第32話 天剣
先手必勝、全力全開の強化を施して狐へ刃を振り下ろす。
時間稼ぎと言わず仕留める気で放った一撃は、狐の正面に生じた透明な壁に弾かれた。
まるで鉄の塊でも斬ろうとしているかのような手応えに驚きを隠せない。
馬鹿めと言いたげな狐の嗤い顔が憎たらしい。
完全に遊ばれている。
けれどこの状況は俺達にとっては好都合。
すぐさま返す刃で何度と撃ち合う最中、風を切って鋭い連続の突きが狐へ殺到する。
俺へ気を取られていながらも凛華の攻撃は当たらない……が、それでいい。
目的自体は果たされている。
素早く振られた鋭利な爪のリーチは足りない。
しかし直感に従って回避を選択。
右へステップを踏んだ直後、狐が短い腕を振る。
軌道上に突風が巻き起こったかと思えば、お腹の当たりの布地を意図も容易く斬り裂いた。
鎌鼬ってことかよ……っ!?
身体の方に被害はないが、内心では冷や汗ものだ。
すぅ、と頭の奥底が冷たくなる。
「――ハッ」
短く息を吐いて思考をリセット。
焦りを排除して流れるように姿勢を低く地面スレスレに刀を走らせて足元を狩ろうと試みるが、狐は軽々とその場で跳んで空中に身を躍らせた。
――狙い通り。
絶好の機会を、彼女が逃すはずがない。
狐の背後にはいつの間にやら回り込み上段に構える凛華の姿。
一瞬のアイコンタクト、言葉を介さずとも思考は通じ合う。
それだけの月日を共に過ごしてきた。
今気づいても遅い。
渾身の力を込めた重打が無慈悲にも狐の脳天を直撃、鈍く重い音を鳴らして急転直下で地面へ叩きつけられた。
続けて狐へ追い討ちをかけたのは、頭上から雨のように降り注いだ無数の氷柱。
逃げ場のない魔法による杭打ちが横たえている狐を襲う。
「……死んだ?」
「おいそのセリフは――」
やめろ余計なフラグを立てるんじゃない。
そういう予想は絶対に近い頻度で当たるんだ。
ほら、現に――
「グァァァァァァァァァァアッ!!!!」
喉が張り裂けんばかりの咆哮。
ビリビリと肌が震え、氷柱が無数の欠片へ姿を変えて透明な表面に世界を映す。
再び姿を表した狐は二回りは身体が肥大化し、筋骨隆々とした全身の白い毛が逆立ち、血走った双眸は怒りに満ちて俺達を凝視していた。
「あんなこと言うからぁ!」
「知らないわよそんなこと!」
完全にお怒りじゃん!? と叫びたかったものの、そんな暇は与えてくれない。
ぐるりと駒のように回転して、巨腕が高速で横から迫る。
(――かわせないっ)
無傷を諦めて防御姿勢をとり――車に撥ねられたかのような衝撃が襲った。
腕が痺れ脳がグラグラと揺さぶられるが意識を失わないように縋り付く。
その場で耐えるのは不可能で吹き飛ばされて景色か目まぐるしく移り変わる。
だがここは竹林、障害物が多すぎる。
この速度で衝突すればタダでは済まない。
咄嗟に納刀して鞘の端を両手で持ち、手近な竹の節へ引っ掛けてホールド。
何十回と横回転を繰り返して三半規管が悲鳴を上げ、やがて勢いを失って地面へ着地する。
「凛華っ!?」
「――無事、よ」
やや遠くから聞こえた声。
そちらへ目を向ければ膝をついて柄が折れた槍を携えた凛華の姿。
髪を一つに束ねていたゴムが解けて、ヴェールのように黒い長髪が広がっている。
あの距離ではまともに喰らってしまったのだろう。
メインの武装である槍は使い物にならない上に、左腕はだらんと力なく垂れていた。
「ごめん、ちょっと厳しい」
申し訳なさげにいうものの、その目から戦意は失われていない。
これから時間まで俺一人で化物相手に時間を稼がなければならない。
無論凛華の武器が槍だけではないが、あくまで補助的なものになるだろう。
「――こっちだッ!」
抜刀。
銀の軌跡を描いて斬りつけるも皮膚が硬くまともに刃が通らない。
連続して同じ場所を狙ってみるが、その度に弾かれて有効な一打を与えられない。
対して狐は地面を叩きつけ、俺の足元に土の棘が隆起し――
「っ!?」
反応が遅れたっ!
ぐらりと後ろへ倒れる身体、どんよりとした空を映す視界。
踏ん張る為の足場は遠く届きそうにない。
その正面、俺を叩き潰すべく上がった腕の影。
死の気配が身を搦めとる。
……かに思われた。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ゛!?」
側面から飛翔した小さな二つの黒い影が、化物の目玉へと命中。
同時に悶え苦しむ絶叫が化物から発せられ、上がった腕は俺のすぐ近くへ叩きつけられ難を逃れた。
流石頼れる相棒、精度が違う。
凛華が投擲術で放ったのは袖口に隠し持っている棒手裏剣。
忍者かよと言いたくなるが、これもれっきとした一ノ瀬流の技。
武芸百般――その技の全てを網羅しているのだ。
メインの武器が無くなって戦えなくなるほどやわではない。
見れば命中したのは化物の右眼。
視界を半分奪ったと考えれば十分なアドバンテージになる。
「キィィィィサァァァァマァァァアッッ!!!!」
だけど一つ誤算があったとすれば。
化物が抱く右眼への執着心というのは、想像を絶するものだったこと。
ずず、と重く這うように動いた巨体。
大口を開けて見下す対象は凛華一人。
「逃げろっ!」
「駄目、足が」
焦りを滲ませ叫ぶ凛華の足には、いつの間にか土の枷が嵌められていた。
がっちりと地と足を繋ぐ楔。
そう易々と逃げられるとは思えない。
化物は確実に凛華を殺す気だろう。
俺の攻撃は効かず、頼みの綱の士道さんはまだ来ない。
――俺がやるしかない。
(危険だから使うなって言われてたけど、やむを得ないか。後で叱られるだろうなぁ……)
でも、ここで使わなかったら一生後悔する。
後のことは後で考えよう。
今は、状況の打破が最優先。
数秒と時間は残されていない。
焦りを奥底へ押し込んで、ありったけの魔力をかき集めて練り上げる。
力の奔流が制御を外れて暴れないよう慎重に、けれど間に合わなければ意味が無い。
魔力の消費、欠乏に伴って虚脱感が全身を襲った。
歪む世界、無遠慮に殴るような頭痛。
諸々の悲鳴を黙殺して、ひたすらに拡散しようとする魔力を圧縮し続けた。
――そして、唱える。
「
手に現れたのは二尺三寸の光り輝く抜き身の刀。
魔力を刀の形へ変えたもので、純粋な力の具現。
今の手札で出せる最大火力でありながら、渋っていたのは自身の体に負担を掛けすぎる諸刃の剣だから。
維持出来る時間は多くない。
「らあぁぁぁぁぁっ!!」
考える間もなく身体は動く。
無防備な脇腹を目掛けて横薙ぎに振り抜く。
光の軌跡が薄闇を裂いて。
邪魔な白い毛を純白の極光は焼き尽くして、その先の硬い皮膚へ刃を通す。
じゅわ、と蒸発する音が耳に届く。
そこで初めて俺という危険を認識したかのように、首が突然動き目を見開く。
火を恐れる獣のように飛び退こうとする化物は、しかし叶わない。
冬に似た寒々とした空気が肌を撫でる。
キラキラと輝く粒子が舞い踊る世界。
化物の四足は分厚い氷で覆われていて、同じように氷床が広がる大地へ磔にされていた。
そこは既に、彼女の支配下だ。
「――間に合った。決めて、梓っ!」
肩で息をしながらも、凛華は叫ぶ。
これだけの範囲と規模での魔法の行使、相当な負荷がかかっているはず。
死の恐怖に直面しながらも魔法を成立させた精神力は並ではない。
諦めが悪いのは俺だけじゃなかったみたいだ。
刃を奥へ、奥へと押し込む。
肉を焼き切り、骨を断つ。
溢れた血飛沫が、何十倍と加速した体感時間で一粒一粒が鮮明に映し出される。
やがて振り切り、流れるように下段に構えて――
「終わりだァァァァァァァあッ!!!!」
斬、と。
天へと放った極光の柱が黒々とした雲を突き抜け、純白が世界を塗り潰した。
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