第541話 知ってしまった快楽

散々シャラに引っ張り回されて、すっかりクタクタだ。屋台巡りは相当に楽しかったらしく、食べきれないほどの量を買い込んでお腹もいっぱい。ご機嫌も上々だったおかげでスムーズに帰って来られた。

「ただいまぁー……」

「いってぇ!」

部屋に転移すると同時にベッドへ倒れ込んだはずが、そこは受け止めてくれるはずの柔らかなお布団ではなかった。

「いったぁ……なんでタクトがここにいるの!」

全く、絶対痛いのはオレの方だよ! タクトの固い体にぶち当たって涙目だ。

「おかえり~! 遅かったね~」

「うん、あちこち行ってごはんも食べてきちゃった」

勝手に外食しちゃったから、ジフに怒られるかもしれない。ちゃんとオレの分は収納に入れて後日食べるから……。


「それで、どうして二人ともオレの部屋にいるの? タクト、オレも横になりたいの!」

完全にうつ伏せて大人しいタクトに違和感を覚えつつ、重たい身体をぐいっと押しのけようとする。

「いでえええー!!」

「うえぇ?!」

「あ、ユータ~、タクトは――」

突如濁った悲鳴があがってオレまで変な声をあげてしまった。軋んだカラクリ人形みたいな動きで顔だけこちらへ向けると、その恨みがましい視線と目が合った。

「タクトは、見ての通りなんだよ~。もう全然ダメ~! 明日も王都には行けないかもね~」

「ラキ、言うのがおっせえ! いいかユータ、今の俺に触れるな――よぉお?!」

……面白い。

つん、とつついただけで過剰反応するタクトについ目を輝かせてしまう。

「特訓、やりすぎだって~。タクトでもこうなるんだね~」

「そうなんだ。タクトは筋肉痛にならないのかと思ってたよ」

身体強化の影響なのか、タクトの身体は相当な負荷に耐えられるみたいだったから……今回、マリーさんたちと一体どんなことをしていたのか、背筋が寒くなる思いだ。


動こうとしないタクトに仕方なく床に座り込むと、シロがすかさず膝へ頭を載せた。

ついでとばかりに濡れタオルを取り出すと、気付いたシロがぶんぶんとしっぽを振った。

『みみそうじだ! ぼく、みみそうじする!』

シロはなぜか耳そうじが好きだよね。召喚獣に必要なのかどうか分からないけど、ブラッシングをするなら耳そうじをしてもいいだろう。

三角のお耳を優しく拭うと、嬉しげにフスフスと鼻が鳴った。

『次、スオー』

どうやら蘇芳も耳そうじをご所望らしい。シロが譲った膝に、今度は蘇芳がちょんと座る。丁寧に拭って大きな耳をもみもみすると、紫の瞳がとろりと心地よさそうだ。


「ユータぁ、蘇芳なんて放っといて俺の回復してくれよ~」

どうやらそれ目的でオレの部屋に居座っていたらしい。怒った蘇芳がタクトの上で飛び跳ね、ぎゃあぎゃあ呻くタクトの声が賑やかだ。

「え~回復するの?」

回復魔法で筋力増強に問題があるわけではないけれど、筋肉痛程度で回復に頼るのもどうかと思う。

難しい顔で腕組みしたところで、モモがふよんと揺れた。

『でもあなた、ラピスたちと訓練した後は回復してるんじゃないかしら?』

『俺様、主は割とほいほい使ってると思うけど?』

もの凄く心当たりのある台詞にたらりと汗が流れた。……オレは、その、タクトみたいに頑丈じゃないし……ええと。


「も、もう、仕方ないなあ。ちょっとだけね」

そうだ。オレはほら、一回大人を経験してるから色々分かってるけど、タクトはまだ人生一回目だから。筋肉痛の経験とか大事でしょう? だから回復するにしても、動ける程度に留めておくのがいいと思うんだ。うん。

ひとり納得して頷いていると、モモの胡乱げな視線が突き刺さった。そそくさとベッドへ乗り上げた時、ご機嫌なシロがピッと耳を立ててオレを見つめた。

『そうだ、タクトも耳そうじしてあげたらいいよ!』

「え? タクトも?」

「耳そうじ? 耳のそうじってなんだ?」

タクトの台詞に思わず身を引いた。もしや、今まで一度も耳そうじしたことない? 

こっちの世界のヒトって耳そうじしないんだろうか。ああ、だから耳かきが売ってないのか……。オレの耳かきはジフのお手製なんだよ。無理言って作ってもらったんだ。


そもそも、耳そうじって本来しなくてもいいって話もあるんだっけ。むしろやりすぎは良くないと聞いた気がする。

だけど、あの快感を知らずに一生を終えるなんて勿体ない。

オレはにんまりと密かに口角を上げた。

「じゃあ、回復しながら耳そうじもしてあげるね?」

「え、いい! なんか嫌だ! 回復だけしてくれ! 回復だ――いででで!!」

ジタバタしようにもできないでしょう? タクトの頭を持ち上げ膝に乗せると、怯えた視線がオレを見つめる。


不安しかない眼差しに、極上の微笑みを浮かべてみせる。

「怖くないよ、とっても気持ちいいんだよ……多分。でも、動いたら危ないからじっとしてね」

人にやったことはあるから、きっと大丈夫だろう。万が一手元が狂っても、この世界には回復魔法なんて便利なものがあるから。そもそも回復魔法を流しながらするなら、少々ガリっとやっても大丈夫かもしれない。

『耳そうじ程度では使っていいのか?』

チャト……案外ちゃんと会話を聞いているんだな。当の本人は、おれは耳そうじ拒否と言いたげに両耳をぺったり伏せてベッドの端に居座っていた。


「じゃ、やるよ? 心配しないで、回復もちゃんとするから」

「楽しそうで怖えぇ! 動けねえ間に卑怯だぞ! 可哀想じゃねえか、俺めっちゃ怖がってるぞ!!」

斬新な訴えだね……。大丈夫大丈夫、怖いのは最初だけ。

耳そうじの快感を知ってもらう使命に燃えるオレは、ひとまずリラックスしてもらうべくうっすら回復魔法を流しはじめた。


――耳をそうじするなら、お水を入れたらいいと思うの。ラピス、手伝ってあげるの。

ストーーップ!! 

親切心を発動したラピスをすんでのところで止める。

「ありがとう。だけど、お耳に水を入れたら病気になっちゃうかも!」

そもそもラピスの場合、ジェット水流で鼓膜まで吹っ飛ばしそうだけど。

そうなの? と首を傾げるラピスを撫で、後でラピスも耳そうじしようねと約束する。

きゅっと嬉しそうに鳴いたラピスが、タクトの顔に乗ってオレと同じように耳を覗き込んだ。


回復魔法で強ばっていた身体から力が抜けるのを見計らって、まずはそうっと耳に触れる。

「うぐっ!」

ビクッとした動作で全身の筋肉が悲鳴をあげたらしい。動くと危ないよ、と再び念を押し、そうっと耳かきを進め始めた。

「ぬわぁぁ……うえぇえぇ……」

それ、どういう声? タクトの口から漏れる妙な声に、ラキまで興味津々に寄ってきた。


「タクト、それ気持ちいいの~? 傍から見てると耳に棒刺してて怖いけど~」

「そんなこと言うなよ! 俺だってこ……ふぁあ~」

楽しい。これは楽しい。

タクトが悶絶するのを気にも留めず、オレは熱心に耳かきを奮った。

年季の入った耳垢を取るのがこんなに面白いものだとは……! しかも魔法って素晴らしい。小さな小さなライトで耳の中を照らすなんて芸当ができる。

「うわ、大物だ!! ほら!」

ごそっと取れた時のこの達成感……!! オレのツヤツヤした笑みに、ラキが若干引いている。

だって、日本では中々こんなに掘りがいのある耳には出会わないんだから。オレ、この世界で耳そうじ職人になろうかな。


「はい、片方終わったよ!」

ふー、と満足して額を拭うと、タクトが無言で向きを変えた。タクトもついに陥落したようだね……耳そうじの快楽に。

そしてそわそわして見守るラキも、ほどなくして誘惑に負けるだろう。

この世界に耳そうじを知る人がひとり、またひとり。オレは嬉々として耳かきを奮うのだった。

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