第527話 甘えていい場所

「……ここ、どこ?」

むくっと身体を起こすと、全く見覚えのない場所だった。だけど、部屋を占領するベッドを見るに、宿屋なんだろうなと思う。


昨日は大規模討伐に臨時参加して、いっぱい頑張って、オレたちが勝って、それで、それで……?

「打ち上げ! そうだ、打ち上げに行った――はず、だったけど?」

うん、行ったと思う。そのはず。だけどオレ、何食べたっけ? 何飲んだっけ? どうしてこんなに覚えてないんだろう。もしかして、着いてすぐ寝ちゃったんじゃないだろうか……。

微かな物音に視線を向けると、もう一つのベッドでラキが眠っている。お外が既に明るいから、タクトはきっと鍛錬してるんだろう。ベッドは2つしか無いけど、オレのベッドに枕が2つあるところを見るに、一緒に寝ていたんじゃないかな。


どうしてここにいるのか分からないけど、ラキたちもいるし、まあいいか。

再びぽふっと枕へ逆戻りすると、胸元に桃色のふわふわが飛び乗った。

『どうしてそこで二度寝できるのかしら……ちょっとは現状に不安を抱いたらどうなの?』

「だってそこにラキが寝てるもの。不安なんてないよ? きっとオレ寝ちゃったんでしょう?」

そう、いつものことだ。割と睡眠欲の強い身体で困ってしまう。タクトは食欲、オレは睡眠欲だね! ラキは……知識欲? 

少々湿っぽくて重いお布団だけれど、贅沢は言わない。二度寝……この甘美な贅沢を堪能できるのだから。


むふ、と笑みを浮かべて目を閉じた時、扉の開いた音がした。板張りの床が鳴る微かな音が近づき、ギッとベッドが沈み込む。

ふぅーっと長い吐息と共に、ガシガシと乱暴に髪を拭く音がする。気配だけで暑くなりそうだ。

「……おはよう」

たまには先におはようを言おうと、無理矢理まぶたをこじ開ける。頭からタオルを被っていたタクトが、ピクッと肩を揺らしてオレを見た。

「……え、お前起きてんの? すげーじゃねえか!」

目を丸くしてまじまじと見つめられ、少々むくれた。オレだって朝ちゃんと起きる時くらいありますー!

『起きる時がある、って時点でダメじゃないかしら……』

でも、起きないよりはいいんだから。ふよふよ揺れるモモがほっぺに当たって心地良い。その視線は痛いけれど。

「でも、起きるのは今だけ……」

「寝るなよ! 起きたんだろ?! まだ酔ってんのか?」

それじゃあ、と再び目を閉じたのに、タクトの大声が響いた。思わぬ台詞に寝入りばなをくじかれて、しかめ面をする。


「え、酔ってるって何のこと?」

「……何も覚えてねえの?」

探るような瞳に、どきりとした。な、何もってどういうこと?! 何かあったの?

「……タクト、うるさい~」

ごろりと寝返りをうったラキが、据わった目でオレたちを見た。ラキも朝は弱いから、機嫌は悪そうだ。

「ああ、ユータ起きたんだ~。気分は……まあナッツビアだからね、大丈夫そうだね~。 それで? もう甘えなくていいの~?」

フッと笑ったその笑みは、なんとなく背筋が寒くなるような……。

「えっ……と。甘える……とは?」

何か、何かオレの知らない所でとんでもないことが起きている気がする。

早鐘を打ち始めた胸を押さえ、傍らのタクトを見上げると、彼はそっと視線を外した。


「昨日。覚えてない~? 甘えん坊の赤ちゃんになって大変だったこと~?」

ラキの素敵な笑顔に凍り付く。冗談、だよね? 助けを求めてタクトの袖を引くと、ちらっとこちらを見て、決まり悪そうにがしがしと頭を掻いた。

「ま、酔っ払ってたんだよ、お前。わりと酒癖わりぃのな! もう飲むの禁止!!」

オレは青くなったらいいのやら、赤くなったらいいのやら……。だってお酒、飲んでないよ?! 覚えてないけど、多分! 記憶がないのがまだ救いかもしれない……あまっ、甘えていたことなんて、知りたくない。

「聞きたい~? 気になるでしょ~? まずは――」

「な、ならないっ! いいよ、もう!」

オレはガバリと布団を被って丸まったのだった。



「――そんな気にすんなよ、父ちゃんなんて泥だらけになるわ床で吐くわ大変だったぞ? 被害のない酔い方じゃねえか。……だけどもう飲むなよ?」

「そうだよ~素直でかわいかったよ~? 大きくなって飲みたくなったら部屋飲み一択だね~」

露店で朝食をすませ、思ったより長くなったエリスローデ滞在から帰還する。しょぼくれたオレを慰める2人だけど、もう、そのことは……触れないで欲しい。

臨時参加の討伐では、ここでも『希望の光』の名前が知られるくらいの活躍ができたし、たくさん報酬をもらえたことがせめてもの救いかな。

少々どんよりしながらエリスローデを出発した時、そう言えばレイさん、験担ぎに後で年齢を教えるって言ってたのにな、なんて思い出した。



「ねえ、ルーはお酒って飲む?」

ルーの『居心地のいい場所』が日陰から木漏れ日の下に変わっている。確かに、少々寒くなってきたからほどよく暖かくて気持ちいい。

ピクピクッと動いた耳に、きっと好きなんだなと返事より先に察した。

「飲む。なぜてめーが聞く?」

意外そうな顔と期待する瞳に、何か持ってくれば良かったと苦笑する。

「ごめんね、持ってはいないんだけど……。そっか、好きなんだね。じゃあ酒精きつめのケーキなんかも食べられるね」

フン、と前肢に顎を乗せる仕草に、多少のガッカリを感じて申し訳なくなる。


チル爺も好きだし、今度鍋底亭でおいしいお酒を聞いてみようかな。

なんとなくサイア爺も好きそうだし、シャラはどうだろう。小さかった時の印象が強いから不似合いな気がするけど、精霊や神様ってお酒が好きなイメージだ。これは単に神話や昔話の影響なのかな。

他には……エルベル様はオレと一緒で飲めないんじゃない? だってお子様な気がするもの。あと海人のウナさんも、ナギさんに比べてお酒に弱かったな。


「わ……何?」

ぼんやりとお酒好きそうな人をリストアップしていると、長いしっぽがべしりとオレの顔を撫でていった。絶対わざとだと思うんだけど、金の瞳を見上げてもそ知らぬふりをしている。

ごろりと向きを変え、背もたれにしていたルーに乗り上げた。木漏れ日を吸い込んだ漆黒の毛並みが、ふんわりとボリュームを増してふかふかしている。

「ここでなら、オレもお酒飲んでいいよね」

だって、いくら甘えたっていつも通りだと思うし。

「てめーが?」

訝しげな視線に慌てて首を振る。

「あ、もちろんルーが飲むようなお酒じゃないよ。オレ、ナッツビアなんかでも酔っちゃうみたいで」

だけどあの時だけかもしれないし、リベンジしたい。それに、ルーだって1人で飲むより一緒に飲んだ方が楽しいんじゃないかな?


「ナッツビアは酒じゃねー」

あからさまに鼻で笑ったルーに、頬を膨らませる。

「だから、もう一度飲んだら大丈夫かもしれないでしょう? 疲れてたせいかも。一緒に飲もうよ!」

「てめーの世話はしねー」

あれ……? 思ったのと違う否定に、顔を上げて金の瞳を探す。ルーはまるでオレの視線から顔を隠すようにごろりと転がると、完全に腹を天に向けて顎を逸らせた。

ついでに振り落とされて不満たらたらに立ち上がると、目の前の光景に頬を紅潮させる。

うわあ、もっふもふだ。

滑らかに光を反射する背側と違って、見るからに柔らかそうな腹側の被毛。方々へ毛並みを乱してふわふわとオレを誘う。

たまらず思い切り飛び込むと、弛緩し始めていた四肢が跳ねた。

「腹に乗るな」

「だって、ルーがこっち向いてるんだもの」


お腹側は割と嫌がられるのだけど、どうも今はご機嫌らしい。振り落とされないのをいいことに、可能な限り全身を広げて堪能する。

みっちりとした豪華な被毛と違う、やわやわと細く薄い腹側の毛並み。お日様の温かさよりも、ルーの体温の方を感じる。

生き物の体温って、安心するね。

ルーの体温は高くもなく、低くもなく、オレと馴染んで心地良い。

「いいお酒、探しておくからね」

きっと楽しみにしているだろう漆黒の獣に囁いて、全身を包むぬくもりに微笑んだ。



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