第487話 それぞれが、守るべきものは

――きれい。

蝶の渦を見上げて、ふんわり笑った。

解呪の青い蝶々と、金色の生命魔法の蝶々。一斉に羽化した蝶たちが、花吹雪のように舞う。

魔力を使いすぎたろうか。どこかぼうっとする頭で、ただきれいだと思う。

普段の小さな蝶々じゃない。羽音すら聞こえる気がする、アゲハ蝶みたいに大きな蝶々。

どうして、大きな蝶にしたんだっけ。

何気なく空へ伸ばした手に、ふわっと蝶が集まった。

まるで、餌に群がる小鳥みたい。まるで、光の花束みたい。


――今なら、舞えそうな気がするのに。

教えてはもらえなかった、生命魔法の舞い。

サイア爺は、ないって言っていた。生命魔法の精霊はいないんだって。だから、舞いもないんだって。

残念だったんだ、せっかく一番相性がいい魔法なのに。

くるりとまわると、光の蝶も一緒にまわる。

サイア爺が知らなくても、もしかするとあるかもしれないよね。いつか、教えてくれる人がいるといいな。

こうして蝶々と舞えたら、きっと気持ちいい。


「ユータ……お前」

躊躇うような声に、呆けていた意識がぐっと収束していく。

ハッと瞬いた瞳に、世界が戻った。

「あっ……オレ、ぼうっとしてた?! 魔物は?!」

慌てて見回すと、見つめる2対の瞳と目が合った。

そして、その傍らでもがく大きな魔物。

「えっ、タクト大丈夫?! 魔物が……これ、みんなが? すごい……!!」

「……すげーだろ! お前も、ラキも、俺も、ちゃんと守ったろ?」

力を抜いたタクトが、ニッと口角を引き上げた。だらりと下がった手に、長剣がかつんと河原に当たって音を立てた。

「モモやラピスがいたからだけどね~?」

ラキがそっとタクトに手を添え、オレの方へ歩み寄ってきた。

河原に転がった長大な尾に、息を呑む。

本当に、すごい。モモとラピスだけでは、こんな風に戦えなかったはず。


「僕ら、頑張ったよ~。だから」

「次は、お前の番、だな!」

オレはぼやけた視界を拭って、こくりと頷いた。

ありがとう。

ありがとう、守ってくれて。二人がちゃんと自身の命を守ってくれたから、オレはこんな心のままに戦える。

だから、オレを守る意味が分かる。

「任せて。大丈夫」


バランス感覚を失ってまともに動けなくなった魔物は、四肢を踏ん張って近づくオレを睨み付けた。

「行くよ」

オレの意思に応え、光の蝶々が一斉に魔物へと群がった。相手が大きいもの、魔力の密度を高めた大きな蝶で正解だ。やっぱり、解呪の青い蝶々が反応している。だけど、蝶々に寄られても痛いわけじゃない。光の蝶を気にしつつも、魔物は逃げ惑ったりせずにオレを警戒していた。


ひらひら、ひらひらと蝶が取り囲むにつれ、嫌な気配が薄くなる。同時に、魔物の気配も小さくなっていくのを感じる。

確実に、効いている。呼吸がしやすくなったようで、ふう、と息を吐いた。

「……静かだね~」

ラキが、ぽつりと呟いた。命が削られていることも気付かない、小さく、静かな攻撃。

「なんか、悔しいな」

完全に座り込んだタクトが、少し咳き込んで苦笑した。

そうだ、タクト! 装備がぼろぼろだったもの、きっと怪我をしている。


「お? なんだ?! ユータ、俺チョウチョに食われそうなんだけど!」

「食べないよ! じっとしていて」

慌てて振り払おうとするタクトに、くすりと笑った。

「お、おう……? 気持ちいい、かな」

そうでしょう? 回復の蝶々だもの。ねえ、解呪もせめて心地良かったらいいのに。

きっと、じわじわと魔物を死に至らしめるだろう魔法を使いながら、オレは勝手なことを思う。


にらみ合っていた魔物から、かくんと力が抜けた。踏ん張った前肢が崩れ、地面に頭を打ち付ける。

慌てて飛び起きた魔物から、焦燥が伝わってきた。

あるはずのない尾を振り回そうとして、魔物がどしりと尻をついた。

ゴッ、ゴゴ、ゴ。

これが魔物の声だろうか。喉から空気を振動させる音が漏れると、よろめきながらくるりと身を翻した。同時に、大きな背びれが震える。きっと魔法! 

「シールド!」

咄嗟にオレたちに張ったシールドは、確かに何かを弾いた。

「あ、蝶々が~!」

衝撃波みたいな嫌な気配が、群がる蝶を吹き飛ばしてしまっていた。だけどその代償か、魔物もぐったりと荒い息をしている。

「くそ、逃げられる!」

身体を引きずるように、オレたちに背を向けて向かうのは、あの湖。


時間稼ぎができればいいと思っていたのに。

今やとどめを刺せるまでに追い詰めたことに驚きながら、駆けだした。

呼応して、残った蝶々が姿を変えていく。載せる魔力よりも、スピードを求めた姿へ。矢のように飛翔したとんぼたちは、残らず魔物へ追いすがって、その身に溶けた。

『行こう』

スッと寄り添ったシロに飛び乗り、魔物の前へ回り込む。もう、怖いなんて思いが芽生えない。

瞳を濁した魔物が、真正面からオレを見た。その大きな瞳をしっかりと見つめ返し、走り抜ける。

――ユータに合わせるの!

めいっぱいに魔力を通したチュー助は、いとも簡単に魔物を切り裂いた。間髪入れずにラピス部隊が追随。

――魔物の頭は、離れて飛んだ。



* * * * *


「う……」

「お~い、テンチョ、大丈夫?」

テンチョーはゆさゆさと揺すられ、目を開けた。

「なっ?! なんだこれは――くそ、あいつらか!」

「ちょ、ちょっと! 揺れる! 落ちるから!!」

不安定な場所で起き上がると、彼は痛む後頭部をさすった。地面まで、割と遠い。あいつらも焦ってたんだろうが、落ちたらどうするつもりだったんだ……。

「魔物に食われるより、ましってことだったんじゃね?」

枝に掴まったアレックスが、ため息と共に苦笑した。

「で、どうする? 足手まといだってこうして置いて行かれた俺達ですが」

二人は高い木の上で、山頂の方を見やった。

あれからどの程度の時間が経ったのだろうか。彼らが覚えているのは、後輩2人を逃がして振り返ったところまで。ちらりと視界を掠めた2人の目配せを思い出し、苦い思いがわき上がる。

自分達の方が実力不足は承知の上――だったけれど。

「きっついねー、あーんなちっこい後輩に守られちゃうと」

「そうだな」

頼っては、もらえなかったな。それはそうだと合理的な頭では理解するものの、納得は難しい。

「テンチョーが頼られる場面は、きっとこの後だと俺は保証するぜ! なぁ、テンチョ、あいつらになんて言おう? なんて説教したらいいと思う?」

訝しげな顔をしたテンチョーに、アレックスは堪えきれない笑みを浮かべて背後を示した。


* * * * *


3人で山を下りていると、タクトとラキが目に見えてそわそわしはじめた。

「あっ……やべえ! 2人とも起きてる!」

何が? と視線を辿れば、先輩二人が、なぜか高い木の上からオレたちを見下ろしていた。

「あれ? テンチョーさんたち、どうしてそんなところにいるの?」

「さあ、どうしてだろうなぁ? そこにいる二人にぜひ聞いてみてくれ」

オレより大きい二人が、小さな背中に隠れるように後へまわった。がっちりと腕組みしたテンチョーさんの背後に、渦巻く黒い雲が見える。読めない表情は、般若のよう。


め、めちゃくちゃ怒ってるーー?! か、勝手なことをしたからだろうか。

じりじりと下がるオレたちの後ろからも、声が聞こえた。

「さて、ちゃーんと言い訳は考えたのかなー?」

ゆっくりと首を巡らせると、にっこりと微笑んだアレックスさんがいた。い、いつの間に……。まるで怖いときのエリーシャ様みたいな微笑みに、ビクリと肩が震えた。

思わず俯いた視界に、大股で歩み寄ってきた大きな靴が映った。げ、げんこつかな……もしかしたら、本気でぶん殴られたりして……。

身を縮めたオレたちに、大きなため息が聞こえた。

次いで、肺がぺちゃんこになるほどきつく抱きしめられる。

「ありがとう。生きていてくれたな」

テンチョーさんの腕は、本当にきつくオレたちを締め上げて、痛かった。

「だけど、もうやらないでくれ。命には順番がある。最初は、私だ」

固く締めたその腕は、オレに反論を許さなかった。

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