第53話 戸締りはしましたか?

 今年で二十二歳になったHさんは、とある会社の新人システムエンジニアをしていた。

慣れない仕事と激務が重なり、毎日疲労困憊となって帰宅する。


帰り時間も遅く一人暮らしなため、部屋に戻るとシャワーを浴び手っ取り早く食事を済ませた。


ベッドに倒れ込むように横になると、部屋の明かりを消し忘れている事にHさんは気が付いた。


「ああ面倒臭い……このまま寝ちゃおうかな……」


瞼が重くなり、そのまま身を委ねようとHさんが思った時だった。


──がチャリ


突然扉から音が響き、ドアが開いた。


「へっ?」


思わずHさんが一声漏らし体を起こす。


ハッとしてドアの方を見ると、ドアの隙間からこちらを覗く人影が在った。


黒ずくめの服、目深く被った帽子からは怪しくHさんを見つめる両の眼が見て取れる。


「戸締りしましたか?」


嬉々とした男の声。

しかもそいつはそれだけを言い残すとドアを閉めてしまった。


走り去る靴音が外から響く。

呆気に取られるHさん、しかしハッとして玄関に駆け出すと、急いでドアに鍵を掛けた。

そしてパニックに陥りそうな自分を落ち着かせ、急いでスマホを探し手に取った。


110番、そうスマホに打ち込んだ時。


何やら外で人の話し声が聴こえる。

それが管理人の声だと分かり、Hさんは急いで鍵を開け外に飛び出した。


「あっHさん?」


管理人はHさんに気が付き声を掛けていた。

よく見ると他にも人がいたが、そのどの顔にも、Hさんは見覚えがあった。

皆、この階に住む住人達だ。


事情がよく飲み込めずHさんが尋ねると、管理人さんがこんな事を話してくれた。


突然部屋のドアを開け、戸締りをしているかと尋ねてくる不審者が現れたと……。


それは正しく、先程Hさんが体験したものと全く同じ内容。


騒然とする中、その日は管理人が代表して警察と話をする事になり、後日改めて皆にも事情聴取を受けてもらうと言う事になった。


だが、次の日も朝早く帰りも遅いHさんは、明後日が休みなのもあり、その日でもいいだろうと考えた。

警察にも連絡しているし他の人が事情聴取を受ける事にもなっている。

少し悪い気もしたが、連日の激務で疲れていたHさんにとっては全てが煩わしく思えたのだ。





翌日、いつものように遅くに帰宅したHさんは、昨夜と同じくシャワーを浴びベッドに倒れ込んだ。

仕事でもヘマをやらかし散々な目にあったため、その日はいつにも増して疲れていたのだ。


「辞めちゃおうかな……」


Hさんがボヤくように呟いた時だった。


──がチャリ


ドアから響く音にHさんは思わずベッドから飛び起きた。


「誰!?」


Hさんはすかさず近くにあったホウキを手に取り玄関に向かって身構える。

だが、玄関に視線を向けたHさんの瞳に、予想外のものが目に飛び込んできた。


「あのおHさんですか?」


「は、はい、そうです……」


Hさんはその声の持ち主を見て持っていたホウキを手から滑らせた。


Hさんの目の前に居た人物、それは警察官だったのだ。


「夜分遅くにすみません、私こういう者なんですが、昨夜の件で聞き込みと見回りを行っておりまして……」


警察官は手帳を取りだしHさんに見せると、やんわりと頭を下げてきた。


ほっとしたHさんは昨日の事を詳しく伝えると、警察官はそれをメモした後に再び頭を下げた。


「物騒な事が起こってますので、戸締りだけはしてくださいね」


そう言い残すと、警察官は職務に戻ると言ってその場を去って行った。


安堵したHさんは、溜まっていた疲れがどっと身体中に押し寄せるのを感じ、その場に蹲ってしまった。


「良かっ……」


そう言いかけた時だった。

Hさんの顔は一瞬で凍りついてしまった。

その表情はみる間に青ざめていく。

歯の音が合わずガチガチと口から音が漏れていた。


震える足でHさんは立ち上がると、ドアに鍵を掛けた。


そしてフラつく足取りで部屋に戻り、スマホを手に取ると、110番へと通報した。


なぜ、あの時ドアは開いたのか。

昨夜は疲れて鍵を締めたかどうか記憶も乏しい。

しかし今日は違った。


昨日あんな事があったばかりで、部屋に戻った時、直ぐに鍵をかけたのを確認していたのだ。


Hさんはその後仕事を辞め、実家に戻ったという。

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