Épisode 09「嫌よ嫌よも好きのうちって言うしな!」


 翌朝。

 ユーフェは結局一睡もできず、隣で満足げに熟睡していたヴィクトルをひと睨みしてから、早々にキッチンに立っていた。

 朝食はいつもサンドイッチとスープという組み合わせなので、もちろん今日も同じである。

 ただ、リュカが飽きないよう、ユーフェはその中身を変えることで朝の食卓を彩っていた。

 昨日は野菜をメインにしたサンドイッチだったから、今日は昨日の余り物を使った肉メインのサンドイッチにしよう。

 と、決めたところまではよかったが。

(見てなさいあの変態! 真心どころかあなたへの恨みつらみを込めてあげるわ!)

 今までは酷評されるたび、リュカへの感謝がまだまだ足りないのかと考えて、いつも以上にリュカのことを思って作っていた。

 しかし、今朝の彼女は少し違う。

 その頭の中にあるのは、ヴィクトルへの怒りだけである。

(よくも……よくも私のファーストキスを……!)

 猫のときのキスをカウントしていいのかは微妙なところだが、そこはユーフェも乙女。

 貴族の貞操観念などは持ち合わせていないけれど――それを教えてくれる人がいなかったため――それでもユーフェだって、口と口のキスがそう簡単にするものではないと知っている。

 恋人、または夫となる者に許すものだ。

(それをっ、あの変態はぁぁあ)

 恨みのこもったこのサンドイッチでも食べて、お腹を壊せばいい。そんなことを考えながら、ユーフェは朝食作りに没頭した。

 やがてリュカを起こす時間になり、ヴィクトルも起き出すだろう時間になったので、ユーフェは猫の姿になる。

 もともとリュカは朝が苦手だ。なのに、この茶番に付き合ってもらうため、最近はいつもより早めに起きてもらっている。そうでないと、リュカが起きてもいないのに朝食が用意されているという、自ら墓穴を掘る事態に陥ってしまうからだ。

 そして意外にもヴィクトルは朝が得意のようで、それもまた、リュカの負担になっている。

(とにかく、早くあの人を追い出さなきゃ)

 でも、全然出て行ってくれる気配はないけれど。

 リュカを起こすと、彼はまだ眠たそうにまぶたを擦る。昨日も遅くまで研究に没頭していたのだろう。何の研究をしているかは知らないが。

 二人でダイニングのある一階に下りると、ヴィクトルの姿はまだなかった。それにほっと胸を撫で下ろす。

 それからすぐ後に、彼も起きてきた。

おはようボンジュール俺のかわいい黒猫マ・シャノワール

「みっ」

 抱き上げられそうになって、素早くリュカの肩に避難する。

 その手には二度と捕まるかと、毛を逆立てて威嚇した。それを面白そうに見やって、ヴィクトルは席に着く。

「あ、そうだ」

 そこで、眠たそうな顔のまま、リュカが何かを思い出したように口を開いた。

「今日は僕ら、出かけるから。あなたはどうする?」

 問いかけられたのはもちろんヴィクトルだ。

 しかし彼は、サンドイッチを口にした状態で、なぜか本物の陶器人形のように固まっていた。

 リュカが首を傾げる。ユーフェも首を傾げた。

 でもすぐに、ユーフェには思い当たることがあった。

(も、もしかして、本当にお腹壊しちゃったの⁉︎)

 確かにサンドイッチには、恨みつらみをこれでもかと込めた。お腹を壊せばいい、とも念じたけれど。

(ま、魔法は使ってないわよっ? そんな魔法知らないし。だからそんな、本当にお腹を壊すなんて……っ)

 ユーフェだって、何も本気でお腹を壊せばいいと思ったわけじゃない。それでお腹が壊れるとも思っていない。思っていなかった。

 ならどうして、ヴィクトルはサンドイッチをかじった状態で固まっているのか? 

「みゃ、みゃ〜」

 心配になって、彼の許に近づいたとき、

「ふ、ふふふ」

 彼から不気味な声が聞こえた。

「ふふふふ、ふははははは!」

 世界征服を成した魔王のように、ヴィクトルが突然高笑いする。

「ユーフェ!」

「みゃっ」

 いきなり名前を呼ばれて飛び上がる。

「素晴らしい! 愛情とは言い難いが、これには俺への感情が伝わってくる! 進歩だ!」

 そのテンションの高さに、リュカとユーフェは揃ってドン引きした。

「ああ、やはり昨日のあれが効いたのかな。ならばあれを続ければ、いずれは愛情に変わるだろうか。きっとそうだな。嫌よ嫌よも好きのうちって言うしな!」

 ヴィクトルが何語を話しているのか、本気でわからなかった二人である。二人もよく知る世界共通語を話しているはずなのに、その意味が二人には全く理解できなかった。

「そういえば出かけるって? もちろん俺も同行しよう。この素晴らしい変化を前にして、みすみす離れるわけがないだろう?」

「みゃみゃ⁉︎」

(それはだめよ!)

 なんといっても、本日の予定は領主嫡男に対する診察だ。ユーフェはリュカの助手として本来の姿に戻らなければならないし、こんな変態を領主の屋敷には連れて行けない。

「みゃ」

(リュカ、断って!)

 眠たそうな目で、リュカは頷く。

「ヴィクトルさん、それはさすがに……」

「さて、何時から出発だ?」

「あなたを連れては……」

「さっそく準備をしよう」

「行けないんだけど……」

「場所はどこかな?」

「……えーと、伯爵のところ」

「みゃあ⁉︎」

(リュカ⁉︎)

「ああ、コルマンド伯爵か。ふむ……」

 何かを考え込むヴィクトルを置いて、ユーフェはリュカに詰め寄った。

「みゃー!」

(なんで教えちゃうの!)

「だってあの人、何を言っても諦めなさそうだから」

「みゃっみゃ!」

(だからって、どうするの⁉︎)

「んー、大丈夫だよ。たぶん」

「みゃ⁉︎」

(たぶん⁉︎)

 そうして、結局ユーフェの猛反対も虚しく、ヴィクトルも同行することが決まってしまった。

 恨むべきはヴィクトルの図々しさなのか。それともリュカの事勿れ主義なのか。

 とりあえず、「やっぱりお腹壊せばよかったのに!」とユーフェがヴィクトルに対して思ったのは、言うまでもない。

 

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