第162話 伴侶じゃなくても、きっと
薄暗い室内で窓ガラスにぼんやり写る、少し疲れた顔をした白髪赤目の少年。
「……。」
俺は呆然と窓に写る自分の姿を眺めた。どう見てもガキ、王様の格好をしたガキだ。
そして、偉そうな格好をしたそいつの牙は、1本しかない。
…なのに、伴侶はいない。
どうしてこうなったんだろう。見つかったと聞いて、暗い世界に光が射したように思った。しばらくぶりに胸が躍るのを感じた。
「はは…嘘だろ…男だとか。…これはないよな。」
俺が子を残さなければ王家は途絶える、伴侶は絶対に必要だ。そして、そのために牙も必要だ。
めまいがする……。牙なしの王……俺は牙なしで人前に立つのか…。
牙なしの王が人の上に立てるのか?このせいで、もし…もしまた諍いが起こったら?
…それでも、何もかも俺が勝手にしたことの責任だ。本当に、自業自得だ。
どうしても手に入れたくて、同意も得ずに身勝手をした罰が、当たったんだろうか。
だって、女神様だと思ったんだ。温かい魔力、奇跡の力。たった1匹残った意識でもうろうとする中、よく指輪を渡せたなと今でも感心する。
…戻ってこなきゃ良かった…もう何度目か分からない、取り返しの付かないことを思う。
命からがら戻ってきたのに、迎える人は誰もいなかった。父も、母も、兄も、妹も、友達も……誰も、誰もいないなんて。
こんなことになっているなんて……俺が王様だなんて…。
だから、側であの人に支えて貰いたかった。あの笑顔で、温かい魔力で。あの人に会いたかったんだ。あの人がいれば頑張れると思ったから、あの人を探すことを条件に王様のふりをした。
…でも、違ったんだ。あの人は女神様じゃなかった。俺の伴侶じゃなかった。
なのに王様のふりは、やめることができない。いくら待ってももう誰も戻って来ることはなかった。
もう俺しかいない…じわっと涙が浮かぶ。
もう、俺しかいない。
* * * * *
たくさんの調味料や食材に、何よりお醤油!そしてお味噌!オレにとって何より貴重なものをいただいて、まるでテーマパークみたいな城内をあちこち見せてもらって、オレは大変満足してエルベル様の部屋へ向かう。
「結局それだけなんて…なんて欲のない。私たちが叱られてしまいますよ?」
「そう言われても…オレすごい剣とか盾なんていらないし、宝石もいらないし…食べ物の方が嬉しいもの!」
それに伝言はしてあるけど、夜までに帰らないと、そろそろカロルス様達も心配するだろう。
豪華な扉をノックして入室すると、何やら深刻な顔でグンジョーさんと話していたエルベル様が、こちらを向いて微笑んだ。
「もういいのか?必要なものは持ったか?何もほしがらないと皆が困っていたぞ。」
「うん、エルベル様ありがとう!!すっごくいい物貰っちゃったから、もういいんだよ!みんな優しいし、ここ、とってもいい所だね。」
にこにこしたオレの言葉に、二人が少し驚いた顔をした。
「……そう、か。それは良かった…だが無理に連れてきて悪かった。ナーラに送って貰ったらすぐに着くからな。」
「ありがとう!ナーラさん、大丈夫?とても喜んでくれていたから…。」
「…ああ、お前が気にすることはない。そうだ、皆にはオレの命の恩人だから招いたと、誤解は解いてあるぞ。ふふ、お前が男だと知って侍従たちが驚いていた。だがあの指輪のことを知っているのはナーラとグンジョーだけだ、他に言うなよ?万一お前に危害が及ぶと困るからな。」
「……うん。」
強いな。大人びた顔で告げるその姿からは、大声を出して扉を開ける所も、人前で泣く所も想像が付かなかった。
今、城内にはエルベル様以外の子どもも、王族もいない。料理人さんや侍従さんの話を統合するに、王が病で急逝した後、『身内で諍い』が起こり、次期王の可能性がある者は大人も子どもも皆襲われたようだ。
ごく少数の一族で争いもなく過ごしてきた彼らには、想像もしない出来事だったそうで…。諍いの火が消えた後に、かろうじて戻ってきたのがエルベル様唯一人。王位継承など考えもしていなかった幼いエルベル様が、唯一の王族となってしまった。
彼は確かに存在する子どもの顔を隠して、そんな顔でずっと過ごすんだろうか?
「ねえ、エルベル様はお外で遊んだりするの?」
「ああ、この男がお守りについて、コウモリの姿で行くことはあるぞ。ここに本体を残しておかないと危険だからな。だが王があまり世情に疎いと困るだろう?まあ勉学の一環だな。」
それはお外で遊ぶとは言いません!エルベル様、本当に王様になるために色々頑張ってるんだろうな。
君はまだ子どもだよ?甘えられる人はいる?カロルス様みたいに、支えて包み込んでくれる人は?
ほどなくして、控えめなノックと共に入室したナーラさんは、少し沈んでいるようで胸が痛んだ。
「宮さ…いいえ、エルベル様の命を救っていただいた恩人さん。この度はご迷惑をおかけしました。ヤクス村でよろしかったですか?このナーラが安全に送り届けて差し上げますからね。…もう、よろしいのですか?」
「うん…ちょっと待ってね!」
オレはタタッとエルベル様に駆け寄って両手を伸ばすと、きょとんとしたその顔を挟み込んだ。小さな体に大きな重荷を背負って、一生懸命立とうとする少年。その支えになるのは、伴侶じゃなくてもいいはずだ。
「ねえ、エルベル様、オレまた来るよ。美味しいお菓子持ってくるからね、一緒にお外で食べようね。もっといっぱいお話しようね!」
「!!」
「子どもはもっとお外で遊んだ方がいいんだよ。オレが綺麗なところに連れて行ってあげるからね。一緒に行こうね!」
エルベル様の大人ぶった顔が、くしゃりと歪んだ。
「……そう、だな。」
涙を堪えた震える声は、それだけ言ってナーラさんに目配せすると、頷いた。
エルベル様の身代わりのように、ぽろぽろと泣くナーラさんが、オレを包み込む。
「エルベル様、またねー!!」
消えゆく黒いもやの最後の粒子まで見送って、俺は目を閉じた。
頬に残る柔い小さな手の感触。やっぱりお前は温かいな、このほの暗い里で、お前がいるところは陽が射しているように感じる。
ありがとう…名も知らない人の子。そして、悪いな、もうお前に会うことはないだろう。不死者の街にヒトが来るべきではない。
それに…いつか牙なしになったその姿、お前には見られたくない。
「……また、こちらへ呼びますか?」
「………呼ばないと言った。しつこいぞ。」
「ですが。我らに偏見を持っておりません、あなたには…。」
「うるさい!あいつに偏見がなくとも世間にはあるだろうが!!あいつがそれに晒されてもいいのか!」
「!!!!」
グンジョーが突然形相を変えた。
がしりとオレを掴んだ強い力に、思わず身を固くする。
脳裏を過ぎったのは、あの時の記憶。容易くオレ達を傷つけたのは禍々しい剣、そして、それを携えた従兄弟。あの優しいお兄さんだった人。
…グンジョーまで裏切るならもういい。むしろ、望む所だ。瞬時に掠めた思考に、俺は抵抗の術をなくした。
しかし、いくら待っても何の衝撃も襲ってはこない。掴まれた顎をそのままに、そっと目を開けると、あろうことかグンジョーが声もなく泣いていた。
「なっ…グンジョー!?」
思わず手を振り払ってまじまじと彼を見つめる。まさか、鉄面皮のこの男が泣くなんて!
「なっ、なんだよ?どうしたんだよ!?」
俺?俺が泣かせたのか!?そんなにキツく当たったっけ?!狼狽える俺に、グンジョーは泣きながら笑った。その温かな眼差しの中には、戸惑うオレが写っている。
グンジョーのそんな顔、久しぶりだ。もしかしたらこの男も、ただのガキを王にするプレッシャーに一人耐えてきたのかもしれない。
「エルベル様……こんな…。」
きょとんとする俺に両手を伸ばし、グンジョーは俺の歯列をなぞった。静かに頬を流れる涙をそのままに、溢れる微笑み。
「…こんなことが……。」
両の親指で触れられた感触に、俺は心臓が止まりそうになる。…まさか、まさか!!
震える右手を上げて、直接触れたその感触。
自分の手が触れるものを信じられずに鏡に走った。
そこには、顔をくしゃくしゃにして泣く、ガキの姿が映っていた。
そして、そのひん曲がった口には、2本の美しい牙が覗いていた。
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