第33話 『這いずる?』

これは、俺が大学の夏休みを利用して引っ越した時の話だ。


当時金に困っていた俺は、あまりの家賃の安さに目が眩み、ろくに下調べもせず紹介された先に即決めしてしまった。


築十年ちょいの鉄筋造りのアパート。

コンビニやスーパー、駅も近くにあって立地も良かった。


俺は友人達の手も借りて直ぐに荷物を運び込み、新居へと移った。


引っ越して落ち着いて来た頃、多少は不安に思ったが今の所何か変わった様子は無かった。

その夜までは……。


蒸し暑い夜だった。

寝苦しさからようやくウトウトとしかけた時、


──ズルズル……。


「何の音だ……?」


何かの音で俺は目を覚ました。

寝台の時計に目をやる、時刻は午前一時。


目を擦りながら暗がりの中、灯りのスイッチを探していると、


──ズルズル


何だ?何かが這いずるような音?


気味が悪くなり急いで灯りを探す。


「くそっどこだよ!」


──ズルズル


──パチッ


部屋の灯りが点いた。


「なんだよ今の!」


訳の分からない恐怖もあってか俺は怒鳴り散らしていた。


部屋を見渡すが特に異常はない。

冷蔵庫から水を取りだしそれを喉に一気に流し込む。

火照った体がやんわりとクールダウンしていく。


幾分か落ち着きを取り戻し俺は灯りを消してベッドに潜り込んだ。


「気のせい……だよな」


ふう、と一息つき、目を閉じた瞬間、


──ズルズル


「うわあぁぁつ!!」


俺は飛び起きると、灯りを付け着の身着のまま部屋を飛び出していた。


かろうじて持ってきていたスマホで近くに住んでいた友人を呼び出し、近くのコンビニまで来てもらった。


「お前なあ何時だと思ってんだよ、こっちは明日バイトなんだぞ」


会って早々悪態をつく友人に、俺は必死に頭を下げ事の事情を全て説明した。


「這いずるような……ねえ」


「うん……いやまじで間近で聞こえるんだよ、それこそ目の前から聞こえてくるような……」


「そういやお前が引っ越したアパート、えらく家賃安かったよな?何か出るんじゃね?」


「いや、やめろってそういうの……」


「あっ!」


「な、なんだよ急に!?」


喋りながらスマホを弄っていた友人が突然声を上げ、俺はそれにビクりと肩を震わせた。


「ちょいちょいちょい、これこれこれ!いやまじかよ超やべえ!いやまじでやべえって!」


「だから何だよ!」


「ちょいこれ見てみ!」


友人は大はしゃぎしながらスマホを俺にみせてきた。


「これは……」


友人が見せてきたもの、それは事故物件を扱った有名アプリだった。


独自に調査したデータによって、その物件でどんな事件があったか、人が何人亡くなったかなどが直ぐに分かるアプリだ。

一時期友達の間で流行ったのを覚えている。


「お前まだこんなのスマホに入れてた……あっ……!」


そう言いかけて俺はスマホの画面を思わず二度見した。


友人が開いた事故物件アプリ、そこには何と俺が住んでいるアパートが明記されていたのだ。


「年月日も書いてるな、ちょっと調べてみようぜ」


友人はそう言ってスマホをまた弄り出した。


数分経って、


「おっこれじゃねえか?深夜に寝込みを襲われ、背後から刺されて女子大生が死亡……刺されてもなお助けを呼ぼうと、這いずるようにして部屋からエントランスに出る所で絶命したと……えっぐいなあ」


這いずる……友人の言葉に先程の嫌な音が思い浮かんだ。


じゃあ、あの音は気のせいなんかじゃなく、被害者が部屋を這いずる……。


考えただけでも気分が滅入りそうだった。

とりあえず落ち着くまではあの家に帰りたくない……。


「なあ、財布とか部屋から必要な物だけ持ち出しいんだけど……」


「おっなになに、アパート行っちゃう?」


「何でそんなに楽しそうなんだよ……こっちは真剣なんだぞ」


「いや心霊凸みたいで楽しいじゃん、動画撮っちゃお」


そういえば思い出した。

友人は結構この手のものが好きで、よく他の奴らとつるんで心霊スポットなんかにも平気で行ってしまう様な奴だった。

実際に見た事はないらしく、信じていると言うより、こういう話題でワイワイはしゃぐのが好きなタイプの様だ。

ある意味怖いもの知らずで、今回に関しては頼もしくはある。


「はあ……好きにしろ」


俺は友人に溜息をつきながら立ち上がると、自分のアパートとへと向かった。


「前来た時も思ったけど、やっぱこの辺りだけ暗い感じするよな」


アパートを見上げながら友人が言った。


「街灯が少ないせいじゃないか?築十年ちょいだし、そんなに古い方じゃないと思うんだけど」


「そうか?まあいいや、とにかく行こうぜ」


「お、おう……」


深夜の夜空にカンカンカンと、靴音が響く。鉄の外階段を登り二階のエントランスへと上がると、俺達は部屋の前までやってきた。


「電気つけっぱなしできたのかよ」


「仕方ねえだろ、無我夢中だったんだから」


俺は言いながら鍵の開いたドアノブを手に取り部屋の中へと踏み入った。


出てきたまんまの状態だ。


俺は押し入れから大きめのバッグを取り出すと、適当な着替え等を詰め込んだ。

財布や小物なんかをポケットに詰め込んでいると、


──カチッ


という音と共に部屋の灯りが消えた。


見ると薄暗い中、部屋の電気のスイッチの前に友人がスマホのライトを付けた状態で立っている。


「おまっ何してんだよ!」


「いや暗くしないと出て来ねえじゃん」


「ふざけんな……!早く、」


そこまで言いかけた時だった。


──ズルズル


這いずる様な不快な音。


「ひっ!」


「おっ!きたきたきた!まじかよ……どこどこどこ!?」


嬉々としてスマホを彼方此方へと向け嬉しがる友人を他所に、俺は恐怖のあまりその場にうずくまった。


「おおっ!なんかいる!何……か……」


先程まで威勢の良かった友人の声が、急に萎んでいく様にか細くなった。


何かいる?

友人はそう言っていた。

もしかしてあの女子大生の……


「い、いるって……なな、何が?」


言いながら恐る恐る友人が居た場所を振り返ると、


どすりという音と共に、友人がその場に尻もちを着いた。


スマホの灯りに照らされた友人の顔は、目を見開いたま、口を魚のようにパクパクさせ痙攣したかのように震えている。


一体何を見た……?


見たくはなかった。


──ズルズル


が這いずる音が俺の目の前まで迫っていた。


衝動的に目を開けると、スマホの灯りに照らされた、床に這い蹲(つくば)る女の体が視界に飛び込んだ。


背中から大量の血が流れ衣服を赤く染めている。

が、それだけじゃない。


もう一人……いた。


過呼吸になりながら、俺は震える顔を何とか上げた。


ボロボロの衣服を着た、目に光のない大男。

ざんばらな髪に、伸びた髭。

大口を開け口端からは涎が垂れている。


大男はゆっくりと屈むと、床に這い蹲る女の首を無造作に掴み、


──ズルズル


と、引き摺った。


「うわああぁぁぉっ!!」


喉の奥から衝動的に出た絶叫。

全てを吐き出すようにして、俺はそのまま床に突っ伏した。


薄れる意識の中、耳元で、


──ズルズル


というあの不快な音を耳にしながら……。


その後、俺達は昼頃になって、近所のクレームを伝えに来た大家に起こされて目を覚ました。


事の一部始終を大家に伝えたが、歯切れ悪くのらりくらりと交わされて、肝心な事は何も聞かせて貰えなかった。


結局俺は部屋を引っ越す事にした。

余程バツが悪かったのか大家が退去費用を持つといいだし、俺はそれに遠慮なく甘える事にした。


あの大男は一体何者たったのだろう。

友人の話によると、女子大生を殺した犯人は未だ見つかっていないという。

だったらあの大男が……?

だとしたらなぜ一緒になって出てきたのか……考えてもさっぱり分からなかった。


そういえばあの日、友人が回した動画には何も映ってはいなかった。


が、


──ズルズル


とあの不快な這いずる……いや……女を引き摺るあの音だけは、しっかりと収められていた。

























  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る