#29





 ●





 先生の指もまた、あらわになったエリの胸の先端に、そっと触れた。

 恐ろしく、丁寧に。

 触れるとはじけるシャボン玉を手のひらで包むように。

 エリの身体は瞬間、小さく震えた。

 以前着衣のままでされた時と同じように身体を拘束する麻縄が、よじれる素肌に鋭く食い込む。約束通りに。


「脱いでごらん」

「―――全部ですか?」

「全部だよ」


 雨の降る日だった。

 海辺の町は梅雨前線に包まれていた。

 エリは前回と同様に、クルマで半島の先端まで来た。磯際の、先生のコテージだった。白い十字の窓枠で切り取られた海は、グレイの階調に沈んでいた。部屋の中は快適に空調されており、梅雨時の湿気は全く感じられなかった。


 キッチンの椅子に腰掛けた先生の前で、エリは着てきたシャツを脱いだ。背中を向けて良いと言われたので、そうした。

 ショーツを脱ぎ去ると、何も言われぬまま、背中から先生に肩をそっと押され、前回のソファーに座らされた。先生は手際良く、エリの身体を縄で固定した。

 Mの字に固定された両脚を大股開きとされ、両手もその脚にきっちりと結びつけられた。エリはされるがままに、先生に身を任せた。仕事が終わると先生は、エリの身体に生成り色のタオルをかけた。


 人の尊厳を丸ごと奪う姿勢に固定され、わずかな慰めのように布一枚で秘部を覆われたエリ。

 彼女は何も言わず、羞恥心と静かな興奮に高まる自分自身を観察していた。


 先生もその間、一言を口をきかなかった。

 エリももちろん、何も話すべき言葉を持たなかった。

 部屋には磯場にはじける潮騒が、かすかに聞こえるだけだった。あとは麻縄が結ばれたり、垂らされたりする音だけ。


 それが済むと、先生は元のキッチンテーブルに戻った。

 そして、何もせず、エリを見つめた。

 エリはその視線を感じつつ、なにも言えぬまま、視線をそらした。

 先生の視線が、肌を刺すのを感じた。わずかな間が、何時間にも感じられた。ヒリヒリとした感覚がタオルからはみ出た肌に感じられる。

 身体が熱くなっていたことに、エリは気づく。

 それが性感の高まりなのか、自分でも分からなかった。早く抱いて欲しいという願いだけがあった。なにもされぬままのこの時間が辛かった。

 しかしそれは欲望の高まりというよりも、純粋な辛さのほうがまさっていた。


 気づくと、エリの頬に、熱い雫が一筋、伝った。

 それはエリの顎を離れ、タオルの生地に落ちた。

 それが涙だと気づくのに、かなりの時間がかかった。


 先生はその涙を見ても、何も言わなかった。

 そしてゆっくりと、エリの方に歩みを寄せた。

 そのタオルを取ると、緊迫されたエリのヌードの身体をじっと見つめた。

 そして、左の胸のふくらみに触れた。

 エリの身体が鋭く反り、彼女は息をのんだ。

 指先が縄で縛られ強調されたバストをそっと絞る。


「あぁっ!」


 声が、自然に漏れた。

 自分でも驚くほどの大きな声だった。

 淫らな格好に固定され、自由を奪われて。いま、官能のボタンに鋭く一度、触れられるだけで、身体が哀しいくらい反応してしまう。

 先生はバストの谷間に爪先を当て、気が遠くなるほどゆっくりと、その指先をヘソの方に下ろしていった。


「あぁ…はぁぁ……」


 身悶えするほど切ない刺激が身体の中をかけめぐる。

 性感を刺激するのではない。

 精神を刺激するのだ。

 縄は、その象徴だ。

 エリは、唇から唾液が漏れたその瞬間、そのことに気づいた。

 自分が、ことに。


 唇を伝ったよだれは、胸のふくらみのすぐ上の肌に落ちた。

 先生の指はヘソを超え、ゆっくりと下腹を降りてゆく。ほとんど余計な脂肪のないエリの身体のなかでも、女性らしい丸みをたたえた下腹部の肌に、先生の指先が、見えない刻み目をつけてゆく。

 腰が何度も、波打ってしまう。

 恥ずかしい。みっともない。そう思っても、自分をぎょすることができない。

 やがてその指は、エリの整えられた小さな茂みに到達した。

 身をよじると、麻縄が素肌に食い込み、その淫らな姿を強調する。縄の感触は千本の指に似て、エリの身体の自由を奪い、エリの心の鎧を解いてゆく。


 エリは気づかなかったが、ソファーの座面にはもう、その蜜がちいさな水たまりを作っていた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る