世界の中で

 森を抜けると、見晴らしのいい平原の先にドラゴンの背から見た山がそびえていた。ここからだと随分大きく見える。

「持つかな……俺の体」

 不安になった俺は自分のふくらはぎに軽く手を当てた。

「ホント、持ってくれないと困りますよ。あんな山、私越えられませんから」

 体全体がずしりと重くなる。背中に何かが乗ってきたのだ。

「持つっていうのはそういう意味じゃない……どいてくれないと動けないだろうが」

「よく言いますよ! あなた、よく見ればどえらい数の加護がついてるじゃないですか! ここまでさぞ身軽だったでしょう! 一人担いでちょうどいいくらいです! それに女の子一人乗ったくらいで何が『ずしり』ですか! 『ふわっ☆』に訂正してください!」

 背中で暴れまわっているのは森の魔女にして“開拓者”の一人であるロマンナ・ミロネティの一番弟子(自称)のココロだった。

「自称じゃありません! 自他共に認める一番弟子です! あなたさっきから失礼ですよ!」

「うるさい! だいたい、ココには魔法があるじゃないか! 森でやったみたいに浮いていけばいいだろ!」

「あれは集中しないといけないから疲れるんです! まさか、山を越える間ずっと集中しておけと言うんですか!」

 やーやー言い合っていると鎧男がやってきた。

「やめないか。ココ、山越えは体力的に厳しいのか」

 鎧男の言葉にココは俺の背中の上から答えた。

「いえ、自慢じゃないですけど体力には自信があります。師匠には散ッ々鍛えられましたから」

「じゃあ、自分で歩けよ!」

 ココと戯れながら、俺は昨日のロマンナさんとの一幕を思い出す。



「はぁ⁉︎」

 ココの大声が部屋中に響き渡る。それでもロマンナさんは表情を崩さない。

「よかったらココをあなたたちと一緒に連れていってほしいの」

 ロマンナさんの唐突にも思える提案に四人は困惑した様子だった。俺はと言えば、正直たまたま竜が降りたところに四人がいただけで、パーティーメンバーというわけではないから完全に他人事だった。

「俺たちの旅に、ですか?」

 バンダナの青年の言葉にロマンナさんが頷いた。

「もちろん、仲間が増えるのは嬉しいですけど……な?」

 他の三人も頷いて青年の意見に賛同している。

 が、なぜかその後、俺の方に視線が集まった。呑気に世界子樹ジュースを飲んでいた俺は理由が分からず慌てた。

「ど、どうしたんだ?」

 俺の言葉に青年が当たり前のように言った。

「どうしたんだって、君の気持ちを聞きたいんだ。君も一緒に旅をする仲間だ」

 ……俺が、この人たちの仲間。

「ああ、俺もココと一緒に旅をしたい」

 俺はここに来て自分のことを、世界の新参者、余所者。そう思っていた。事実そうだ。俺なんてまだこちらに来て少しも経っていない。右も左も、この世界の歴史も常識も知らず、ただ観光気分でここにいるだけの、なんの繋がりもない、今すぐ消えても問題のない存在。

 でも、そんな俺のことを仲間だと言ってくれる人たちが、ここにいる。きっと青年にとっては何気ない言葉だけど、俺は初めてこの世界に実感が湧いた。

「はぁ……ちょっと急ですけど師匠が決めたのなら仕方がありません。実際、今以上のタイミングは無いでしょうし」

 ココはすぐに冷静になった。最初こそ驚いていたものの今は随分と落ち着いている。

「不束ではありますがこのココロ、少しでも皆さんのお役に立てるように頑張りますのでどうかよろしくお願いします」

 ココの改まった挨拶に俺たちまで改まってしまうが、あまりの呑み込みの速さにバンダナの青年が不安そうに尋ねた。

「本当にいいのか? 俺たちの旅に具体的な目的とか目標はないし、いつ終わるかもわからないぞ?」

「大丈夫です。私もいつか世界を見ておかないといけないと思っていました。見られるだけのものを見て、感じ取れるだけのものを感じ取ります。もし、皆さんの旅が早々に終わりを迎えることになったら、その時は……一人でも旅を続けます」



 そんなやりとりの次の日、ココはあっさりと迷いの森を出て、パーティーメンバーに加わったのだった。

 しかし、初日から随分と賑やかな子だな。まだ子供に見えるが何歳くらいなんだろうか。

「冗談はここまでにして。皆さん、私に寄ってください。もっともっと。よし、ほいっ」

 ココは背中に掛けていた自分の背丈より長い杖で地面を突いた。すると、ココの周りを、正確に言うと杖を中心とした半径二メートルほどを淡い光が包んだ。

「な、なんだ!」

 驚いたのも束の間、光はすぐに消えてなくなった。

「な、何したの?」

「い、今のも魔法か?」

 ココは杖をしまうと、なんでもなさそうに言った。

「補助魔法です。皆さんの体の負担を減らす魔法だと思ってくれればいいです。これなら、魔力効率も良いですし、切れたらまたかけ直せばいいだけですから」

 向こうで言うバフか。たしかに、体がだいぶ軽い。

「ほんと! すごいココ! これすごい!」

 姫様がバフにはしゃいでいるところを見ると、この世界に魔法が浸透していないことを改めて感じる。

「なぁ、ココってもしかして途轍もなくすごいんじゃ……」

「ああ……間違いなく」

 バンダナの青年と鎧男がこそこそと話しているが、ココの耳は二人の会話を聞き逃さなかった。

「そうですよ⁉︎ 私すごいんですよ! ようやくわかりましたか! ふふん、私にかかれば山の一つや二つや三つ、というかこの世界に怖いものなどありません! (どこかの森の魔女以外)はははははは! さぁ! 行きましょう! 世界の果てまで!」

 さぁ! と山の入り口を指差すココはマッチョに肩車されていた。

 それからは厳しくも穏やかな旅路だった。

 ココの魔法があるとはいえ、さすがに身体は悲鳴を上げていたが、思い描いた通りのファンタジー世界を前に心は常に潤っていた。

 山頂に向け、雪化粧に身を包む山道を仲間たちは楽しそうに登った。

 山頂からの景色は圧巻の一言。人工物の少ないこの世界の景色はとても幻想的で、朝日に照らされた仲間たちの横顔がこの世のものとは思えないほど輝いていた。

 ときおり姿を見せる奇妙な生物やその土地の民族の集落を前にする度に俺の心はワクワクを抑え切れなかった。

「こ、こいつの名前、イエティだったりする?」

 目の前にいたのは背丈が俺の倍以上ある毛むくじゃらの生物だった。

「いや、名前はイエティエスト・ラリンマクザルシアだな」

 長っ! と思わずツッコむとイエティエスト・ラリンマクザルシアが大きな手で俺の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。

「ちょっ、やめっ! やめろよっ! イエティエスト・ラリンマクザルシア!」

 正直、イエティエスト・ラリンマクザルシアに撫でられる感覚は悪くなく、否定的な言葉を吐きつつも笑みが溢れてしまっていた。

「ははは、イエティに好かれたな!」

「イエティエストォッッッ!」

 旅は続く。

 夜は勉強会というなのココの魔法披露会で大賑わいだった。

「見ろ! 驚嘆しろ! 泣き喚けッ! これがいずれは森の魔女を凌駕する天才魔法使いの力だ! ハッハァァァァ!」

「むぅ……コントロールが中々難しいな」

「見てっ! すごい!水が出た! 見て見て!」

「姫様! 水までです! 火はダメですよ火は!」

 心地よい賑やかさを全身で感じながら、俺はドラグニフ爺のくれたリュックの中身が気になり、中を調べることにした。

 思えば、軽いとか重いとか何も感じなかったし、背負っていることすら忘れていた。これにも爺さんの不思議な術がかかっているのだろうか。

 リュックの中を弄るとまず、木の杖が出てきた。先端が渦を巻いていていかにも杖という感じだ。おかしいのはそれがリュックに入るはずのない長さであること。

「やっぱり、このリュックも爺さんの特別製ってことか」

 杖を脇に置いて、他にも何かないか探ってみる。ほんの僅かに何か紙のようなものを握る感触があった。

 それを取り出して、目にしたときの気分の高鳴りは多分、この先一生忘れることはないだろう。

「宝の地図」

 俺が手にしていたのは見たこともない場所が描かれた地図だった。少し硬い素材、端は千切ったかのように歪で表面はざらざらしている。地図上、一点に赤色のバツ印があった。

 まさに絵に描いたような宝の地図だった。

 ただ一つ気になるのは地図に書いてある大陸や場所などが途切れ途切れなことだった。これでは宝以前に地図としての役割を果たせていない。

「どうしたんだ、そんな険しい表情で」

 俺が頭を捻っているとバンダナの青年が隣のちょうどいい岩に腰掛けた。

 青年は変わった形のギターを弾き始める。音色は最高。自然音を奏でているように自然で耳馴染みが良く、いい意味で眠気を誘う。音を聞くとやはりギターではないようだ。

「ああ、リュックの中身確認しててさ」

「ドラグニフ様が出してくれたものか」

 俺は青年に宝の地図を見せた。少しだけ躊躇したのは素晴らしい演奏を中断させるのが勿体無かったからだ。

 青年は宝の地図と少しの間睨み合うと、俺の方を見て言った。

「これはとんでもないものだよ」

 青年の反応にやっぱりかと内心にやついた。ドラグニフ爺のものだ、何かあるだろうということは薄々気づいていた。

 まだ一度しか会っていない老人への期待は凄まじかった。

「そこら中の国が喉から手が出るほど欲しがっているものだよこれは」

「そんなにすごいものなのか?」

 徳川の埋蔵金のようなとても有名な宝のありかなのだろうか。

「ところどころ消えていて完全ではないけど、これはまだ人類が到達したことのない五割の未開拓地の地図、その一部分だよ」

 未開拓地、というとドラグニフ爺やロマンナさんがいた“開拓者”の人たちだけが行ったことのある場所。その場所の地図……。

「五割のって……そこはまだ誰も言ってないんじゃ……」

 話だと開拓者の人たちが行っていない場所が残り五割ある。もし、まだ誰も知らない場所の地図だとしたら、開拓者の人たちは人類が思っているより先へ行っていることになる。

「未開拓地の地図はほんの一部しか明かされていないんだ。それだって世界中がまだ見ぬ場所を知りたがって開拓者の人たちに描かせたようなものだ。開拓されたことが分かったのも竜の巣ドラゴンスカイを竜の背に乗って超えてくる開拓者の人たちを多くの人が目撃したからだし」

 じゃあ、今ここにある地図は……。

「そう、開拓者の人たちが明かさなかった未知の場所。そして謎の宝とそのありか」

 これがそんなすごいものだったなんて。ほんと、とんでもない爺さんだったんだな……。ん? でも待てよ。

「竜の背に乗った人たちを目撃しただけってことは」

「ああ、それ以来誰も未開拓地へは足を踏み入れられていないのが現状だ」

 青年は穏やかな笑みを浮かべて夜空を仰いだ。

「ワクワクするだろ? ほぼ全ての人が知らない場所があるなんて。そこに棲む初めての生物いきもの、もしかしたら人もいるかもなぁ。見たこともない道具に今までにない技術があるかも」

 青年が視線を手元へ戻すと、あたりに再び心地の良い音色が流れはじめる。

「俺はこの世界を余すことなく楽しみたいんだ」

 その言葉は美しい音色と合わさって唄のように聞こえた。

「そうだな。俺もそう思うよ……うん、心からそう思う」

 体の中が熱いような冷たいような不思議な感覚だった。

「みんなにはこの地図、明日見せようか」

 姫やココは大騒ぎして大変なことになりそうだし、それになんとなく、まだもう少しだけこの空気を楽しんでいたかった。

「ああ、それがいい」

 賑やかな夜を三つの月が照らした。

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