Épisode 20「だから今度は、フラヴィが覚悟する番よ!」


 どんなことがあっても、太陽は必ず昇る。

 たとえば昨日、もしかしたら好きかもしれない人の、密会現場を見てしまったとしても。はたまた、たぶん好きだと思う人に、人前でキスをされたとしても。朝日は必ず空に輝く。

 与えられた部屋のカーテンを開け、ユーフェは一睡もできなかった目を擦りながら、そんな朝日を眩しそうに受け止めた。

(意味が、わからないわ)

 それはもちろん、ヴィクトルのことである。

 彼がフラヴィの部屋に入っていったところを、ユーフェは自分の目で確かに見ている。そのあとしばらく経っても彼が出てこなかったところまで、ユーフェは自身で確認している。というか、ショックすぎて足が動かなかっただけなのだが。

 と思いきや、彼はレオナールの前で、ユーフェにキスをした。まるで見せつけるように。ただ、ユーフェはユーフェでも、そのときの彼女は猫の姿だったのだが。

(だとしても、意味がわからない。だってあんなの、まるで)

 まるで、彼があの黒猫を、ユーフェだと思ってキスしているようで。

(自意識過剰⁉︎ 私ってば、自意識過剰なの⁉︎)

 彼の唇の感触を思い出すだけで、ユーフェの頬には熱が集まる。

 意外と柔らかかったな、なんて。

(お願いだから思い出さないで……!)

 キスされたときに見えた湖面の瞳に、本気で囚われるかと思った。間近に見る彼の整った美貌に、抗えないどころか、もっと、と強請りそうになってしまって。

(いーーやぁー!)

 窓に額を打ちつける。自分でも信じられない。恋なんて、もうできないと思っていたから。

 しかも次に恋をした相手は、優しくなくて、強引で、態度はでかくて、平気で人を振り回すような男で。

 初恋のレオナールとは全然違う。自分でも自分の気持ちがわからない。

 けれど、確かなことが一つだけ。彼のたまに見せる無邪気な笑顔とか、わかりにくい優しさとか、意地悪に上がる口角にさえ、どうしようもないほど胸が高鳴るということ。

 それは、レオナールに恋をしていたときよりも、ずっと強く、ずっと激しく。

 持て余している。この強い想いを。

 持て余しているけれど。

(まだ、好きかもしれない、だけなんだから……)

 窓にこつりともたれかかる。

 素直に認めるには、今度の相手は色々と面倒な相手なのだ。それに、完全にユーフェで遊んでいるヴィクトルのことを好きだと認めるのは、なんだか癪だった。

(私も結構、単純だなぁ)

 あの強引さに救われて、救われたから、好きになったのだろうか。だとしたら、自分のちょろさに呆れてしまう。そういえばレオナールを好きになったのも、あの頃彼だけがユーフェに優しくしてくれたからだ。

(あ、やっぱり単純だったわ。どうしよう、頭痛くなってきた)

 そんなんでいいのかとは思う。思うから、今回ばかりは好き、かもしれない、にとどめているのだ。

(そうよ。かもしれないのよ。だから頑張らなくちゃ)

 自分の気持ちをはっきりさせるためにも。

 情けない自分から脱却するためにも。

 ユーフェは今、少しずつ、変わろうとしている。




 部屋の窓から見えた人影に、ユーフェは慌てて庭園に下りた。そこにいたのがフラヴィだったからだ。

(あ、足が震えてる。でも、今なら)

 決意を固めた今なら、フラヴィにも毅然と立ち向かえる気がした。むしろそんな気がする今こそ、彼女に言うべきなのだ。

(大丈夫、大丈夫。絶対大丈夫)

 両手を握り合わせてから、朝の庭園で一人、花を愛でるフラヴィに近づく。他に誰もいないのが救いだ。

 伯爵夫人が薔薇好きで有名なだけあって、季節外れの今でも、色とりどりの薔薇が咲いている。けど、その美しさに目が向かないほど、ユーフェは緊張していた。

 すー、はー、と深呼吸をしてから、フラヴィに声をかける。

「フ、フラヴィ」

 ちょっと声が裏返ったのはご愛嬌だ。

「……あら、お姉様。おはようございますわ」

「あ、うん、おはよう」

 普通に挨拶をされて、少しだけ肩透かしを食らう。

 どことなくフラヴィの様子がおかしい気がしたけれど、ユーフェは意を決して彼女に近づいた。

「あのね。あ、朝からこんなこと、迷惑かも、しれないんだけど」

 つっかえながらも、ユーフェはフラヴィの目を見て話す。自分とは違う、最高級サファイアコーンフラワーブルーの瞳。彼女の気品を一気に引き立てるその瞳を、いったい何年ぶりに見つめただろうか。

「今日は、宣言しに来たの。今度は私が、フラヴィのものを、奪うからって。ヴィクトル……様を、フラヴィから奪い返すからって、言いに来たのっ」

 こんなこと、もし、自分の両親に知られたら。

 ユーフェはもしかすると、この町にはいられなくなるかもしれない。いや、この国にさえ、いられなくなるかもしれない。

 だってそれほど、フラヴィは両親に愛されているから。彼女の障害になるものは、全力で排除するような人たちだ。

 そして、それができる権力を持っているから、なおのこと厄介な人たちだった。

(でも、いい。たとえ町を追われても。国を追われても)

 それでも、今、失いたくないもののために。

 もしかしたら、いつかはこの選択を後悔するのかもしれない。やっぱり大人しくしておけばよかったと、泣く羽目になるのかもしれない。

 それでも、ユーフェは思う。

(今までと同じ後悔をするくらいなら、違う後悔をしてみたい)

 だから前を向く。俯かない。彼が、俯くなと言ってくれたから。

「だから今度は、フラヴィが覚悟する番よ!」

(言った……!)

 ついに、言ってしまった。フラヴィに喧嘩を売るようなことを。

 それでも、不思議と気分は晴れやかだった。

「まあ、お姉様ったら。ふふ、どこまでもかわいそうな人。そのヴィクトル様が、昨日わたくしと何をしていたかご存知ないの? 彼ったら見かけによらず、とぉっても情熱的な人でね? 何度も何度もわたくしを……」

「知ってるわ」

「え?」

 負けるな、と内心で唱える。

「知ってるって、言ったの。私だってもう子供じゃないもの。二人でフラヴィの部屋に入っていったところを見れば、私でもなんとなく、二人が中で何をしてたのか、解ってるつもりよ」

「……ではなぜ、そんなにも冷静ですの? それともあれかしら。お姉様は本当は、ヴィクトル様のことを特別に想っていらっしゃらなかったとか? だからそんなに落ち着いているのかしら」

 ユーフェは静かに首を振った。そうじゃない、と。

「落ち着いてなんかない。落ち着かなかったから、こうしてあなたに今、宣戦布告を、しているの」

 あまりの緊張に指先が震えている。それを叱咤するように、ぎゅっと手を握り合わせた。

 あのフラヴィにここまで言い返す日が来ることを、幼い頃の自分は、夢にも思わなかっただろう。

「私はもう、ユーフェ・オルグレイじゃない。ただのユーフェ。だから、もう二度と、あなたに私のものをとらせたりなんかしないって、決めたの」

 毅然とフラヴィを睨む。

 姉のぎこちない反抗に、フラヴィはきっと、いつもの余裕のある笑みで微笑むのだろう。まるでユーフェが何をしたところで、フラヴィには敵わないと見下すように。

 それでも構わなかった。それでも、自分の意見を言えただけで、ユーフェにとっては変わるための一歩を踏み出せたのだから。


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