第18話 対価は平和的に

 色彩豊かな布製品が所狭しと並ぶ店内は、お花畑のような錯覚さえ覚えるようだ。

 きっと世の中の半分の人間にとっては当たり前の光景で、もう半分の人間には一生縁がない場所だろう。

 ファンタジーの方が世の中には溢れていて馴染み深いこの世界だが、それ以上の未知が溢れていると言う人だっているかもしれない。

 されど現実はそうメルヘルチックなものではなく、ましてや天国なんて言えるわけがない。


 やってきたのはカレンも愛用しているランジェリーショップだ。

 その筋では有名なデザイナーさんの影響もあって、かなり有名なんだとか。

 もちろん俺は名前すら聞いたことがなかったが、伊織の慌てふためく様子を見て本当なのだと一先ず納得した。

 それからは直ぐに俺の下着選びが二人の手によって始まった。

 あれがいいこれがいいと言い合う二人からそっと離れて店内を見ていたが、客観的に見ても魅力的なデザインのものが多いと素直に思った。

 はっきり言ってその時間は楽しかったが、二人が戻ってきてからは下着バージョンのファッションショーが始まった。



「まずはこれね」


 無慈悲な魔王に手渡されたのは綺麗な刺繍や、各所にレースなどの装飾が施された純白の布製品――ブラジャーとショーツのセットである。

 全力で拒否したいものの、この場で俺の意思というものは紙屑ほどの価値も持たず、尊重されるなんてことは有り得ない。

 故に――限界を通り越した精神状態で試着室へと向かうのだった。



「はぁぁ…………」


 何かを諦めた代償の、深い深い溜息が試着室の空気を重くする。

 目の前には全身を写してなお余裕がある姿見と服を掛けるハンガー、後ろでは店内からの視線を遮るカーテンが頼りなく揺れている。

 隠すようにして抱えているのはカレンに渡された純白の下着であり、これから試着することを強制された品でもある。

 普通の女の子であれば当たり前のそれも、俺からすれば拷問に等しいのだが、それを分かってやっているのだろうか。

 ……伊織はともかく、カレンは確信犯だろう。


「でも、あれよりはマシだよなぁ……」


 まじまじと抱えたソレを見ながら、カレンが少し前に渡してきたものを思い出す。

 どう間違えたらこれを下着だと言い張れるのか理解が出来ないほど小さな面積のブラジャーと、隠すべきものが隠せないであろうヒモ状のそれ。

 そういう系のアイドルでも着ないような下着を渡された俺は数秒間の思考停止を強いられた後に、確固たる意思で突き返した。

 ……というかあれは本当に下着だったのだろうか。

 本当はただのヒモだったんじゃないだろうかと邪推してしまうが、その真偽は定かではない。


「……どの道これは着るしかないんだけどさ」


 過去を振り返っても今が変わる訳では無いと自分に言い訳をして、心理的なハードルも下がった。

 再び覚悟を決めて、手馴れた動きで試着を進めるのだった。

 服を脱いで、地味と言われた下着も脱ぐ。

 下は脱がないで試着するように言われていたのでそれに従い、純白のブラジャーとショーツを身に付けていく。

 いつもより装飾が多めで、有名なデザイナーによる商品だとカレンが言っていたそれは、俺の目からでも良いものだとわかる品なのだ。

 生地や加工方法にも気を使っているらしく、非常に手触りが滑らかで肌に直接当たっても気にならないのは流石と言ったところか。

 派手過ぎず、カレンと伊織が言っていた通り可愛さを全面に押し出したデザインだ。

 透けたりするものや、大人な感じのものは似合わないだろうという判断らしい。


「……似合う、のかな」


 じーっと鏡に映る自分の姿を見て呟く。

 下着だけの姿では身体のラインがそのまま見えてしまい、自分の身体つきに思わず溜息が出てしまう。

 たとえ気にする気がなくても、である。

 元の身体と比べてもという意味でもあるし、女の子の身体としてという意味でもあるが、今は後者の方が強い気がする。


「……今はこうしているのが普通なんだよね」


 改めて自分の変化を目の当たりにして、ざわつく心を鎮めようと胸を撫でる。

 二、三度繰り返して落ち着いてから更衣室を出ようとして、脚が止まった。

 この場では一人で、その姿を見るものも一人だが、ここから出れば伊織とカレンが待っている。

 何を言われるのか想像するのも怖い、特にカレン。


「――こんなこと考えてもしょうがない。男は度胸……っ」


 決意を決めて、着替え終わった俺はゆっくりとカーテンを開けてみると、待ちくたびれた様子の二人が待ち構えていた。


「あっ、来た!」

「随分遅かったみたいじゃない」

「――っ、やっぱり……むり」


 二人の視線が自分に向いていることを感じて、早くも固く決めたはずの決意が揺らいだ。

 下着姿を人に見られるなんて恥ずかしいのは当たり前だと言いたいけれど、言ったところで何も解決しないのだ。

 落ち着かないし、見られるのも好きじゃない。

 顔から火が出そうな程に熱くなるのは必然だった。


「恥ずかしいからって隠してたら評価が出来ないじゃない」

「うぅ……」


 情けない呻き声を上げながら、一歩後ろへ後ずさる。

 しかし後ろは試着室で逃げ場はなく、カーテンを閉めたところで開けられるのがオチだ。

 それ故に今も腕を使って胸を隠し、内股になって下着姿を見られることを回避しようとしていた。


「……ねぇ、梓ちゃん。それで隠そうとしているつもりなんだろうけれど、隠しすぎて履いてないように見えるわよ?」

「………………ぇ」


 その言葉を理解するのに実に数秒を要した。

 にんまりと悪い笑顔のカレンを見て、やりようのない怒りを抱えたことは言うまでもないだろう。



「そんなに怒らなくてもいいじゃない」

「機嫌直して、梓姉」

「……別に、怒ってない」


 ふんっと鼻を鳴らしてカレンからは視線を逸らしつつも、格好は未だに下着姿のままである。

 理由は単純で、自分で見ても善し悪しがまるでわからないからだ。


「それで……どうなの? 変じゃない?」


 感想を催促するのは少しでも早く着替えてしまいたいからで、決して楽しみにしている訳では無い。


「似合っているわよ。そもそも似合わないものを勧めたりしないわ」

「そうだよ! いつにも増して可愛いよ!」


 そう言われて、ほんの少しだけ頬が緩んでしまうのは、自然に反応してしまっているからだ。

 辛うじて声は出していないものの、多分二人にはその表情の変化はバレているのだろう。

 だが、気を使ってかそれ以上煽るようなことは言ってこない。


「うん、ありがと」


 でも、一応お礼だけは言っておくことにする。

 形や内容はどうであれ、俺のためにやってくれていることに違いはないのだ。


「もっと感謝してくれてもいいのよ?」

「それは遠慮しとく」


 軽口を交わすくらいには気持ち的に余裕が出来て、ふと笑顔が浮かぶ。


「じゃあ、着替えてくるよ」

「それならこれも持って行って」


 手渡されたのは色とりどりの、下着の山。

 それが意味するところは凡そ察することは出来るが、念には念をということで。


「もしかして、これを全部試着しろ……と?」

「そうよ?」

「私が選んだのも混ざってるから楽しみにしてるね!」


 半ば予想はしていた返事が返ってきて、げんなりとした気分になったのは言うまでもない。

 なお、全部試着はしたが、最終的に買ったのは初めのやつを含めても数点だけだった。

 必要経費ということで支払いはカレンがやってくれたのだが、その値段を見て顔が引き攣るのを抑えるので精一杯だった。

 その中には伊織がカレンに勧められた分も入っていて、申し訳なさそうに頭を下げる伊織をカレンが宥めていた。


 買い物を終えて外へ出ると綺麗な夕焼けが時間を告げていた。

 女の子の買い物が長いのは体験済みだが、今回もその例に漏れなかったらしい。


「今日はありがとうございましたっ!」

「いいのよ、好きでやってることだから。帰りは送っていくから少し待っていて頂戴」

「何から何まで悪いな」

「対価は貰ってるから大丈夫よ」

「対価……?」


 そんなものをあげた覚えがなかったので、確認も兼ねて聞き返した。

 するとカレンはスマートフォンを取り出して、少し操作をした後に画面を俺と伊織へと見せた。


「これは対価としては十分じゃない?」


 ニヤリと微笑むカレンの意味を、俺はそこでようやく理解する。


「まさか梓ちゃんの生下着姿が撮れるとは思っていなかったわ……」

「消せっ! 今すぐ!」

「嫌よ! 折角盗撮した貴重な資料よ!?」

「堂々と盗撮宣言すんなよっ!」


 ツッコミを入れつつも写真を取り返そうと躍起になるも、身長という絶対的な差の前では手も足も出なかった。


「盗撮はダメだと思うなぁ……」


 そんな伊織の呟きは二人の騒ぎ声に掻き消された。

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