第89話 執事さんの敗北


お風呂に入ってぐっすり寝たら、翌朝にはもうゴブリン殲滅部隊が帰ってきていた。なんと昨日の夕刻頃には殲滅を終えて後始末をしていたらしい・・あの巨大集落を・・凄いな。

「執事さん!おかえりなさーい!」

窓からぶんぶんと手を振ると、にっこり笑って手を振った執事さんが手招きしている。

「なーに?・・・わぶっ!?」

窓枠に足をかけた所でぱちゃっと顔面に水がかかった。これ、魔法?見ると執事さんが大きく腕でバッテンを作っている。うん?なんだろう?

ユータ、この間そこから下りて怒られたの。

「あ!そっか、ここから飛び降りちゃダメってことかな。」

ラピスに言われてちゃダメだなぁ。窓から顔を引っ込めて、とんとんと階段を下りた所で正面扉から執事さんが入ってきた。

「執事さん!なー・・ンムゥッ?!」

にこにこ顔の執事さんが、左手でむにィッ!とオレの両頬を掴んだ。同時にスッとにこにこのオーラが消えて・・・あ・・こわ、執事さん怖っ!騙された・・・にこにこは罠だったんだ・・。

「・・・ユータ様?帰ってたはず、でしたよね・・・?帰ると、言いましたよね??」

顔を近づけてゆっくりと嬲るように話す執事さん・・・めちゃくちゃ怖い・・オレはすっかり涙目だ。

「ご・・ごむぇんなしゃい・・」

ガッシリ頬を掴まれたままなんとか謝ると、執事さんは深くため息をついて、オレの瞳を覗き込んだ。

「・・・いいですか?あなたはあなたの身を守らなくてはいけません。・・・例え、それで他の命が失われても。」

灰色の瞳は真剣な光を帯びて、驚くオレの瞳を見つめる。両頬を乱暴に掴んでいた左手が離され、ガサガサした両手がそっとオレの頬を包んだ。

「あなたは私にとって、その他大勢の命よりよっぽど大切な、一人です。あなたに不利益があると判断すれば、私はあなたが助けた人全員の口を封じますよ。・・・分かりますか?」

「!!」

驚愕に目を見開いたオレをじっと見つめて、執事さんはもう一度ため息をつくと視線を落とした。

次に視線を上げた執事さんは、もう怖くなかったけれど・・どこか寂しそうだった。

「・・・怖かったですか?分からなくてもいい、私が怖かったと、そう覚えていて下さい。私の言葉が少しでもユータ様の心に引っかかってくれたらそれでいいと、そう思っていますよ。」

微かに笑うと、遠慮がちにそっと頭を撫でて、そのまま立ち去ろうとする執事さん。

・・・行っちゃだめ!

ぐいっと引っ張って引き留めると、その胸元に飛び込んで顔を埋める。オレは恥ずかしかった・・自分の身は自分で守ろうと思っていた。執事さんは敢えて「私」と言ったけれど、きっとこれはロクサレン家の総意だ・・オレを守るためにそこまでするかもしれないと。

「・・ごめんなさい・・ごめんなさい・・。」

「・・いいえ、もういいのですよ。ちょっと脅かしすぎましたね?ほら、もう怒っていませんよ?」

違う、そうじゃなくて・・言いたいことがあるのに、しゃくりあげる声が邪魔で伝えられない。

「・・・オレ、何かあったとき、オレの身ひとつ渡せばすむって、それでいいっておもってたの。」

頼れって言ってくれた・・出ていくなとも。だから、甘えてここにいる・・その代わり、いつか、オレを庇いきれない時が来たときは、潔く前に出る覚悟を決めようと思ったんだ。


でも、ロクサレン家とオレの手は、オレが思うよりずっとずっとしっかりと繋がれていて、オレが前に出ても引き戻されるみたいだ。

「カロルス様も言われたでしょう?全て自分で何とかしようとするなと。あなたはセデス様と同じ立場にいるのですよ?セデス様が何かしでかしたとして、私共が彼を差し出すと思いますか?」

こんな厄介者を・・・嬉しさと、申し訳なさと、責任と・・。

「オレ・・・居候なのに・・。」

「あなたは、ことのほか頑固ですね・・。館のものは誰一人そうは思ってないでしょう。」

苦笑と共に一度だけ撫でられ、オレはようやっと顔を上げた。

「・・あり、がとう・・」

「・・・いいえ、お礼はカロルス様に。私はこの館にいるだけですから。」

そう言って離れようとする体を逃すまいと、両手で捕まえて首を振る。

「ちが・・違うの、執事さんに・・。」

撫でようと上がっては引っ込める、その右手を掴んでじっと灰色の瞳を見つめる。

「ごめんなさい・・オレ・・嫌なこと、言わせた。ありがとう・・。」

「・・・・!」

執事さんがそんな驚いた顔をするのは珍しい。そんな、驚くことを言ったろうか?両手でしがみつこうと手を挙げるとふわりと体が浮いた。わあ、執事さんが抱っこしてくれるのは珍しい・・・壊れ物を扱うようにそっと抱え上げて、今度は執事さんがぎゅっとオレの小さな体に顔を伏せた。

どうしたの・・?いつもと少し違う執事さんが心配で、オレがやってもらうようにそっと頭を撫でた。


「・・すみません。さ、お食事がまだでしょう?いってらっしゃい。私はまだ隊の方ですることがありますからね。」

しばらく伏せていた顔を上げた執事さんは、優しい顔でにっこりするとオレをおろした。

「うん。じゃあね!お仕事がんばって!」

オレもにっこりして、ばふっと抱きついてから食堂へむかった。



「・・・・・・。」

振り返って後ろのドアの影を睨むと、ニヤニヤ顔のカロルス様が姿を現した。

「バレてたか。・・・やられたな、お前、泣いたろ?」

「・・泣いてません。あなたじゃあるまいし。」

「嘘つけ!そういや俺お前が泣いたの見たことねえな。俺は情緒豊かだからいいんだよ!」

「情緒豊か・・・。」

「ま、あれだ。悪かったよ・・またお前に悪者役させちまった。・・・通用しなかったけどな。」

「いいえ、もとよりそのつもりですから。・・しかし、参りましたね・・これは完敗です。」

「こういうことでお前が負けるとはな・・なんてヤツだ。」

「本当に。」

まさか、こうなるとは。私は冷静で感情を切り離して考えることができる人間・・そう思っていましたから、人を諫めるのは私の役目なのです。悪党どもがすくみ上がる私の怒気を、あのような幼子にぶつけて失神しやしないだろうかと不安に思ったくらいです。大泣きしてカロルス様かセデス様の所へ行くだろうと思っていましたが・・・。

「嫌われる、はずだったんですけどね。」

「はっは!相手の方が上手だったな!」


全く・・こんなことになるとは。

崩れ落ちるのではないかと不安になるほど脆く柔らかい体、真摯に見つめる濡れた黒い瞳、私の親指を握りしめた、冗談のように小さな手。かさついた汚い手に感じる、温かくふくふくとしたその手が、私の心をも掴んで離してくれそうにありません。


そうですね、アルプロイさん。やっぱりあれは『天使』でいいと思いますよ。

温かな胸の内に、私は苦笑するしかなかった。




「オレも行っていいの?!やったー!」

「・・お前、あんなことがあったのによく行きたいと思えるな・・。」

翌日、ギルドへの報告を兼ねてハイカリクの街にお出かけするんだって!今回は正規の報告だし数人で行くからロクサレン家の馬車を使うらしい。どうやらエリーシャ様ももうすぐ戻ってくるから、ハイカリクで待ち合わせるようだ。

うきうきと弾む心をそのままに、体も弾んでいるオレを見て呆れるカロルス様。だって、ハイカリクの街だよ!やっぱり村とは全然違うんだ。

ギルドに行くんだったら素材も売却してもらえるかな?ドキドキだ!ルーのブラシも買えるかな?

「ティアは初めてだよね!いっぱい見るところがあって忙しいよ?石が売れるといいね~!」

「ピピッ!」「きゅ!」

そわそわする心を落ち着けようと、二匹に頬ずりしてそのふわふわを楽しむ。

ピィピィ・きゅうきゅうと嬉しそうな様子に、こっちまで嬉しくなってくる。

「二人にもなにか買えたらいいなぁ。」

それと、ルーにもお土産買えたらいいな!

出発まで2匹をもふもふしながら、着いた後何をするか想像して、やっぱりそわそわと落ち着かないのだった。







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