Épisode 22「私、は、知らない、ですよ?」
朝食の席には、昨夜いなかったフラヴィも参加していた。
テーブルクロスの敷かれた長いテーブルの上には、すでにたくさんの料理が並んでいる。数種類の茶色いハードパンに、豚の腸で作られた
普段からリュカの健康に気を遣って野菜を多く取り入れるユーフェとしては、驚きの朝食である。ちらりと視線を移したコルマンド伯爵夫妻は、なるほど、納得のいく肉付き具合だった。
「そういえばヴァリエール様は、なぜこんな田舎に?」
昨日は聞きそびれておりましたな、と伯爵が飲んでいたワインをテーブルに置く。
「ただの気まぐれな旅の途中でしてね」
「それにしたって、ここはそれほど観光できるところもないでしょう? 王都へ繋がる町でもありませんし、不思議に思いまして」
「ああ、確かにそうかもしれません。そうですね……もしかすると伯爵ならご存知かもしれませんし。いいでしょう、お教えしましょう」
ヴィクトルがナイフとフォークを置き、口元をナプキンで拭う。
ユーフェとレオナールが、そんな彼に目を点にした。ただの旅ではなかったのかと驚くユーフェと、なんで自分には言わなかったくせに伯爵には言うんだと、小さく憤るレオナール。
リュカだけが、我関せずと、黙々と固いパンを頬いっぱいに咀嚼していた。
「実は、人を探しているのですよ。噂を耳にしたことはありませんか? 〝癒しの女神が現れた〟と」
「はぁ、癒しの女神ですか。それはあれですかな、この西大陸において信仰のある、
「ええ。別名、
「私も存じておりますよ。しかしそれは神話の中の話。いえ、私ももちろん信仰しておりますがね? その女神が現れたなどと……」
「そうですか。伯爵は耳にしたことはありませんか」
残念です。そう言いながら、ヴィクトルは全く残念そうでない顔で微笑んだ。おそらく、そんな簡単に見つかると期待してはいなかったのだろう。
が、ここでレオナールが口を開く。
「なんだいヴィクトル。君が欲しい情報というのは、その女神のことだったのか?」
「さて、どうだかな」
「なんで私にはそんな態度なわけ⁉︎ いいのかい? もし私がその噂を知っているとして、そんな態度では教えてあげないよ」
どこか勝ち誇ったような顔でレオナールが言う。
ぴくり。ヴィクトルの眉尻がわずかに跳ねた。
ほんの些細な反応だったけど、レオナールは見逃さない。
「ふふん。君が私に対するこれまでの態度を改める、又は謝罪するというのなら、そうだな、教えてやらないことも……」
「そうか。悪かった」
「まだ途中! しかも軽いね⁉︎」
「改めることはできそうにないんでな。ほら、謝ったぞ? どこでその噂を聞いた?」
珍しくヴィクトルが食い下がる。
レオナールは意外そうにしながらも、後の報復が怖くて早々に情報を提供した。また猫を近づけられたらたまったものじゃない。
「私が聞いたのは、教会でだよ。孤児院が併設されててね。慰問したときに、そこの子供たちに聞いたんだ」
「ほう、教会か。どこの?」
「モンブール教会だよ」
「モンブール教会? ということは」
伯爵が答える。
「モンブール教会でしたら、ちょうど私の領地内にありますよ。ここノルマールの東端、赤い屋根が特徴的な教会です」
「ええ、外観だけなら拝見したことが。確か、ちょうどリュカたちの住む森の近くだったかな?」
もっ、もっ、とパンを咀嚼していたリュカが、そのままこくりと頷いた。普段は滅多に食卓に出ない肉料理のオンパレードを、リュカはここぞとばかりに頬張っている。
そんな彼に詳しいことを訊くのは忍びないと思ったのか、それともただの気まぐれか、ヴィクトルはユーフェに相手を変えた。
「ユーフェはその噂、聞いたことはあるか?」
「へ⁉︎」
突然話を振られて、ユーフェは大げさに肩を強張らせた。彼女の人見知りを見てきたヴィクトルは、今もそれだろうと当たりをつける。
けど、実際は違った。
(ま、まさか、違うよね? まさかそれ、私のことじゃないわよね⁉︎)
そう。癒しの何ちゃらという噂は知らないけれど、ユーフェにはちょっとだけ心当たりがあった。その、癒しの、という部分に。
というのも、モンブール教会の子供の一人に、ユーフェは癒しの魔法を使ったことがある。買い物から帰ってきたときに、木から落ちたという子供を助けたのだ。
ちなみに白状すると、他にも余罪が諸々と。怪我をして動けない旅人。火事で火傷を負った町の住人。などなど。薬だけではどうにもならない人々を、ユーフェは魔法で癒してきた。
リュカに使用禁止と言いつけられているにもかかわらず。
「私、は、知らない、ですよ?」
背中に冷や汗が流れる。ちらりとリュカを盗み見た。
「……まあ確かに、君はあの森に住んでいないものな」
「そう! そうなんです。だから全然、ほんと、聞いたこともなくて」
リュカは相変わらず料理を頬張っている。気づかれていない……?
「ふむ。だとしても、やっと手に入れた情報だ。行ってみるか」
「行ってみるってヴィクトル、君、そんな眉唾ものの噂を信じているのかい? 火傷の痕がきれいに無くなったとか、折れた骨が元に戻ったとか。誰かが面白おかしく流した、ただの噂だろ?」
「そうかもしれない。だとしても、なに、君に迷惑をかけるわけじゃないんだ。俺の好奇心の問題だから、放っておいてくれるかな、
レオナールの口角がヒクついた。相変わらず人の神経を逆なでする天才だ。
二人のやりとりを、ユーフェは内心ビクつきながら見守る。私じゃない。絶対に、私のことじゃない。と何度も内心で否定しながら。
「よし、フランツ」
「はい、ヴィクトル様」
「善は急げだ。行くぞ」
「かしこまりました」
伯爵と夫人にひと言挨拶をして、ヴィクトルは言葉どおり席を立つ。それを唖然と見上げたレオナールが、慌てて後を追うように席を立った。
「私も行く。ちょうど、私も孤児院に用があるんだ」
「はあ? なぜおまえと行かねばならん。用があるなら俺の後に来い」
「情報提供者は私だぞ。いいから来てくれ。伯爵、彼は私が案内するから、あなたは自分の仕事をするといい。それと夫人、申し訳ないが、今日もフラヴィをよろしく頼むよ」
「……承知しました殿下。では、お気をつけて行ってらっしゃいませ」
ヴィクトルたちが嵐のように部屋を去ると、あとには微妙な沈黙が広がる。それを必死に耐え、リュカがたまの肉料理を堪能したあと、ようやくユーフェは解放された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます