Velvet coat

Scene.37

 Velvet coat


「牧師さん、私に鷲鼻が説教くれたよ、偉そうにね。銃を突き付けて造り出した沈黙は平和と呼べるのか、だってさ」

「それで?」

「何で言い返さなかったんだろうなン……。お前だって同じことしてるだろってさ」

「それだけ期待しているのでしょう、彼に」

「期待、ね……」

「今の世界の人間は、いえ、この街の人間は、どうあるべきなのでしょうね。誰もがこのことについて考え、それぞれの答えを持っていることでしょう。そして、あなたの答えのひとつが、彼の存在なのかもしれません」

「私の答え、か……。その結末を望んでいなくても?」

「自らの想いと、最良の選択は、時に異なることがあります」

 その黒衣の牧師は光の差さないステンドグラスを見つめる。

「このような職についていながら、私は、人の命の価値は相対的なものであるということを理解しています。だからこそ、神は全ての人に同じ光を与えようとした。しかしながら、人々はそれを拒絶した。私たちは本質的な不平等を受け入れてしまったのです」

「牧師さんは、それを愚かだと思う?」

「思います。でも、それはとても人間らしい愚かさだと思います。私たちは、もう一度その愚かさと向き合う時に生きているのかもしれません。そして、如何なる問題も、それを生み出したときと同じ意識が解決することはできません」

 雪に埋もれそうな教会の中、礼拝堂に今日は珍しい客がひとり。

 直向きに足元を見つめるその真っ白な兎は、教師に叱られた子どもみたいだった。そんな彼女の傍らで猫背の牧師はにこやかに微笑んだ。彼の視線の先には、教会の扉を開ける赤いコートの少女と、その後に続く死体みたく美しい女性。女は牧師に微笑み返した。

 土色のブーツが、赤い絨毯の上を歩く。

 静かな礼拝堂に彼女らの靴音が響いた。

「あら、私たちの他にも礼拝に来る人がいるんですね。珍しいわ」

「礼拝じゃないぞン、私は神なんて信じてない。たまには静かな場所で……ってクロエじゃん?」

「あれ、イルゼ姉さん?」

「おー、元気そうだなン」

「あら、知り合いなの、クロエ。羨ましいわ、こんなに可愛いお友達がいるなんて」

「イルゼ姉さんとは、その……、えーと、孤児院で一緒だったんです。それより、今日はどうしたの、姉さん」

「色々あってね。ところで今何してんの?」

「今はこの人のお手伝い。ヘルガさんはお医者なんだよ」

「解剖専門だけどね」

「趣味悪っ」

 黒髪の少女が、白い兎の隣に座る。

 間の悪そうに、イルゼは金色の前髪を弄っていた。どこか暗さを見せる二人の横顔は、同じ影を抱いている。仄暗い空間に、静寂が染み混んで、沈澱してゆく……。

 黒衣の牧師はパイプオルガンの鍵盤に指を添えた。

 音楽はいつも、秘密の話を隠してくれた。そう、今宵も。そして、これからも。そのために、この旋律はあるのだろう。

 蝋燭の炎が僅かに揺れ始めた。

「姉さん、ルシファルに会ったよ」

「そっか。やっぱり、お前のとこにも来たのか」

「やっぱりって……。姉さんも会ったの?」

「会ったよ」

「そっか。放っといてくれなかったか」

 黒髪の少女が俯く。

「みたいだなン……。でもさ」

 イルゼの言葉をクロエが遮った。

「あのね」

「どうした?」

「姉さん。あいつを殺して」

 赤いコートを纏った天使は自分の白い手を見つめながら言う。

「そうじゃなきゃ、いつまで経っても私たちは自由になれない気がするんだ」

「……解った」



 氷の都トロイカ。

 信仰を忘れたこの街でも教会とは救済の象徴だ。時に、悩みを抱えた者が立ち寄り救いを求める。しかし、その祈りを聞くのは神だけとは限らない。

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