて駆け寄った窓から、蹲って苦しげに咳き込むタクトと、きらっきらの笑みを浮かべたマリーさんが見えた。ほんのここ数日で、庭が荒れ地になってるように見えるのは気のせいだろうか。


「……オレ、タクトって馬鹿だと思ってたけど、思ってたよりも馬鹿みたい」

「うん、僕もそう思ってたけど~。予想を超えてきたね~」

ねえ王都は?! タクト、ロクサレンに住むつもりなの?! 絶対また筋肉痛になるよね?!


いや、偉いと思うよ?! そんなに頑張ってるなんて本当にすごいよ。だけど! オレたち予定があってここへ来たはずじゃない??


――いい根性なの! さすがタクトなの! さあ立つの! 限界の先の、そのまた先を越えるの!!


あっ……ティアの横で寝ていないなと思ったら。

きゅっきゅと聞こえてきた鬼軍曹の声に、タクトが本当に生きているのかと不安に駆られる。

ため息と共に窓を開けると、トンと窓を蹴って飛び出した。

「にゃあ」

スッとオレから抜け出したチャトが、当たり前のようにオレを乗せて滑空する。大きく円を描くように高度を下げると、二、三度羽ばたいてタクトの前に着地した。


「おう……ユータ。俺、もう無理かも……」

少々苦情をと思ったけれど、ぼろぼろで身動きもままならない様子に慌てて回復を施した。無茶にも程があるよ! マリーさんは加減できるけど、ラピスはできないんだからね!

あくまで治療のための回復を施して顔を上げると、荒く上下していた胸は穏やかに規則的な呼吸を繰り返していた。必死に開いていた瞳は閉じられ――有り体に言えば、爆睡している。

「もうー!!」

ほらぁー! 地団駄踏んで怒るオレに、影が落ちた。次いで、ふわりと視界が高くなる。


「タクトめ、ここまでやるヤツだとは思わなかったぞ。いいパーティじゃねえか」

「……カロルス様。だけど、今日こそ王都に行くはずなのに」

むすっと頬を膨らませて一緒に抱え上げられたタクトを見やる。すうすうと眠る姿は年相応に幼くて、胸の中のいらだちが溶けて消えていく。

全く、仕方ないんだから。

ふふっと笑って頬をつつくと、むう、と唇がとがって眉がしかめられた。

「朝飯の間寝かしてやれ。起きたら行けるだろうよ」

のっしのっしと歩くカロルス様に、二人して揺られる。タクトもまだ、子どもだなぁ。片手で抱っこされてるもの。あんなに頑丈で、馬鹿みたいな身体能力を持っているけど、まだ子どもだ。


「オレが守ってあげなきゃね」

えへ、と独りごちて笑うと、カロルス様がこつんとおでこをぶつけた。

「それはこいつの台詞だな。すげえヤツだぞ、規格外を前にして食らい付いて行こうなんてよ。ましてや、守ろうとするやつは……そういない。大事にしろ」

「えっ……」

オレはおでこを撫でて、目を瞬かせた。

ブルーの瞳から、ゆっくりその腕の中へ視線を移動する。

オレはただ、疲れ果てて眠るタクトを見つめた。胸が、詰まるような気がした。


「――タクトが食事どきに起きないなんて、前代未聞じゃない~? どうする、まだ待つ~?」

朝食を終えて戻って来てみても、彼はまだ気持ち良さそうに眠っている。オレはベッドの傍らに座り込んで、閉じられた瞼を間近く眺めた。

「ねえ、タクトはオレ……オレたちを守りたくて頑張ってるのかな」

首を傾げたラキは、ベッドを背もたれに腰を下ろした。

「そうだよ~」

思いの外ハッキリとした肯定に、驚いて見上げる。くすっと笑ったラキが、僕もね? と人差し指を唇へ当てた。


「……それって。だけど……」

シャープになりつつあるタクトの顎をじっと見つめて、言いかけた言葉を呑み込んだ。

オレが二人に無理を強いているんだろうか。一緒に在ろうとしてくれる貴重な存在に、辛い思いをさせているんだろうか。

ため息と共にぎゅうと頬をつままれ、涙目でラキを振り仰いだ。痛かったんだよ!

「嬉しくなかったんだ~?」

嬉しくないわけ、ない。だけどそれを喜ぶのって――。

「じゃあ、喜んでよ? いつもみたいに笑って、嬉しい、ありがとうって言ってよ」

淡い茶色の瞳は、強い光をまとってオレを覗き込んだ。余裕のある微かな笑みは、まるで大人が子どもに言い聞かせているみたい。


見透かされる心が不安で、つい視線を下げた。

「大丈夫。僕たちはその方が嬉しい。……ねえ、ユータはブラッシングが好きでしょ~?」

突然変わった話題について行けず、小首を傾げて頷いた。

「ブラッシングが上手になる方法があったら、やるよね~? 喜んでくれたら、嬉しいよね~?」

探るような物言いに、ハッと顔を上げた。そうなの? そういうことなの?

「ちなみに、ユータはどうしてブラッシングしたいの?」

「えっと……みんなが気持ちいいといいなと思うから。喜ばせたい、から?」

だって、オレがそうしたいもの。それって、みんなのためだろうか。だって喜んでもらうと、オレが嬉しいのに。


難しいんだな、誰かのためって。

「そういうこと。僕たちがやりたいことにケチつけずに、甘んじて受ければ良いよ」

啖呵を切るように言い切って、ふっと口の端を上げて笑った。こんな顔、初めて見たかもしれない。

おかしな言いざまに思わず笑って、ラキは大人みたいだと思う。

「じゃあ、オレが二人のためにすることも、甘んじて受けてね!」

「へえ? 受けて立つよ。何をしてくれる?」

面白そうな顔をしたラキに、むっと対抗心が湧いてくる。なにか、なにかないだろうか。


咄嗟にお料理しか思い浮かばなくて歯がみする。だけど、そもそもそんな急に思いつくはずないんだから。くすくす笑う余裕の表情に、いつもオレばっかり恥ずかしくて腹だたしい。

せめて、ラキにも赤面するようなことを……!

「あ、あのね!! それはまた考えるから! だけど、オレだって二人に喜んでもらいたいって思うのは、どうしてだと思う?」

少々頬は紅潮しているかもしれないけど、オレは得意満面で腕を組んで立ち上がった。途端に相好を崩したラキに、思わずえっ? と拍子抜ける。どうして嬉しそうなの?

「え~どうしてかな~? 僕、ぜひとも聞きたいな~??」

よし、かかったな。オレはたっぷりと余裕のある表情で口を開き――。


「…………声、出てないよ~?」

吹き出しそうなラキに、どんどん顔が熱くなる。だめだ、よ、余裕のある顔! 早鐘を打ち始めた心臓に気付かないふりをして、ごくっとつばを飲む。

「だ、だから、オレが、その、オレが、二人のことを――」

ついにしゃがみ込んでベッドへ顔を伏せた。言った、ほら、言ったよ。ラキには聞こえなかったかもしれないけど、もう言ったからいいよ。

聞こえない~と爆笑しているラキに、ふるふると屈辱に震える。無理だった……所詮オレには、無理だったんだ……。

敗北感にまみれてそっと顔を上げると、目の前の幼かった寝顔が雰囲気を変えた。

うっすらと片目が開き、オレを認めてにやりと口角が上がる。


館にはオレの悲鳴がこだましたのだった。



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