永遠の箱

秋野たけのこ

箱の中の私

 ――私はここにる。


 今日も私は目を覚ました。いつも通り。そのいつもなんてもう忘れたけれど。

 真っ白な天井、真っ白な壁、真っ白な床。私はそんな部屋の中にいる。

 端から端まで十歩歩けば事足りる、小さな小さな箱の中だ。

 

 ふぅと一息だけ吐いて、ベッドから起き上がる。すると同時にくぅーとおなかが鳴った。


 ご飯にしようか。私よりも背の高い冷蔵庫を開いて中を見る。そこには誰が用意したのか、色とりどりのサラダやジューシーなステーキ、白いご飯に卵スープ、様々な果物にお茶とジュースなど、私一人では数日あっても食べきれないだろう量の食事や飲み物が入っていた。


 それを見た瞬間、私の食欲は一気に失せてきた。いつものことだ。


 この冷蔵庫の中身は、なぜか誰もいないのに補充される。いや、それは私が知らないだけかもしれない。もうずっと続く法則なのだが、この冷蔵庫の中身は私が眠ったあとに再び満杯まで補充されるようなのだ。


 いったい誰が? 分からない。だって見ていないから。


 いったいどうやって? 分からない。だってこの部屋には外に出るドアがないから。


 私はサラダとオレンジジュースだけ取って、部屋のすみにある木製のテーブルに座った。


 きっと、ずっとずっと昔の私ならこうして食事をとりながら、今日はどこへ行こう、何を食べようなんて、友達と過ごす予定を考えただろう。


 でも今の私には出かける場所も友達もない。それはずっと昔の記憶で、望んでも手に入らないもの。


 あるのは、この部屋の中に置いてあるものだけ。


 小さなテーブルにシングルベッド、食べ物が補充される冷蔵庫に電子レンジにお湯を沸かすためのポット。そして小さな本棚。あとは部屋唯一のドアの先にお風呂とトイレがある。


 これだけだ。私のために用意された部屋にはこれだけの物があり、私の世界にはこれだけの物しかない。


 食事を終えた私はお皿をテーブルの隅においやって、あらかじめ眠る前に本棚から抜き出しておいた本を手に取った。


 タイトルは『永久とわの桜』。私の父が好きだった一冊だ。


 私の父は大手会社の社長だった。父は忙しくめったに私や母と会うことはなかったが、たまに行く食事のときはお互いに様々なことを話して楽しかったのを今でも覚えている。


 家族としてのあり方は他の家庭と違ったみたいだが、良い父親だったのだろうと思う。


 今思えば、私の父はロマンチストだったと思う。


 永久の桜は、若い貧乏作家と美しいお嬢様が恋をするも、現世で叶うことはなく、死後の世界で幸せになろうというタイプの話だ。


 二人が最期に選んだ場所は、最初に出会った桜の木の下で。その後、その桜の木は枯れることも、花が散ることもなくあり続けたという。


 父はこういった永遠の愛や生に夢を見ていた。私もそれがいいものだと聞かされてきたし、母と幸せそうに肩を並べる姿を見て、それが理想だとも思った。


 「ふふ……」


 本の中で永遠の愛を誓いあう二人。ここで永遠の生に閉じ込められた私。


 理想と、現実。


 同じような永遠をお互いに持ちながら、その結果があまりにも対照的なことに気づき、私は笑ってしまった。


 ここは私のために用意された特別な箱である。この中にいるだけで永遠に生きることのできるおりである。


 私は読み終わった本を閉じて、本棚に戻す。


 永遠の幸せ。そんなものなんてないのに。


 だって永遠は無限だ。永遠とはどこまでも続くことなのだから、それは無だ。


 でも幸せは有限だ。幸せはその時に感じる刹那的なものなのだから、瞬間でしかない。


 永遠の幸せとは、人が死を内包して生きようとするのと同じくらい矛盾した話なのだ。


 ではその矛盾を取り払ったらどうなるのか。


 簡単だ、意味を喪失する。


 私は人ではなくなってしまった。どこまでも続く命を持った私は、死を失った。

 食事も睡眠もとるが、そこに意味はない。


 死ぬことも、生命活動も失ってしまった私は、生き物という意味を失ってしまった。


 私は私でなくなってしまった。


 だって私は、こんな部屋に閉じ込めた父が嫌いだ!


 時々しか会ってくれなかったけど、それでも好きだった父が嫌いになった。


 永遠の時間が、私が好きだったものを奪い去っていった。


 ベッドに横になり、目を閉じる。


 いったい、いつになれば終われるのだろう。

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