第436話 立身出世
「わあ……」
オレは小さく感嘆の声をあげると、両手で口元を抑えた。こんなしっとりと落ち着いた雰囲気の中に、オレの声が響くと勿体ない。
ずっしりと重さを感じるような重厚な内装は、煌びやかな宝石とはまた違う、ビロードのような温かさと高級感両方を感じた。
廊下にはいくつも扉が並び、それぞれ装飾が異なっていた。もしかして、椿の間とか菊の間みたいなやつかな? オレたちは案内されるままに、ふかふかとした絨毯を踏んで歩く。自然と背筋が伸びるような緊張感に、腹の虫も奥に引っ込んでしまった。
「こちらでどうぞお寛ぎ下さい」
案内された部屋は座敷ではなかったけれど、やはり会食用の大きな個室だ。ダークウッドと深いグリーンを基調に、控えめな金の装飾が施されている。暗めの室内に燭台の火がわずかにゆらめいて、美しい影を描き出していた。
「すごいね、豪華だね。王様みたい……」
案内人は一礼して去ったけれど、給仕さんらしき人が数人佇んでいる。ついこそこそと小声で話すオレに、エリーシャ様が笑った。
「貴族ならこういうのにも慣れておかないといけないのよ。ウチは自由にやりすぎているからユータちゃんは慣れないわよね」
引かれた椅子にためらうことなく、エリーシャ様は自然な所作で腰掛ける。堂々として、かつ優雅だ。真似したいけれど、オレにはそもそも椅子の座面が高すぎる。よじ登ったらいけないだろうし……なんて考えるうちに、カロルス様がひょいと抱き上げ、給仕さんが椅子をあてがってくれた。
どうやらメニューは既に決まっているらしい。目の前にはピカピカのカトラリーや食器が並び、余計に緊張してきた。ぴしりとシワ1つなく敷かれたテーブルクロスは、撫でるとしっかりと固かった。
「ねえ、どんなお料理が出るの? 食べ方のマナーとか、あるの?」
カトラリーは地球のコース料理ほどズラリと並んでいるわけじゃない。外側から使う、なんてルールはなさそうでホッとした。
「ユータ様はいつも美しく召し上がっていますよ?」
「そんなに気にしなくても、ユータちゃんはいつも美しい所作で食べているわよ? 時々お口の周りが汚れるだけだもの、大丈夫よ! お口が汚れた時はこれ、お手々が汚れた時はここで洗うのよ」
なんと、この水を張った器はなんだろうと思ったらフィンガーボウルとか言うやつか。手が汚れるようなお料理もあるんだろうか。
「つまんねえこと気にしてると飯がまずくなるぞ! 美味いと思って食えばそれでいいんだよ!」
カロルス様は、もう少し気にしてもいいと思うけど。でも、豪快に食らい付く様は見ていて気持ちが良い。同席者と自分が美味しく食べられたら、それでいいのかもしれないね。
その時、小気味良いノックの音を響かせて給仕さんたちが入室してきた。
「わああ!」
声を潜めていようと思ったのに、つい歓声をあげてしまった。ふうわりと一緒に入って来た香りに、なりを潜めていた腹の虫が一気に戻って来た。
コース料理のように1品ずつ運ばれると思っていたのだけど、どうやらできたものをどんどんと並べていく方式らしい。みるみる埋まっていくテーブルの上には、目にも美しい品々が並んだ。
ひとつひとつ流暢に説明する姿は、さすが高級店。ジフとは違う!
その中で一際目を引く大皿。豪快に盛って出されたそれは、どう見ても――
「カニだー!」
思わず一挙動で椅子に立ち上がって身を乗りだし、慌てて座りなおした。
「うふふっ、そうよ! こんなお店でも出されるくらい、カニは有名になったのよ。これはユータちゃんの功績よ」
カニ……出世したね。海蜘蛛なんて言われて捨てられていたあのカニが……随分立派になって。
オレはそっと目頭を拭った。
『カニにとっては大迷惑でしかないわね』
『天敵が増えた』
モモと蘇芳の台詞は聞こえなかったことにした。
「さあ、食うぞ! 今日はお前のおかげだからな、お前のアレやるか」
カロルス様がにかっと笑顔を向けた。それに応じた全員の笑顔が、こちらを見つめて頷いた。
そっか、じゃあみんなで――。
「「「「「いただきます!」」」」」
乾杯よりもロクサレンらしく、オレらしく。オレたちは顔を見合わせて笑った。
どれから食べる、なんてルールもないようなので、オレはひとまず立身出世を果たしたカニ足を手に取った。甲羅は残念ながら並べられていないようだ。
「ユータちゃんに説明はいらないわね」
エリーシャ様がくすくすと笑った。もちろん! カニの食べ方ならきっとオレの方が詳しいよね。
これは、いわゆるカニ刺しだろうか。半透明の大きなカニ身が、ひんやりと冷えた器に並べられている。添えられた茶色っぽいソースで食べるようだ。
手に取ったカニ刺しは海蜘蛛にしては小ぶりのようだけど、ずしりと意外なほど重かった。まるで貴婦人のドレスのようにひらひらと華開いた透き通るカニ身は、繊維のひとつひとつがしっかりと太く立ち上がるような弾力を持っていた。いつかテレビで見たよりもずっと大きくて、ずっと美味しそう。思わず口から溢れそうになった唾液を拭った。
まずはそのまま、めいっぱいに開けた口で思い切り頬ばった。
「んん~~~!!」
幸せ……。プツプツするほどの弾力、甘み。磯臭さなんて微塵も感じない上品な甘さに、全身の細胞が歓喜しているみたいだ。これはもう、このまま食べるのが正解じゃないだろうか。オレはちらりと添えられたソースを眺めた。いやいや、でもせっかくなんだからソースも味わうべきだ。
美しい房をそっとソースに浸すと、繊維を縁取るようにするするとソースが絡んだ。せっかくのカニの味を損なうんじゃないかと危惧しつつ、再び頬ばる。
……ごめんなさい。つい、見ず知らずの料理長に心中で土下座した。これは……これはただのソースじゃない。これは、かに味噌をベースにしたものだ! それが合わないなんてことがあるだろうか。いやない!! オレはたまらずもう1本大きなカニ刺しを手に取った。かに味噌を少し炙ったんだろうか、わずかに感じる香ばしさ、そして濃厚な味噌をソースとして引き立てるのは、柑橘の香り。
「ユータちゃんは本当に美味しそうにカニを食べるわねぇ。つい釣られて食べちゃうわ」
エリーシャ様が上品に笑った。でも、その皿にはきれいに食べられたカニ刺しの殻が積み上がっていた。いつ、どうやって食べているのか不思議で仕方ない。
「父上、肉ばっかり取らないで! 全員に行き渡るように食べてくれる?!」
「いいじゃねえか、残ってるだろ」
カロルス様とセデス兄さんが取り合っているのは、肉のパイ包み焼き。
「さあ、ユータ様はこちらをどうぞ」
マリーさんは自分が食べるのをそっちのけで、次々オレの皿に料理を盛り付けてくれる。おかげで給仕さんがちょっぴり困っている気がする。
差し出されたパイ包み焼きは、ナイフをあてがうと表面のパイ生地がパリリ、と音をたてた。かたまり肉の断面は美しいワイン色を晒して、上品に添えられたソースが映えている。身の詰まったお肉は固いと思いきや、ストンとナイフが通って驚いた。一口大に切り分けたお肉にソースを絡めると、ごくりと喉が鳴った。
「!!」
おいしいぃ! 幾重にも重なったパイ生地の小気味よい歯触りも、ソースを吸ってしっとりとお肉と馴染む感触も、どちらも捨てがたい。そして、お肉! これは、何のお肉なんだろう。脂のない締まった赤身のくせに、ほどける柔らかさ。肉のうま味がぐっとお肉に詰まっていて口の中で弾けて広がるような……。思わず恍惚とトリップしてしまい、ハッとした。ダメだ、浸っている場合じゃない! ここは戦場だ。
「オレももっと欲しい!」
思わず伸び上がろうとした所で、マリーさんの華奢な手が次の皿を差し出した。
「同じものばかり食べるより、色々召し上がった方がいいですよ。ユータ様はそれほどたくさんは召し上がらないでしょう?」
う……確かに。カロルス様たちはいいなぁ、美味しいものをいっぱい食べられて。
「お前はいいよな、ちょっとで満足できてよ」
カロルス様は上品に盛られた皿を見つめて、恨めしげにオレを見た。エリーシャ様のにこやかな一喝で、取り分けは給仕さんに任せることにしたらしい。それも、確かに。ぺろりと食べては給仕さんを催促する様子に、くすっと笑った。
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